Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

実名での生活

2005-01-21 | 生活
昨日、行きつけの郊外型スーパーでレジのところに何かを取りに来た従業員にXXXさんと名を呼ばれた。彼女の顔は、勿論レジで見た覚えがあるが、特に近所の娘とか主婦でもない。何か「特別な関係」を思い出せなかった。訊ねると「支払いのカード」から覚えたという。通常以上の親近感を抱いてくれているので礼を言った。このスーパーはレジ数が10列を超えるので決して小さくはないのだが、ここは田舎である。都会の生活か、郊外の生活かの議論を、嘗て語学学校で盛んに遣らされた。永遠の話題である。

偶々、ネットで興味ある話題を見つけた。都会には、郊外以上に多くの種が住んでいるという動物学者の研究成果だ。郊外の6倍の種類の蝶類が都市に住む。人工的な隙間のある煙突や工場の裏側や通気孔、天井裏などの人が近づけない空間が恰好の住処となる。熱と食料は豊富である。狐、アライグマ、カラス、ハイタカ、テンに混じって外国からの移住者、例えば蜥蜴類などが住んでいる。普通なら自然に存在しない環境を都会は提供している。自然にはない手軽な栄養補給源なども魅力だ。つまり都会では、余所者も初めから問題なく住処を見つけ生活する事が出来る。その分、住み着くとテリトリーの縮小などを我慢しなければならないことがある。

往々にして中欧を旅行するとテリトリーは広がる。だから千キロ先でも場所によれば顔を覚えられている事が良くある。さてそれでは人に顔を覚えられる事は、得か損か。都会の匿名性に慣れていると、初めは抵抗があるかも知れないが、個人の尊重と共同体との関係を考えると実名性は至極当然な状態である事が分かる。沽券に関わるので、信条に反した好い加減な事が迂闊に出来ないということだ。
コメント
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