自転車で萩城に向かいました。
生活用水路にしか見えませんが、これも萩城の堀の跡です。
萩城は三角州の先端に位置していますので、開削して海水を流し込めば、比較的簡単に堀ができ、幾重もの堀に囲まれています。
萩八景遊覧船の乗り場
海に囲まれ、水路が発達している萩を観光船で見て回るのも面白いかと思います。
毛利輝元公像
豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。
長州藩の藩祖です。
二の丸南門です。
本丸が見えてきました。
萩城の本丸・二の丸は平坦な三角州上にあり、平城であるが、
後方に見える指月(しづき)山頂には詰丸が築かれており山城でもあります。
天守台
城内は自転車で移動できます。
ここでも、レンタサイクルが大活躍
萩城跡指月公園
所在地: 萩市堀内1-1
開園時間: 【4~10月】8:00~18:30,【11~2月】8:30~16:30,【3月】8:30~18:00休園日: 無休
料金(旧厚狭毛利家萩屋敷長屋共通): 大人 210円,小中学生 100円
ここで、日本百名城スタンプを押すことがとができます。
天守台に登ってみました。
本丸門付近の様子
詰丸のある指月山
さあて、ここに登ろうとすると・・・
やる気を失わせるような表示が・・・
たしかに、ほぼほぼ登山になるので、それ相応の靴や服装をしている必要はあると思います。
ちなみに、私は山頂まで18分で到達しました。
重建大祖神廟記の碑
かつて、このあたりに萩城鎮守の社として仰徳神社が置かれ、毛利氏の始祖天穂日命(あめのほひのみこと)と元就・隆元・輝元・初代藩主秀就が祀られていました。
現在では、志都岐山神社の隣に祀られています。
この碑はまだまだ序の口で、山頂へは山道をさらに登っていかなければいけません。
ようやく石垣が見えてきました。
詰丸矢倉門跡
あ~あ、せっかくの文化財を理解できない輩達が・・・
悔い改めよ!
鉄則どおり、枡形となっています。
山城の部分(詰丸)には、本丸と二の丸の2つの郭がありました。
上段が本丸です。
本丸の様子
中心部に巨石があり、加工の跡が見られた。
おそらく、小さく分解して取り除こうとしたのではないでしょうか。
下へも掘り下げていったが、ことのほか地中部分が大きく、あきらめて、貯水池として利用していたと推理しました。
山を降り、平城本丸にもどってきました。
花江茶亭
藩主の別邸にあった茶室を明治20年頃移築したもの。
幕末の頃、13代藩主毛利敬親が茶事にことよせて、家臣とともに国事の密議をこらした場所で有名だそうです。
萩城址碑
長州藩最後の藩主であった毛利元徳の長男である元昭氏によって、1919(大正8)年に建てられました。
萩城の来歴が記されています。
志都岐山神社
右側の狛犬の奥にある桜
ここでしか見られない桜「ミドリヨシノ」です。
純白の花と緑色のガクが特徴で、遠目に見ると淡い緑色に見える珍しい桜です。ソメイヨシノに似ていますが、ガクが緑色であることからミドリヨシノと名付けられました。
志都岐山神社の本殿
祭神は、毛利元就・毛利隆元・毛利輝元・毛利敬親・毛利元徳の5柱です。
井戸
よくみると、群馬県令従五位香楫取素彦とあります。
東園(とうえん)跡
二の丸にあった回遊式庭園です。
櫓の跡
銃眼土塀
海側からの防御用につくられています。
土塀の外側には浜が広がっています。
かつて、ここにはキャンプ場があり、利用したことがあります。
標高が高くないので、蒸し暑く。
バカ者共が花火をやって騒ぎ、その後怪談話を始める始末。
テント泊なので、聞こえてきてしまい、たいへん寝づらかった思い出があります。
けっきょく、閉鎖されちゃったのですね。
潮入門跡
萩城は海に面した海城でもあるのですね。