大給松平家は、松平氏の庶流にあたります。
松平親忠の次男乗元を祖とする十八松平の一つで、江戸時代には譜代大名4家が出、維新後には4家とも華族に列しました。
大給城は、地元の土豪長坂新左衛門の居館を松平信光が攻め落とし、その孫であり大給松平家の始祖である乗元と二代目の乗正が1507~1510(永正3~7)年にかけて、城郭としての体裁を整備したとされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0a/7f14dd1eeda31adedf3c9b6a98de7b41.jpg)
アクセスは簡単です。
東海環状自動車道豊田松平ICを降りて、国道301号を岡崎方面に進みます。
1kmほど行ったところにある松平トンネルをでたところ南側に「大給城」と書かれた案内板があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/45/f90f06c2cbcc7d85b46a9e0902e18892.jpg)
山道を400mほど進むと、駐車場(無料)があります。
ここにバイクを置き、山道をさらに120mほど歩いて進みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/30/d3233194d1bdfacacc76cb62bdc72add.jpg)
右手に登山口がみえてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/84/b42836d6a8a1c755f0aebb0fcda00ddd.jpg)
登山口にはこんな注意書きがありましたが、山城の中では楽な部類ですが、装備はしっかりしておきましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/db/c19976f33c291537274445b64358bf62.jpg)
山道を登ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a9/357084305a829b5c2b0279ef5f204abc.jpg)
3分ほどで分岐点に達します。
ここから先は勾配が穏やかになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/43/12b1c1743ff1e9b2f3146f83054e4b62.jpg)
わかりにくいですが、堀切がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/23/7ea412d32776e4d50e88f6406bc6069c.jpg)
現地案内板
多くの山城は城域に到達するまでの山登りが辛いのですが、ここまで8分しかかからずアクセスしやすい山城です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a7/1bc7c083706350b2e57871de8d41d37e.jpg)
虎口
左は櫓台、右は自然石に挟まれています。
大給城には巨大な自然石が至る所にころがっており、これを有効に使って築城したと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/07/52d5345548be3682ebe7704e092c2b22.jpg)
曲輪2の虎口
左側に石垣がみえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/34/0fa8335c9b1d8e2487feec499e6e0930.jpg)
曲輪2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/db/6ec1d7a4384f9c4a3a49b13236a6598c.jpg)
曲輪2の北側の土塁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/23/4793b38cfd1a635364450e26e91736c9.jpg)
虎口
立派な石垣がみえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/32/bae5e0c9e74e77feed8d745437d5c7a8.jpg)
主郭1横の曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/38/682836325f6ab3dae385802184f63bd5.jpg)
「明治天皇碑」と彫られていましたが。いわれはわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/46/5145660a49754f754a8d8c81947038c9.jpg)
虎口で見られた石垣はまっすぐに伸び、主郭1との仕切りにもなっています。
松平親忠の次男乗元を祖とする十八松平の一つで、江戸時代には譜代大名4家が出、維新後には4家とも華族に列しました。
大給城は、地元の土豪長坂新左衛門の居館を松平信光が攻め落とし、その孫であり大給松平家の始祖である乗元と二代目の乗正が1507~1510(永正3~7)年にかけて、城郭としての体裁を整備したとされています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/0a/7f14dd1eeda31adedf3c9b6a98de7b41.jpg)
アクセスは簡単です。
東海環状自動車道豊田松平ICを降りて、国道301号を岡崎方面に進みます。
1kmほど行ったところにある松平トンネルをでたところ南側に「大給城」と書かれた案内板があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/45/f90f06c2cbcc7d85b46a9e0902e18892.jpg)
山道を400mほど進むと、駐車場(無料)があります。
ここにバイクを置き、山道をさらに120mほど歩いて進みました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/30/d3233194d1bdfacacc76cb62bdc72add.jpg)
右手に登山口がみえてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/84/b42836d6a8a1c755f0aebb0fcda00ddd.jpg)
登山口にはこんな注意書きがありましたが、山城の中では楽な部類ですが、装備はしっかりしておきましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/db/c19976f33c291537274445b64358bf62.jpg)
山道を登ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a9/357084305a829b5c2b0279ef5f204abc.jpg)
3分ほどで分岐点に達します。
ここから先は勾配が穏やかになります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/43/12b1c1743ff1e9b2f3146f83054e4b62.jpg)
わかりにくいですが、堀切がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/23/7ea412d32776e4d50e88f6406bc6069c.jpg)
現地案内板
多くの山城は城域に到達するまでの山登りが辛いのですが、ここまで8分しかかからずアクセスしやすい山城です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/a7/1bc7c083706350b2e57871de8d41d37e.jpg)
虎口
左は櫓台、右は自然石に挟まれています。
大給城には巨大な自然石が至る所にころがっており、これを有効に使って築城したと思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/07/52d5345548be3682ebe7704e092c2b22.jpg)
曲輪2の虎口
左側に石垣がみえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/34/0fa8335c9b1d8e2487feec499e6e0930.jpg)
曲輪2
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曲輪2の北側の土塁
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/23/4793b38cfd1a635364450e26e91736c9.jpg)
虎口
立派な石垣がみえます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/32/bae5e0c9e74e77feed8d745437d5c7a8.jpg)
主郭1横の曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/38/682836325f6ab3dae385802184f63bd5.jpg)
「明治天皇碑」と彫られていましたが。いわれはわかりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/46/5145660a49754f754a8d8c81947038c9.jpg)
虎口で見られた石垣はまっすぐに伸び、主郭1との仕切りにもなっています。
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主郭1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/d2/699bfdb69291c7d62bec8ea2e138e16f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/15/912cf068d4ab804ed178303c5e0f559f.jpg)
史蹟碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/24/e3b678a2eadc71aac18d4953796bad1f.jpg)
主郭1からの抜群の眺望
さらに、左に見える物見岩に立って見ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/af/81c846f60fe24d8c608e8af416e3c71b.jpg)
遙か向こうに名古屋駅の超高層ビル群が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/9c/d2e0db72a17116a5a0d2a49b135bed4b.jpg)
主郭1にあった巨石
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/41/70a49585a0a6d9e94a192c4748b62496.jpg)
主郭1南側虎口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/7b/177b867e1f4b96fd93bd84480ca389ab.jpg)
曲輪2に戻り、北側に進むと、巨大な窪地があります。
これは水の手曲輪とよばれ、水を蓄える施設だったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a2/887d08d33496c8de4451f9a4f5cf1259.jpg)
水の手曲輪は2段つくられ、それぞれの下方には石垣が組まれています。
その姿はまさにダムです。
水源地として利用されていたと思いますが、規模があまりにも大きい!
水を満たしたらプールになります。
井戸なんかとは比べものになりません。
ひょっとしたら水を満たした状態から、一気に放水し敵兵を押し返す施設だった?
水が貴重な山城にそんな施設は無理か・・・謎は深まります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/e1/7c858cbd894902eb98e6a7f8c23cf539.jpg)
帰路、松平乗元の墓に寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ed/a8c96ebc30f9bab816e62154d900efdc.jpg)
大給城は、徳川家康が関東に移封となったため、廃城となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/9a/9df8d706b5ee592f7c75944485c4b102.jpg)
所要時間:1時間
愛知県豊田市大内町字城下
小牧長久手の戦いでは、家康側の前線基地のひとつと再整備ししたが使われなかったとか・・・だから、大河ドラマには出てこないと思います。
アクセスしやすいので、小学生とかを連れて行っても良いかなと思います。(興味示さないかな?)
水の手曲輪は飲料だけでなく、馬洗い,水練,農業灌漑,砂防・・・何に使われていたのでしょうか?
よい運動にはなりそうですね♪
水曲輪って、普通は飲料用の様ですが、異常にでかいとは・・・心配性だった???