金沢城は加賀前田氏の居城でしたが、明治以降は陸軍の拠点として使われるようになりました。
旧第6旅団指令部本部が残されています。
戦後は金沢大学として利用されていましたが、1995年にキャンパスが移動することとなり、金沢城公園として生まれ変わりました。
現在も改修・再建は続けられています。
訪問したときも石川門の修理工事をしていました。
正門である石川門です。
城内にはいると、菱櫓・橋爪門続櫓とこの2つをつなぐ五十間長屋が目に入ります。
内部も見学できます。
平成13年に再建された建物ですが、コンクリートではなく当時の資料に基づいて作られています。(耐震基準を考え梁や柱は当時よりすこし太くなっているそうです)
櫓から外を眺めてみました。
三十間長屋は数少ない現存する建築物です。
鶴丸倉庫も現存する建物です。
軍隊・大学と使われてきたわりには、縄張りの保存状態は良好であり、場所による石垣の変化を楽しむことができます。
通常、一カ所攻めやすいところをあえて作っておきます。防御する箇所をひとところに集中することができるからです。
さすがに百万石の居城だけあって広いです。充分時間の余裕を持って見学されることをお薦めします。
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加賀百万石が嫌いなため、記事と無関係のコメントをしてしまいました。
攻めやすいところをあえて一か所・・・うーん深いですね。肉を切らせて骨を断つ・・・侍の極意のような考え方ですな。
先生のお城好きは凄すぎます。
確かに立派な建物だと思うのですが、私には場所による石垣の変化を楽しむことは出来そうにありません。
石垣も蔦が絡まり あちこちに木が繁り
自然に呑み込まれているといった風情が印象的でした
また行ってみようかと思います
倶利伽羅峠は源平の戦いの際に平家の本陣が置かれていたのと後の世に一向宗の拠点があったそうです。遺構はほとんど残っていないみたいです。
ここは旧道を通って行くので四輪を使った今回の旅行ではパスしました。
おおくの城は市町村の所有で管理も行っています。もちろんボランティアの方々の甚大な協力があります。名古屋城では本丸御殿を再現しようという計画が立っています。この費用のほとんどを市民の募金で行う計画です。みゃあみゃあのおじさん(名古屋市長)はコンクリート天守閣も当時の工法で作り直したいと言っています。
私がこの城を攻めるならば、一番最後の写真の緑の部分を駆け上がります。そして、守備側の思うつぼとなって果ててしまうでしょう。
20年ほど前にも来たことがありますが、そのときは兼六園側の石垣によじのぼって記念捨身を撮ったただのバカ者でした。
石垣めぐりコース(だったかな?)というのがあるようで、観察ポイントには解説の看板が用意されています。
おっしゃるとおりだとおもいます。纏わる史実や歴史背景を知っていれば城跡はより楽しめると思います。そうでなければ、ただの荒れ地だったりします。
少しずつ整備されていますので、20年前と現在と20年後ではかなり様子は変わるだろうと思います。
江戸時代の初め、落雷によって炎上、火薬庫にまで引火して本丸にあった建物(天守閣も)は殆ど焼失してしまいました。その跡は本丸園地とよばれていますが、森林になっています。