橋本屋吉次郎電子日誌

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湯築城

2017-01-17 | お城巡り(日本100名城)

国道317号線を使って、今治城から1時間ちょっとで湯築城に到着しました。

湯築城は、14世紀から16世紀にかけ、伊予の国を治めた河野氏の城があった場所で、今は道後公園として整備されています。


有料駐車場が整備されていますが、付近のタイムズの方が割安なので、そちらに駐めました。

搦手門跡(道後公園西口)
 

市電「道後公園」停留場のすぐ前です。
 


湯築城資料館
所在地: 愛媛県松山市道後公園
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 月曜(祝日の場合は翌日),12/29~1/3
入館料: 無料

発掘調査の成果や河野氏の歴史が展示されています。
ここでビデオを見てから、見学を開始しました。
なお、日本百名城スタンプは資料館においてあります。

当時の武家屋敷が再現されています。
 


中では、連歌の会を催している様子


土塀

湯築城は内外二重の堀に堀に囲まれており、それぞれ堀のまわりには土塁が築かれています。
 

外堀の土塁
 

土塁の上から眺めた外堀
 


土塁展示室
外堀土塁の断面を見ることができます。


外堀の内側には道路と排水溝がめぐらされています。
さらにその内側に家臣の屋敷がおかれていました。


手前に見えるのが内堀の堀、堀の向こうは丘陵地になっています。
この丘陵地に天守のない平山城が築かれていたらしいです。


土坑
ゴミ捨て穴です。
ここからは宴会で使われた器が多く見つかっています。

目前のこんな風景を見ながら宴を開いていたのでしょうか。
 


遮蔽土塁
このあたりは外堀土塁(右)と内堀土塁(左)が最も近づいています。
大手からの視線を遮ることと上級武士居住区への容易な侵入を防止する役目も果たしていたようです。


大手門跡
現在では道後公園東口になっています。


城跡のあった丘陵地へ、
勾配が急な石段を登っていきます。

途中に祠がありましたが、新しいもののようです。
 


さらに、石段を登ると、


展望台が見えてきました。




展望台に立ち、西を眺めてみました。
正面の丘の上に見えるのが松山城です。

1548年、豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に湯築城を明け渡し、この城の歴史は終わりました。
それは、同時に平安時代から400年の長きにわたる河野氏の伊予支配の終焉でもありました。


北方向には道後温泉のホテル群が見えます。
残念ながら道後温泉本館は建物の陰になって見えませんでした。


丘陵地北面の木木にはなにやら飾り付けがされていました。
子ども達が袋に絵を描いているようです。
風に揺らされると、内蔵されたLEDが点滅するようでした。

 


石造湯釜
道後温泉の浴槽内の湧出口に設置されていた花崗岩製の湯口です。
天平勝宝年間(749年~757年)に作られたと伝えられ、現在の道後温泉本館ができる明治27年(1894年)まで使われました。


内堀


搦手門跡(道後公園西口)にもどってきました。
駐輪場がありますので、バイクはここにとめるとよいでしょう。

資料館を含めて1時間弱の見学でした。

このあと、クルマは駐車場に置いたまま、市電で松山城に向かいました。
 

コメント (4)
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