橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

知多四国八十八箇所 その22

2013-05-16 | 知多四国八十八箇所巡礼

オイル交換したてのカブ110で知多半島を疾走しました。
やっぱり新しいオイルは良いですな~
エンジンが良くまわる気がします。
とはいえ、高回転にぶち込むと零戦のような音になってしまいます。

今回のスタート地点は内海、高速が使えないため自宅からは2時間ほどかかりました。

45番【尾風山 泉蔵院】知多郡南知多町大字内海字南側69番地
国道247沿いにわかりやすい看板が立ててあります。

国道側の入り口

北側に山門があります。


稚児大師


本堂


弘法堂


別名、だるま弘法とよばれています。

レモンとボンタンをかけ合わせたボンデローザの大きな実

境内からさらに上に向かう石段がありました。
何か立て札がありますね。


おお!これは行かずにおれません!

境内を振り返ってみました。

だんだん道は細くなります。

着きました。

解説は現地案内板に任せます。


奥にはうっそうと竹が茂っています。
矢竹でしょうか。だとすれば城があった当時から植えられていたものでしょうか。
この奥にある土塁と堀切を見に行きます。



ところがますます藪が深くなってきました。
それでも、かいくぐって行こうとしたのですが、
突然、後ろに引っ張られてしまいました。
ショルダーバッグの肩紐が竹に引っかかったのですが、
なんだか、この後に遭遇する危険を仏様が知らせてくれたような気がして、ここで引き返すことにしました。

一段下の曲輪の観音様


海に向けての展望台がありました。

小学生が地引き網を引いているのが見えました。


奥に見えるのは愛知県でも人気の高い内海海水浴場です。
そして、手前に見えるのが、日帰り温泉施設の「白砂の湯」なんですが、


いつのまにか閉められていました。
愛知県の日帰り温泉施設はどんどん閉店に追いやられている気がしますが、他の地域ではどうなんでしょうか。

その敷地の一角にある「唐人お吉の像」

唐人お吉とは
本名、斎藤 きち。
この地に生まれ、やがて下田に転居、その後売れっ子芸者となりました。
1857(安政4年)年、初代アメリカ総領事ハリスは慣れない異国暮らしからか体調を崩し床に臥せってしまったそうです。
困った通訳のヒュースケン世話をする日本人看護婦の斡旋を地元の役人に依頼しましたが、当時の日本人には看護婦の概念がよく解らず、妾の斡旋依頼だと誤解してしまいました。
そこで候補に挙がったのがお吉でした。

人々はお吉に対して偏見と侮蔑の目を向けるようになります。
やがて、ハリスの容態が回復してお吉は解雇されますが、人々の冷たい視線は変わらぬままでした。
この頃から彼女は酒色に耽るようになり、後は何をしてもうまくいかなくなり、物乞いにまで身を落として48歳で自殺してしまいました。
さらに、お吉の遺体を人々は「汚らわしい」と蔑み、埋葬も断られたそうです。
哀れに思ったある住職が境内の一角に葬るが、今度はこの住職がお吉を勝手に弔ったとして周囲から迫害を受け、下田を去る事となったそうです。
無知と偏見が招いた悲劇ですが、現在のいじめとも共通する集団心理がはたらいているような気がします。
合掌


(続きます)

コメント (12)
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