橋本屋吉次郎電子日誌

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水戸城

2012-07-15 | お城巡り(日本100名城)

言わずと知れた徳川御三家一つ水戸徳川家の居城である水戸城は、JR水戸駅北口前あたりにありました。
現在ではそのほとんどが学校として利用され、敷地内には幼稚園から高校まで計7校も存在する一大文教地区になっています。


JR水戸駅北口


ご老公・助さん・格さんがお出迎えしてくれます。

駅前の国道50号線を三の丸2丁目方向に向かいます。
数分沿って歩くと、すぐ右手に水戸黄門神社に到着します。


黄門さまこと水戸光圀は初代藩主頼房の三男でしたが、側室の子ということもあり家臣の家で誕生し、幼少の頃までここで育てられたそうです。

水戸の街は一見すると地震の後は残っていません。
しかし、よく見るとまだまだ・・・

国道を少し進むと、左手に「水戸城跡通り」が見えてきます。
写真は、二の丸の坂下門があったとされるあたりです。


水戸城跡通り沿いの空堀
右側(通り側)が二の丸、左側が本丸です。
堀の中をJR水郡線が走っています。
時間があったら乗りたかったなぁ。


空堀に架かるこの橋を渡ると本丸
現在は水戸第一高校となっています。


ということで、授業中の学校におじゃましました。


薬医門
水戸城の現存するただ一つの建造物です。
明治時代以降、位置や所有者が二転三転して詳しいことは不明ですが、その風格からみて本丸の表門と考えられています。

二の丸跡に戻ってきました。


戦国時代から自生している大シイ
推定樹齢400年の2本のスダジイで、水戸第二中学校の校庭にそびえています。


大シイの道路を挟んだ反対側には、水戸城三階櫓がありました。
現在は水戸第三高校と茨城大付属幼稚園の敷地となっています。
なお、水戸城には天守閣はありませんでした。
これは戦略上必要なかったとか、幕府に遠慮したとかいわれておりますが、空堀とか土塁を見る限りこの地が天然の要塞であったように思います。


水戸市立第二中学校正門
歴史的建造物ではありませんが、趣がありますね。
右に「大日本史編纂の地」を記す碑が見えます。
この地に大日本史を編纂するための彰考館がありました。


編纂の中心人物、安積澹泊(あさかたんぱく)の像
通称、覚兵衛。
そうです。黄門様のお供の格さんのモデルです。

大手門の跡

その脇に立つ2人のおばさんじゃなく・・・


水戸藩初代藩主徳川頼房公の像


二の丸と三の丸を隔てる空堀
このような深い空堀と


土塁で水戸城は守られており、石垣は使われていません。


大手橋
大手門前野から堀に架かります。


徳川斉昭(烈公)像


弘道館正門

大手橋正面には、藩校である弘道館が置かれていました。
十数台収容できる駐車場があり、ここにバイクを置いて散策しました。

この歴史的建造物は東日本大震災を大きく受けていました。


現在中にはいることはできませんが、外から観覧はできます。
このため、入場料は無料となっています。
受付で日本百名城スタンプを押すことができます。


正庁玄関
白壁が落ち、障子が破れ、痛々しいです。


白塀の瓦も落ちたままです。


対試場
ここで武術の試験が行われ、奥の間から藩主や重臣達が見学したそうです。


見事なサルスベリの木
奥の建物は至善堂。藩主の休息所や諸公子の勉学場所として使われていました。
大政奉還後の徳川慶喜もここで謹慎しました。


水戸市立三の丸小学校
かつては弘道館の武館が並んで建てられていました。


偕楽園・水戸城と見学し終え、時刻は11時を過ぎところになりました。
前もって、バビさんのグルメブログ?
銀翼GTで気の向くまま・趣くまま

でもって「水戸」で検索して調べて置いた店に寄ってみました。


                 けんちんそば(並)  700円
                     店名:黄門そば
             住所:茨城県水戸市南町1-3-11 2F
                営業時間:11:00~14:00 
                      定休日:無休
 
つけけんちん蕎麦は、水戸の名物の一つです。
具だくさんのけんちん汁は大変おいしかったです。
蕎麦が黒くて太いのは良しとしても、ボソボソとしてイマイチ・・・
愛知では蕎麦つゆ以外で食べる文化はありません(カレー南蛮を除く)。そのせいか、けんちん汁+蕎麦つゆでざる蕎麦の方が私には良かったかな。量は申し分なく、お腹が満たされ幸せな気分で帰路についたのでした。

コメント (10)
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