朝、さほど寒くないのはもうわかっていたが、それでも少し窓ガラスは曇ったようだ。
予想だと晴れ、でも実際は違った。今も晴れときどき曇りの予報が出ているが、お日様は出ているが
ある時間たつと、もう午前10時ころには空は白くなって来た。
すっきりと晴れることのないのが、春。
春は春霞。
それで、・・・。ときどき、滅多にやらないが、やっぱりむかしのファイルを見る。
景色というか、特に夕暮れどきや、朝の空の様子などを見ていると、はるかに今よりもびっくりするような
美しさがある。
色の濃さがまずはある。ぼんやり感はなく、はっきりとした変化、色の濃淡。
こんな色があったのか。自分の目を疑うが、でもこれは記憶にあるものだ。
色も無限にあるものかな。諧調の滑らかさ、あるいは変化の激しさ。
何しろ普通に見えないものがカメラには写る。
今はどうか。一言、腕も落ちたし、出歩く範囲も狭く、大体カメラをうまく扱えないこともあるが、・・・。
驚きの何かは少なくなった。
ただ木の背が伸びたとか生えなくていい竹が出たことで、視界も狭くなった。これも景色に違いなく、これはこれで
いいとしないといけないのだが、それがあっても、もっとびっくりの空、雲の様子、夕空の色、もろもろが昔の
ファイルにはある。
もう一度むかし、それはないか。
感じるものの違いもあるけど。それに人の様子を撮ることがまずはない。一般論だけど、知らない人がカメラを
向けていたらいい感じは私もしない。だからまずは撮らない。
両親とか、叔父とか叔母は撮った。特に血のつながりのあるかたは、断る姿勢を見せても、別に怒られもしない。
それはいつかいい記念にもなる。でも結局、いい肖像というのは撮れないものだ。
古臭い考えの人と一概に言えないが、カメラに自然と向かえる人はあまり知らない。もちろん、芸能界のかたとか
は別である。
私は父と母をもう少しちゃんと撮っておけばよかったと今は後悔している。本人は、あまり嬉しくもないので
でも子供の頼みでもあるし、ほどほどにおすましの顔をする。しかし、それが室内だと、まだデジタルに慣れていない
ときでもあったので、画像が暗すぎたりで、次の機会と思ったりもするが、結局それが最後になってしまう。
父も母も、もう最後が近いというときの画像はあるが、父のそれは入院中の画像で、医師からはいつお亡くなりに
なってもおかしくありませんと最初に言われて、たしかに残っている画像は、今見ると涙が出るくらいの
痩せ方で、衰え方で、でも当時は、もう一度生き返ると私は信じていたのだが。
一枚か二枚か、これはかなり古い画像で、夕食のときの画像があるが、これが一番自然かも知れない。
私は自分でも忘れていたのだが、本格的にデジタルカメラで撮る前に、一台だけ買っていて、わずかに画像が
残っている。ただ当時はメモリなどもバカに高かった。またそのカメラももちろん安くなかったが、
デジタルの本格的な時代が始まったと思われる時期には、もうそのカメラを使う気はしなかった。
最近、PCのモニタを見ていて、何か黒い点があるのに気が付くことが多くなったが、ゴミが付いたものだと
思っていた。気にもしないときもあったが、たまに掃除はやる。水拭きである。だがおかしなことに、どうも
その黒いものはゴミではないようであった。拭いても取れない。
ようやくわかった。結局そこにある液晶の点、感じでいうと4、5個だが、一つにまとまって見えるが、点灯しなく
なったのである。それまで、「ドット落ち」とかはなかった。起きたのは最近である。これは間違いない。
これをチェックするソフトがあるが、それでたしかめても明らかであった。
そのときが来たか。どうするかな。大変なのは、これを移動して新しいものを入れるときだが、
むかし、2008年も大変だった。このままかー。約7年たつが。
やるとなると大事だなー。
ついてない。
春の選抜高校野球が始まった。
新聞に出ていないようで、もちろん読んでもいないときもあるが、そのうちだろうと思っていたが、感じとしては今日
突然始まったと思う。選抜で、地元のチームは出ていない。それだから何のアナウンスもない。
新幹線の宣伝ばかりである。
まーローカルだから仕方ないとしかいいようがないが。
また梅。
今日の午前中、このときはようやくいい天気になったので、外に出たが、撮ったのはやはり梅が多い。
他にないのだなー。
その一。ほぼ満開。
その二。
その三。
その四。
その五。この梅は3回か4回目か。でも咲くのは早かった。
以下はおおきな木の梅の様子で、きのうは花のみ少し出したが。
その六。
その七。今日はもちろんこれよりもすごくなっている。
その八。
その九。
気温も高く、食事のあとなので、そんなに食べてはいないがぼんやりとしていたので
冷水で目を洗った。顔も洗った。それでもまだシャキッとしない。
予想だと晴れ、でも実際は違った。今も晴れときどき曇りの予報が出ているが、お日様は出ているが
ある時間たつと、もう午前10時ころには空は白くなって来た。
すっきりと晴れることのないのが、春。
春は春霞。
それで、・・・。ときどき、滅多にやらないが、やっぱりむかしのファイルを見る。
景色というか、特に夕暮れどきや、朝の空の様子などを見ていると、はるかに今よりもびっくりするような
美しさがある。
色の濃さがまずはある。ぼんやり感はなく、はっきりとした変化、色の濃淡。
こんな色があったのか。自分の目を疑うが、でもこれは記憶にあるものだ。
色も無限にあるものかな。諧調の滑らかさ、あるいは変化の激しさ。
何しろ普通に見えないものがカメラには写る。
今はどうか。一言、腕も落ちたし、出歩く範囲も狭く、大体カメラをうまく扱えないこともあるが、・・・。
驚きの何かは少なくなった。
ただ木の背が伸びたとか生えなくていい竹が出たことで、視界も狭くなった。これも景色に違いなく、これはこれで
いいとしないといけないのだが、それがあっても、もっとびっくりの空、雲の様子、夕空の色、もろもろが昔の
ファイルにはある。
もう一度むかし、それはないか。
感じるものの違いもあるけど。それに人の様子を撮ることがまずはない。一般論だけど、知らない人がカメラを
向けていたらいい感じは私もしない。だからまずは撮らない。
両親とか、叔父とか叔母は撮った。特に血のつながりのあるかたは、断る姿勢を見せても、別に怒られもしない。
それはいつかいい記念にもなる。でも結局、いい肖像というのは撮れないものだ。
古臭い考えの人と一概に言えないが、カメラに自然と向かえる人はあまり知らない。もちろん、芸能界のかたとか
は別である。
私は父と母をもう少しちゃんと撮っておけばよかったと今は後悔している。本人は、あまり嬉しくもないので
でも子供の頼みでもあるし、ほどほどにおすましの顔をする。しかし、それが室内だと、まだデジタルに慣れていない
ときでもあったので、画像が暗すぎたりで、次の機会と思ったりもするが、結局それが最後になってしまう。
父も母も、もう最後が近いというときの画像はあるが、父のそれは入院中の画像で、医師からはいつお亡くなりに
なってもおかしくありませんと最初に言われて、たしかに残っている画像は、今見ると涙が出るくらいの
痩せ方で、衰え方で、でも当時は、もう一度生き返ると私は信じていたのだが。
一枚か二枚か、これはかなり古い画像で、夕食のときの画像があるが、これが一番自然かも知れない。
私は自分でも忘れていたのだが、本格的にデジタルカメラで撮る前に、一台だけ買っていて、わずかに画像が
残っている。ただ当時はメモリなどもバカに高かった。またそのカメラももちろん安くなかったが、
デジタルの本格的な時代が始まったと思われる時期には、もうそのカメラを使う気はしなかった。
最近、PCのモニタを見ていて、何か黒い点があるのに気が付くことが多くなったが、ゴミが付いたものだと
思っていた。気にもしないときもあったが、たまに掃除はやる。水拭きである。だがおかしなことに、どうも
その黒いものはゴミではないようであった。拭いても取れない。
ようやくわかった。結局そこにある液晶の点、感じでいうと4、5個だが、一つにまとまって見えるが、点灯しなく
なったのである。それまで、「ドット落ち」とかはなかった。起きたのは最近である。これは間違いない。
これをチェックするソフトがあるが、それでたしかめても明らかであった。
そのときが来たか。どうするかな。大変なのは、これを移動して新しいものを入れるときだが、
むかし、2008年も大変だった。このままかー。約7年たつが。
やるとなると大事だなー。
ついてない。
春の選抜高校野球が始まった。
新聞に出ていないようで、もちろん読んでもいないときもあるが、そのうちだろうと思っていたが、感じとしては今日
突然始まったと思う。選抜で、地元のチームは出ていない。それだから何のアナウンスもない。
新幹線の宣伝ばかりである。
まーローカルだから仕方ないとしかいいようがないが。
また梅。
今日の午前中、このときはようやくいい天気になったので、外に出たが、撮ったのはやはり梅が多い。
他にないのだなー。
その一。ほぼ満開。
その二。
その三。
その四。
その五。この梅は3回か4回目か。でも咲くのは早かった。
以下はおおきな木の梅の様子で、きのうは花のみ少し出したが。
その六。
その七。今日はもちろんこれよりもすごくなっている。
その八。
その九。
気温も高く、食事のあとなので、そんなに食べてはいないがぼんやりとしていたので
冷水で目を洗った。顔も洗った。それでもまだシャキッとしない。