光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

3月の雨はまだ寒々しい。2月最後の雪が降ったときの印象

2015-03-01 14:00:02 | 散策
  朝はあまり感じない寒さだが、起きてしばらくすると、俄然、寒さが優位になるのはなぜか。


  3月だとわかっている。暖かいはずだ。3月は一応春だ。頭の中は、温室の中を想像している。

  しかし実際は違って、3月だけど、感じるものはそのときどきでかなり違うが、今日はまた極端である。

  でも冷静になってみなくても、3月だから寒くないというのは当てはまらない。間違い、

  今ごろ頭に言い聞かせる。



  3月は寒いのだ。雪もまだいくらでも降る。これからもっと寒くなるときがくる。2月より寒くなるときがある。

  そうゆう体験をしてきた。実際もっとも寒いのは2月だけど、それは平均値である。そんなものは実際はない。

  ただ、考えとして平均があると、何か比較が出来る。そうゆう便宜的なものだ。

  もう一回言い聞かせる。

  暖かいと感じるのは、5月でもまだまだで実際は、5月の後半だろう。それにしても、暖かいか寒いか、この二つ

  しかない、という考えも実際のところ、そのときの心境によるようである。


  ただただ今日は間違いなく寒い。これはたしかである。ただコタツの中は暖かい。でもその中にずっといる

  ことは出来ない。そうゆうこと。それにしても、ふところの寒さも、これも極端だなー。



  琵琶湖マラソン、雨の中、いろいろな人が、あるいはいろいろな国の人が走っているが、暖かいと思えるところの

  方々で、日本に留学に来ている人もいるのだろうか。マラソンは日本では冬のスポーツだが、赤道直下の国々に

  住んでいる人々はずいぶんとこの冬雨の中を走るのは寒いと思う。違うかな。

  しかし多いのはやはり日本の選手で、どうゆうスポーツでどうゆう国の人が熱心になるか、これも違いが

  あるようだ。


  学校にいたとき、だんだんとやるスポーツは変わったようだが、テニスなどは格別特別でもなかったけど

  どうもそうゆうものに興味はなかったようである。

  今ときどき「TV」で、国際試合をやるものとして見ているのは、あるいは見て楽しいと思うのは、女子バレーくらい

  かな。もっとも、異国の国々の選手対「列島の国」の選手を見るのが好きで、勝ち目のないように見える

  試合をひっくり返すのが楽しみだ。見ていてあまりにコートの外ではあるけど、CMのコピーとか、企業名が

  目立ちすぎて、かなりげんなりするが。またあまりにキラキラとし過ぎている画像のフレームも、興ざめに

  させる。そうゆう意味で、古い人間かも知れない。

  
  NHKなどでも、そこにないものを周りに作って仮想スタジオを再現しているが、一番面白くないやり方で

  あって、話が重要でもしらけてしまう。それくらいに、スタジオの雰囲気の現実性が重要なものを

  占めていると思う。



  夜中に目が開くときに、いろいろ前の日の出来事を思い出すことを書いた。ときどきと言うより

  かなり頻繁に目薬をさすことがある。で、ときに外れる。目以外のところに冷たい溶液が落ちる。

  これは気色は悪くはないが、目は覚める。ドライアイのようで、逆にそうゆうことがなく、かってに涙が

  溢れているときもあって、これは別に悲しいからでなく、単純に涙腺が緩んでいるからだろう。

  花粉症で、というときもある。くしゃみも出るが、涙も溢れる。こうゆうときは目薬はいらない。

  タオルは、枕の下に2、3枚置いてある。いつの間にかそうなった。結構汚れるもの。で、目からの溢れるものは

  それで拭いたり、首にも今は寒いので柔らかめのタオルを巻いたりもするが、これでも拭くこともある。


  これも年齢がかさばれば、自然とそうなるようだ。もっともTVを見ていて涙があふれることは滅多に

  ない。これはさすがに見ることは出来ない、というものは早めにチャンネルを変えるか、切ってしまう。

  今ごろお涙頂戴の動物ものは見る気もしない。

  もっとももっと深刻はものは涙も出ないが、自分にはあーゆうことは出来ないと思う。TVカメラが入る。

  他にも人が、他人がいる。TV業界の人だ。まるでそうゆう人がいないかのごとく自然に振舞うこと。

  これが全然だめ。この辺のところは永久に理解できないだろう。


  
  今朝は6時に起きて、これはいつもと同じだが、まずは先に目を洗う。目薬もつけるが、冷たい水で

  目を洗う。これがうまく「沁みてくれる」とパッと目も覚めた感じになるが、ただ水が冷たいとも

  感じないときがある。時間だけがささっと過ぎていって、自分のやることなすことが実にスローモーになる。


  朝8時、もう朝やることは完全に終わっていないといけないが、それがなかなーか!!になって来た。

  こうゆうときに、特に今日は日曜だから結構気は緩んでいるが、この8時と言う時間に人が

  尋ねてくる。普通はありえない。で、頭の中は、いろいろなものが想像されるが全然違って、お久しぶりな人で

  しかし重要なことであり、で内容は、結構にダメージ、こっちに、のあるものであった。これはお金が

  少し絡んでいる。

  あー、そうですか。世の中値上げばっかりで、負担増になるのでしょうがないですね。もっとも、私はここで

  政府というかお役人のやることの批判はせず、これからもよろしくお願いしますで済ませるのだが。



  なにが経済成長だということになる。「KUSOTTARE」を何回つけてもいいくらいに、多くの人が値上げで、

  あるいは円高で、消費税の値上げで、苦しんでいるのだが、これが経済成長であり、あるいは

  成長経済なのである。


  儲けている人がいればその反対は必ずあるものだ。もうパイは大きくはならず、しぼんでゆくだけ。

  ただの取り合いになるだけである。貧困、格差、差別、結構な制度だ。


  名残でもない雪。




  その一。2月の雪。




  その二。




  その三。




  その四。



  2月27日の太陽。




  その五。




  その六。




  その七。




  その八。




  その九。




  その十。


  少しは暖かくなったかな。しかし、疲労感も激しい。

  ダラダラ書いて申し訳ありませーん。

  笑って書けないところが悲しい。




3月は雨で始まった。3月と気が付いて思うものは。

2015-03-01 07:02:26 | 散策
  2月だと思っている。


  2月とはもうお別れと言う意識がなかった。2月は終わりそうな感じはあったが

  やはりきのうもまだ2月で、もう少し2月があるという気持ちがあった。

  一ヶ月は、少なくとも30日ある。こうゆうものが曖昧ながら確固たる概念として

  古臭い脳の層にこびりついている。


  2月だろうが3月だろうが、という意識もあるが、もっともカレンダは一昨日に3月に変えているし、

  しかしPCで3月を見たのは、先ほどスイッチを入れて初めてである。



  眠っていて、午前1時を過ぎたころ目が覚めた。そのときようやく3月だと思い、

  それまでは0歳だった。いや0歳に戻ったが、3月になると、1歳になるなと

  真剣に思った。


  もう0歳ではない。1歳なのだ。

  猶予はますますなくなる。

  この数字を伸ばすことが、親孝行はもう出来ないが、親のためになる。


  両親の死の時間というのを簡単に思い出すことが出来る。

  苦々しい時間で、最後には真っ暗になり、生きているのが悪い気持ちにもなる。

  これほど親不幸な子もいない。


  考えれば考えるほど、自分のやったことが罪深いものになる。



  朝は短歌で始まった、というのはNHKのEテレだが、新鮮だった。













  カラスが飛ぶ。



  今日は一日雨か。

  起きたときが暗く、でも午前6時に普通に戻った。