光年・千年

纏わりつくが、纏まらないおはなし、日記ふう。

春の苦々しい思い出、今日の日の出のころの好ましい色合い。

2015-03-02 14:02:05 | 散策
  3月にはいっているが、まだ頭は2月でいる。


  入っている、と「かいて」「はいっている」と出る不思議。IMEの調整というか、自分の都合のいいように

  するのはむつかしい。もともと、このプロパティというのも簡単に出るはずだが、どこにあるのか

  かなり探した。ようやくあった。ボケタとも言える。


  検索も、あれどうやってやるのだろう、と首をひねることがあったが、普段やらないことをやると

  XPの時代よりも、むつかしいことをやらないといけない。直感的でないのである。

  理路整然とはこのことだが、それにしても、もともとIMEの勉強だってやったことはない。

  それでもXPでは通用し、『Win 7』だとうまくゆくはずが、どうしてもいかない。


  
  『奨学金』というのがある。これについてまったく知識がなかった。

  それゆえ、大学に入ってから、その制度を知った。自分の無知は棚に上げて、そうゆうものがあるのか、と思い

  次の年に申請したらどうにか当たった。で結局、借金の総額は100万円を超えていた。


  ある時期に、3万円ほどになった。これは一回卒業したからで、さらにこの場合だと、成績だけで決まると

  言うこと。でかろうじてビリッ穴でもらったはずで、頭のいいやつはほかの、もっと有名な大学にいった。

  タナボタである。


  もうほとんど忘れたが、何か紙をもらい、それで銀行までいった。東海地方の、S県の、S市。

  S銀行である。バスでいったと思う。そのときのバス代がいくらかは、思い出せない。

  150円くらいしたかも知れない。最初は、というのは時代が必要だが、省略して、50円だった。

  50円で結構長い時間、バスに乗った。酔っ払って吐きそうになったこともある。

  これはしかし卒業のときかも知れない。そうゆう儀式の後。



  で、月にそれだけの額は必要はなかった。だが貯めるものでもなく、もちろんなくなった。

  学校は終わって、どうにか就職はしたが、毎年10万円は返したと思う。

  この額は高いかどうか、はっきりしない。もちろん全部返したが、あんまり役に立たなかった。

  授業料も上がったし、まー涙も情けもないシステムに大学も変わってゆく。


  最初に時計を買った。こんなものは必要はないのだが、というのももちろんすでに持っていたからで

  でも買った。S社のもので、安くはなかった。これは秒針が付いていて、まさかこれがポロリと外れるという

  予想はなかった。これが原因で、長針短針もうまく動かないようになって、大体そのときは買ったところと

  関係ない場所に住んでいたし、結局、直すこともなく、当時すでに出ていた、デジタルものを買った。


  奨学金というのは今はいくらくらいか知らない。

  姪っ子も、この奨学金をもらっていた。私の場合、一部は完全にもらった。返さなくていい額があった。

  しかし姪っ子は教職とかつく気もなく、でも奨学金は当たって、安くない授業料を払って、更に下宿代を

  払えば、もうそれも消えたようなことをいっていたと思う。たぶんそんな感じだ。

  それだけで生活は出来なかったはずで、いくらかバイトもしたとは言っていたが、どうも体調もよくは

  なかったらしく、フランス語の試験は、白紙で出したという。なかなかである。

  もっとも名前は書いた。


  たまにここのいえに来る。今でも、学校はずるいという。学校というより奨学金の制度、あるいは授業料の高さに

  だろう。それゆえ、まだ借金は残っているのだろうと思う。そのはずである。総額を聞いたような気もするが。

  いずれにしろ、貧乏人にというか、金を稼ぐ能力はすでに、学校時代から必要とされていたのである。

  逆に言うと、学校に行くのにバカみたいに高い金を払わないといけない。これが大学のやることか。



  あからさまに大学は金儲けをやっている。なかなか私の時代では考えられないことだ。今の時代はなおさらの

  ことだろう。

  私の感覚だと、これも理解されないだろうが、休講という張り札があると、嬉しかったものだ。もともと

  そんなに勉強勉強がおもろいわけがない。そんな人はもっといい大学にいっている。あるいは学校など

  いかなくて独学でもいい。でも今はあからさまに違うと思う。そんな休講とあったら授業料返せというところだ。


  学校は、特に大学は遊園地とかデズニーランドだと親御さんが考えたときもある。でももう遅い。子は子。で親は親で

  金を払ってあげないといけない。この感覚はしかし、2000年以前でのものである。


  なるほど、今の若い人の金銭感覚はわからないが、ブラックだろうが勤めないといけない。どうにか喰うだけの金は

  稼がないと言う意識は強いようだ。しかし、それ以上に、会社というか企業というか、雇用をする側は、厳しい考えを

  持っているようである。そこまでやる。


 
  1970年と言う年は、あるいは71年か72年かな、結構世の中ひっくり返ることは多かった。バカみたいに、ものの値が

  上がった。トイレットペーパーがなくなった。洗剤もなくなった。みな買い物に走った。

  トイレットペーパーがなくなって、いざというときは結構来るがどうしていたか、だがあまり悩むことはなかった。

  これもおかしな話だが、そうゆう狂想曲を、今もなお求めているのかな。

  いかにもマイルドに書いているが、私は現実をあまりにも知らないようだ。


  しかしある面では、そんなことが本当にあるのか、疑っている。これにネットがあり、TVがあり、マスコミがあって

  国際社会があって。東西に、ロシア連邦とアメリカ合衆国がある。だんだんと後ろのほうに行くにしたがって

  なにが本当かわからないという感じだ。



  今日も苦々しい思いを書かないといけない。もっともそれでどうにかなるか。これがどうにもならない。

  自分の首を絞めているようなものだが、今日はお日様はたまに出る。


  朝TV、新聞はまだ、PR誌はちょっと。ほか、米を作っている、近くの人に、おおらかに現実を聞いた。

  相手もオトナだから、どのくらいに信じていいものかはわからんが。

  でもどう考えても、合わないというのがわかった。彼はもともとは誠実な人柄。

  謎は解けたが、でも金がどこにあるのかもはっきりとした。





  その一。これはきのう。雨はユルユルとたっぷりと降りました。このときはたしかに寒かったのだけど
  心の内では、木々の芽生えにやさしい雨とかは思っていたのは事実。




  その二。鳥三羽。オナガだろう。



  今日の朝、自転車操業。




  その三。




  その四。




  その五。これくらいかな、なんか来るものは。でもこうゆうのは一枚でいい。




  その六。

    


  その七。西の空、しぐれがかる。




  その八。色はかなり好ましいのだが、それがうまく出ない。




  その九。透明感は圧倒だが、目で見ているとかなり涼しい心地になれるが、画像は今ひとつ。



  今日も晴れたり曇ったりで、でもはるかにきのうよりはよく、花粉症の症状はでもこわい。


  春だからといって気を緩めると、こりゃ大変なことになる。


 


明るく、晴れそう、寒さも吹き飛ぶかな

2015-03-02 07:08:17 | 散策
  天気は回復、もうお日様は出た。


  今日は私のほうが完全に時間に遅れた。時間が逃げる。寝坊もした。足がつった。

  こむらがえり。


  きのうは、午後も雨雨雨で、愕然とすることも多く、コタツTV。

  一応受信料も払っているし、一応はないか、ちゃんとだ。

  自動で振込みになっている。勝手に落ちてゆく。あーまた数字が減ってゆく。


  午後3時半、ようやく気持ちは落ち着いたが、外はまだゆったりたっぷりの雨。


  ここでようやくコタツTV。


  空襲、もちろん知らない。空襲は東京から始まったのか。

  60年前という。今年は70年だから、2005年製作のもの。アーカイブス、これも英語でかけない。

  極東軍事裁判のドキュメントも見たい。30歳ごろに一回見たが、結構長く感じた。


  
  3月は浮かれているときでなく、3.11がある。本物のリアルタイムの映像は、カメラも宙を浮くが、

  想像はなかなか出来ない。それに自分を当てはめたりして、どう考えてもだめだなという方向へと。

  しかし生き残った人のことを考えるべきで、そのあとは今に続くが、キズは消えないだろう。


  狩猟生活。さすがに生き物、それも大きいものは衝撃。

  私はウサギはやったが、これも若いときだし、しょうがなくやった。

  しかし命を頂いてというのは、人に共通で、やはり目を背けるものではないな。

  みな短い時間だがやけに長かったようにも。


 
  トキオのみなさんは、毎度世界で一番高くつくように思える食事を作っていて、

  それにしても、彼らくらいに何でも出来る人たちは他にいないのではないか。


  夜も8時半を過ぎて、そのころやけに身体は暖かくなって、布団の熱が冷めるのを待った。


  日の出の様々。














  完全に出遅れた。