ハクモクレンは咲いているかもと思った。
咲きそうだが、咲かない、というか咲いていない。
ハクモクレンが咲くと、その白い花の大きさのせいで
遠くからでもそこがボウッと白くなる。これはなかなか見ごたえがある。
赤い紫の、シモクレンなども咲くと、これまた一興だが、
咲いていなかった。
白い梅は今日としては青い方の空に咲いていて、
透明感のある美しさを呈している。
グチャグチャとないだけに、まー星のような感じもする。
昼間に見える、星のような白い、半透明の梅。
何で咲いていない、とか思うものだ。
去年の秋にもう蕾はあったのだが。
色合いはまた回復した。雪のひどいときは、蕾の変化はなく
2月の後半は生き生きとしていた。それから、一ヶ月以上たつが
咲かない。
まさか桜と同じ時間というころに咲くとかはないだろう。この先
お天気はコロコロ変わるからなんとも言えないが、少なくとも一週間以内に
は咲くのではないか。
カエデの新芽、というのも遅い。
赤く新芽はある。カエデの芽吹きというと、他にケヤキ、それと
イチョウがある。
いろいろ、花を探して思いの他、時間がたっていて慌てて時計を見て
帰って来た。それでも、ここの梅の前では立ち止まった。すぐそばだから。
空の透明感、空の青さ、梅の白さも太陽光を遮ることは出来ないようだ。
ちょっとずつ角度を変えて。
もうすこし空は青くてもいいかな。
枝の近くのものの、花。
あれとこれと、という感じ。手元まで伸びている枝に咲く花は意外と
少ないなー。
ボケ模様も少しだけ写る。
今日も夕日が地平辺りの上にあるのを見ていて、でもそうは暖かくはないから
これはいけない、冷えそうだと思い、窓を閉めた。そういえばもう春分は過ぎた。
太陽は真西よりも北側に沈んで、今日はよく見えていたので、地平の上の
割りと低めの山の姿もあった。太陽は、地平の上の山の端に沈んでゆく。
太陽が出てくるのも、山々の稜線からで、いってみるとここは回りを
海と山に囲まれて、扇状地のようで、どこかに逃げてゆくというのも大変なところ。
川中島でもある。
新潟の方からだと、北陸本線は、たしか直江津から始まるわけだが、
それで冬などは、長野辺りを越えて、妙高高原を経て、高田の辺りまで来るとまずは
一安心し、でもその先で、雪で動けないとかいう可能性はやはりあるのである。
日本海に出ると、線路は海岸線を走っている。もう夜だとよっぽどのことでないと
荒れ狂う海など見ることもなく、車内でただただ時間がたつのを待つだけである。人は
例えば軽井沢では降りないだろう。長野でも少なく、その先の、黒姫、妙高高原、
関山、新井、高田などが多かったか。直江津を過ぎると、もう各車両に残る乗客の数は
かなり減ったかも知れず、でも暮れだとわからない。
逆の金沢始発の列車は正月はすでに富山では自由席は満席という場合が多かった。乗車率
というのは自由席でしかなく、たった三両。概して指定席など座ったことはない。
冬の日本海はこれまた穏やかなときはあるのだろうが、昔に乗っていた、列車の窓からの
それを見ることが出来たとしても、線路の脇の波除かあるいは砂利まで洗われた気がする。
波の怖さとかは感じず、いい景色でもないが、日本海だとかは思った。青海、親不知、辺りの
山肌の風景もこれもまさしく荒涼とするもので、でも恐怖感というものはなかった。
遠い昔の人々はこの海と山の迫り来るところを命がけで歩いたのだろうが、そうゆうことを
思い浮かべることも、これなかった。
ただただ、ガタガタと揺れる列車の中で時間が過ぎてゆくのを待って、もう子供の
ときのような、乗り物に乗る楽しさもなかったものだが、
そうゆうことをもう一度くらい経験してみるのもいいものだなとか思うのは、
こんな思い出話を書くようにしたのは、これは夕日のせいだろう。
咲きそうだが、咲かない、というか咲いていない。
ハクモクレンが咲くと、その白い花の大きさのせいで
遠くからでもそこがボウッと白くなる。これはなかなか見ごたえがある。
赤い紫の、シモクレンなども咲くと、これまた一興だが、
咲いていなかった。
白い梅は今日としては青い方の空に咲いていて、
透明感のある美しさを呈している。
グチャグチャとないだけに、まー星のような感じもする。
昼間に見える、星のような白い、半透明の梅。
何で咲いていない、とか思うものだ。
去年の秋にもう蕾はあったのだが。
色合いはまた回復した。雪のひどいときは、蕾の変化はなく
2月の後半は生き生きとしていた。それから、一ヶ月以上たつが
咲かない。
まさか桜と同じ時間というころに咲くとかはないだろう。この先
お天気はコロコロ変わるからなんとも言えないが、少なくとも一週間以内に
は咲くのではないか。
カエデの新芽、というのも遅い。
赤く新芽はある。カエデの芽吹きというと、他にケヤキ、それと
イチョウがある。
いろいろ、花を探して思いの他、時間がたっていて慌てて時計を見て
帰って来た。それでも、ここの梅の前では立ち止まった。すぐそばだから。
空の透明感、空の青さ、梅の白さも太陽光を遮ることは出来ないようだ。
ちょっとずつ角度を変えて。
もうすこし空は青くてもいいかな。
枝の近くのものの、花。
あれとこれと、という感じ。手元まで伸びている枝に咲く花は意外と
少ないなー。
ボケ模様も少しだけ写る。
今日も夕日が地平辺りの上にあるのを見ていて、でもそうは暖かくはないから
これはいけない、冷えそうだと思い、窓を閉めた。そういえばもう春分は過ぎた。
太陽は真西よりも北側に沈んで、今日はよく見えていたので、地平の上の
割りと低めの山の姿もあった。太陽は、地平の上の山の端に沈んでゆく。
太陽が出てくるのも、山々の稜線からで、いってみるとここは回りを
海と山に囲まれて、扇状地のようで、どこかに逃げてゆくというのも大変なところ。
川中島でもある。
新潟の方からだと、北陸本線は、たしか直江津から始まるわけだが、
それで冬などは、長野辺りを越えて、妙高高原を経て、高田の辺りまで来るとまずは
一安心し、でもその先で、雪で動けないとかいう可能性はやはりあるのである。
日本海に出ると、線路は海岸線を走っている。もう夜だとよっぽどのことでないと
荒れ狂う海など見ることもなく、車内でただただ時間がたつのを待つだけである。人は
例えば軽井沢では降りないだろう。長野でも少なく、その先の、黒姫、妙高高原、
関山、新井、高田などが多かったか。直江津を過ぎると、もう各車両に残る乗客の数は
かなり減ったかも知れず、でも暮れだとわからない。
逆の金沢始発の列車は正月はすでに富山では自由席は満席という場合が多かった。乗車率
というのは自由席でしかなく、たった三両。概して指定席など座ったことはない。
冬の日本海はこれまた穏やかなときはあるのだろうが、昔に乗っていた、列車の窓からの
それを見ることが出来たとしても、線路の脇の波除かあるいは砂利まで洗われた気がする。
波の怖さとかは感じず、いい景色でもないが、日本海だとかは思った。青海、親不知、辺りの
山肌の風景もこれもまさしく荒涼とするもので、でも恐怖感というものはなかった。
遠い昔の人々はこの海と山の迫り来るところを命がけで歩いたのだろうが、そうゆうことを
思い浮かべることも、これなかった。
ただただ、ガタガタと揺れる列車の中で時間が過ぎてゆくのを待って、もう子供の
ときのような、乗り物に乗る楽しさもなかったものだが、
そうゆうことをもう一度くらい経験してみるのもいいものだなとか思うのは、
こんな思い出話を書くようにしたのは、これは夕日のせいだろう。