相変わらず、「寒い」というのが本音。
いったいに暖かいという日があったのか、とお天気に
文句をいいたいくらいで、たしかにそうゆう日はあった。
真冬に比べて、今年のそれは厳しかったが、たしかに
そのときよりは、ましだが、人にリズムというか周期はある。
概して、寒いときは寒さに耐え、暑いときはそれに耐えられるように
出来ているようで、
その中間の春と秋は、結構それなりに弱弱しくもなるように
出来ている。
いつも、人の体にいろいろホルモンがあっても、何かに
耐えられるホルモンが出ているとかいうことは、ないだろう。
途中で、弛緩する。だから、暖かさ、程ほどの
涼しさ、程ほどのものが味わえる。
そうでないと、秋も春もただただ過ごしにくい時間とならないか。
緊張するなといっても、体は寒さに耐えようとする。
和やかさというものもなくなるというものだ。
お天気サマサマである。
今は西の空は明るい。豹変するのである、お天気は。
タイトルはむつかしい。適当にそのときに決められるものでも
ないようで、でもまーこのタイトルはそのままである。
春の花、雪の下にあったものは、サンシキスミレ、パンジー。
雪の下の地面にあったものは、出て来たクロッカスのまだ小さいもの。
これがやけに小さい。背も小さい。花も小さい。ちょうど
カメさんのレンズに合っているか。背の高さは5、6cm。
雪の下にあったときは、もう出て来れないとか思うのだけど。
いやーいい色合いです。このパンジーの強さ。
結構苦しい姿勢だべ。体育座り、体育館座りか、もうずっと前から、
出来ない。ホットな話題でもある。
何しろ、地上より数cmの高さ。
青い色もはっきりとする。これはソフトで色変換に耐えられるだけの
情報があったからで、生き物だなー。
これも思いの外、意外と色濃いものがあった。真っ暗にはならなかった。
より黒いパンジーもあった。が、それはあまりに黒っぽくなって、
割愛。黄色いものも。
クロッカスも、結構小さい。これはもう何度か出ていて、でも
クロッカスの花が咲くところは、球根があってというのは当然だが、
花まで出ているのは少ない。
色の淡いもの。このままだろう。
横から。高さは10cmはない。
オレンジ色。
小さいけど、太陽の色のクロッカスだから、暖かみがある。
もう一度、淡い紫の、クロッカス。
ここだと、他に真っ白なクロッカスも出てきている。でもまだ細いままで
花らしいというところまではゆかない。
まー春らしい感じのない春で、でも選抜の高校野球が開催されているのは
かなりありがたい感じはある。
TVで、今はかなり少なくなった、例えば大地震のそのときの被災の様子。
大津波とか、それから大きな揺れの再現とか、それが繰り返し放送されると
いうことは今はなくなった。それだけでもいいとしないといけない。
母はほとんど一日、TVを見ているような生活で、でも感情があるようなあるいは
ないようなときも伺われるが、
あの大地震の繰り返し放送されるVTR をずっと見ていた。それで目に涙を溜めて
いるのである。そうしながらも、やっぱりTVはないとだめらしく
涙をときに拭きながら、感情があるようなないような状況で、あり続ける。
泣きながらなら、見ないほうがいいだろう。そう思うが、そこが本人とは違う。
それで、ようやく、いつものTVが戻りつつある。夜はバラエティー番組を
見ているようで、でもときどき緊急で、例えば原発関連のニュースは入る。
被災された方が今どのような状態にあるか、そうゆう新しい段階に入った
困難さを見ていて、でもこれは見ていて涙を誘うものだが、決して耐えられない
とかいうものではない。こうゆうものは私もそのとき、真剣に見入ったりもする。
で、どうゆうことにこの先になるか、より深刻な問題は増えてくるだろう。
バラエティー番組と、深刻さの増す現実のなか、TVとはいえ引き裂かれる感じはある。
未来が少し見えそうになるときもあるが・・・。
高校野球が始まって、それを見ている母の姿を見ると、少しだけ安堵感もある
ようだ。それは自分自身でも感じられる。
様々な問題はそこに転がっているが、高校野球で救われるものはあるだろう。
で、今日のように寒い日になると、当然「寒い」とかいって機嫌の悪くなる
ときもあるが、
こうゆう生活反応はあった方がいい。多少は嫌な感じを私は持つが、
それでいい。
いったいに暖かいという日があったのか、とお天気に
文句をいいたいくらいで、たしかにそうゆう日はあった。
真冬に比べて、今年のそれは厳しかったが、たしかに
そのときよりは、ましだが、人にリズムというか周期はある。
概して、寒いときは寒さに耐え、暑いときはそれに耐えられるように
出来ているようで、
その中間の春と秋は、結構それなりに弱弱しくもなるように
出来ている。
いつも、人の体にいろいろホルモンがあっても、何かに
耐えられるホルモンが出ているとかいうことは、ないだろう。
途中で、弛緩する。だから、暖かさ、程ほどの
涼しさ、程ほどのものが味わえる。
そうでないと、秋も春もただただ過ごしにくい時間とならないか。
緊張するなといっても、体は寒さに耐えようとする。
和やかさというものもなくなるというものだ。
お天気サマサマである。
今は西の空は明るい。豹変するのである、お天気は。
タイトルはむつかしい。適当にそのときに決められるものでも
ないようで、でもまーこのタイトルはそのままである。
春の花、雪の下にあったものは、サンシキスミレ、パンジー。
雪の下の地面にあったものは、出て来たクロッカスのまだ小さいもの。
これがやけに小さい。背も小さい。花も小さい。ちょうど
カメさんのレンズに合っているか。背の高さは5、6cm。
雪の下にあったときは、もう出て来れないとか思うのだけど。
いやーいい色合いです。このパンジーの強さ。
結構苦しい姿勢だべ。体育座り、体育館座りか、もうずっと前から、
出来ない。ホットな話題でもある。
何しろ、地上より数cmの高さ。
青い色もはっきりとする。これはソフトで色変換に耐えられるだけの
情報があったからで、生き物だなー。
これも思いの外、意外と色濃いものがあった。真っ暗にはならなかった。
より黒いパンジーもあった。が、それはあまりに黒っぽくなって、
割愛。黄色いものも。
クロッカスも、結構小さい。これはもう何度か出ていて、でも
クロッカスの花が咲くところは、球根があってというのは当然だが、
花まで出ているのは少ない。
色の淡いもの。このままだろう。
横から。高さは10cmはない。
オレンジ色。
小さいけど、太陽の色のクロッカスだから、暖かみがある。
もう一度、淡い紫の、クロッカス。
ここだと、他に真っ白なクロッカスも出てきている。でもまだ細いままで
花らしいというところまではゆかない。
まー春らしい感じのない春で、でも選抜の高校野球が開催されているのは
かなりありがたい感じはある。
TVで、今はかなり少なくなった、例えば大地震のそのときの被災の様子。
大津波とか、それから大きな揺れの再現とか、それが繰り返し放送されると
いうことは今はなくなった。それだけでもいいとしないといけない。
母はほとんど一日、TVを見ているような生活で、でも感情があるようなあるいは
ないようなときも伺われるが、
あの大地震の繰り返し放送されるVTR をずっと見ていた。それで目に涙を溜めて
いるのである。そうしながらも、やっぱりTVはないとだめらしく
涙をときに拭きながら、感情があるようなないような状況で、あり続ける。
泣きながらなら、見ないほうがいいだろう。そう思うが、そこが本人とは違う。
それで、ようやく、いつものTVが戻りつつある。夜はバラエティー番組を
見ているようで、でもときどき緊急で、例えば原発関連のニュースは入る。
被災された方が今どのような状態にあるか、そうゆう新しい段階に入った
困難さを見ていて、でもこれは見ていて涙を誘うものだが、決して耐えられない
とかいうものではない。こうゆうものは私もそのとき、真剣に見入ったりもする。
で、どうゆうことにこの先になるか、より深刻な問題は増えてくるだろう。
バラエティー番組と、深刻さの増す現実のなか、TVとはいえ引き裂かれる感じはある。
未来が少し見えそうになるときもあるが・・・。
高校野球が始まって、それを見ている母の姿を見ると、少しだけ安堵感もある
ようだ。それは自分自身でも感じられる。
様々な問題はそこに転がっているが、高校野球で救われるものはあるだろう。
で、今日のように寒い日になると、当然「寒い」とかいって機嫌の悪くなる
ときもあるが、
こうゆう生活反応はあった方がいい。多少は嫌な感じを私は持つが、
それでいい。