お天気は雨。
風は今のところ、おさまった感じがある。
低気圧による雨のようで、これが過ぎ去ると
後に控える高気圧は、移動性になって、
少しだけ暖かくなる、とか思える。
でも明日は雨で寒い。
もも色のツバキ。
ツバキかどうか、サザンカかも知れない、という不安は
あるが時期とか、葉の色とか、花の様子からツバキの
方がいいような。そうゆう不安とため息。
ちょうど北側からとなって、ツバキの様子も若干逆光から見ることに。
花の色はもも色で、これももう少し肉眼で見ていたほうがよかった。
花びらなど、どうしても傷みが出るのは、冬の厳しさの名残だろう。
例えば冬に咲くように出来た、そうゆうチューリップがあるが、
あまりの寒さにその花びらは萎縮したが、それとこのもも色の
ツバキの花びらは、感じが似ている。
書き忘れたが、ツバキの花に、虫がいる。花に蜘蛛がいるのはあまり
見かけないようで、例の緑色の蜘蛛は多めだ。
ここのツバキの花にいる虫は小さいハエか、アブか、蚊かなー。
スイセンのように地面すれすれにあると、蟻も花の蜜を求めているのかどうか
わからないが、いるのは感じで蟻だ。この花は高く、いるのは蚊のようだ。
もうすこし、フンワリとすっきりとした花びらがあればと思うが。
いずれも、これまでの冬の寒さ、それに春の春らしくない、不順な天候の
せいか、ちょっと残念な花の咲きかた。
きっとツバキもため息をつき、これを見てもうすこしなんとかとか、やはり
ため息をつく。
大地震で被災。大津波の破壊力は凄まじく、また揺れの続くところでの毎日を
過ごされる方のことを思うとなかなか、言葉も出ないというしかない。
段々と深刻になるレポートがTVで紹介されて、思うように復興というものが進まない
というのがよくわかる。ものも手が届くところまでなかなかいかない。あるところ
までは来ていて、そこに積まれていても、その先にゆかないのだ。
大地震で、原発も被害を受けたが、結果起こった原発の事故が、今度はあまりに普段は
考えない、閉じ込められているはずの放射性物質の、地域への放出ということがついに
現実になって、世の中、新たに難題を抱えることに。これは困った、というのが本当で
でもこれは相当深刻になりつつある。どうなるのか。
しかし特に普段感心もない「もの」について何かいうということも妙な気もする。でも黙って
いるというのも妙といえば妙だ。
ここは富山だから、放射性物質がすぐに影響するとかいうことはない。そうゆう安心感はある。
もしここが関東圏で、さらに原発の南側に位置しているとすると、それは結構な不安感は感じる
だろう。そうでなくても、大気中に放出された放射性物質は、どんどんと拡散して広がっていく。
その方向にここがないとか言えないものがある。偏西風は字の通り西から東へ流れているようで
でも、放射性物質の三次元的な存在の現状は、そうは簡単ではなく、いつどこでそれが人に有害
とされる値が観測されないともいえない。
どうゆう放射性物質があるか。これと最近よく出る単位である、「ベクレル」は関係する。ある、
放射性物質についてベクレルという値は観測される。それと人がどれだけの放射線量を受けたか
ということを現わす、シーベルトという単位は、すぐに簡単にベクレルから換算されないという
のがようやくわかった、という気がする。同じものではない!とはそうゆうことか、という感じだ
が・・・。
まだその程度である。
ある放射性物質のベクレル値から、人の受ける放射線の量が出るのはわからないでもないが、
まだ換算というところで、何十年という人の一生があるわけで、それを考慮されたものだとは
いいながら、なんどもこれから続くであろう、放射性物質との接触とか、あるいは吸収とかが
続くとすると、やっぱりその辺りで矛盾みたいなものがありそうな感じがあって、この疑問符は
消えないなー。
風は今のところ、おさまった感じがある。
低気圧による雨のようで、これが過ぎ去ると
後に控える高気圧は、移動性になって、
少しだけ暖かくなる、とか思える。
でも明日は雨で寒い。
もも色のツバキ。
ツバキかどうか、サザンカかも知れない、という不安は
あるが時期とか、葉の色とか、花の様子からツバキの
方がいいような。そうゆう不安とため息。
ちょうど北側からとなって、ツバキの様子も若干逆光から見ることに。
花の色はもも色で、これももう少し肉眼で見ていたほうがよかった。
花びらなど、どうしても傷みが出るのは、冬の厳しさの名残だろう。
例えば冬に咲くように出来た、そうゆうチューリップがあるが、
あまりの寒さにその花びらは萎縮したが、それとこのもも色の
ツバキの花びらは、感じが似ている。
書き忘れたが、ツバキの花に、虫がいる。花に蜘蛛がいるのはあまり
見かけないようで、例の緑色の蜘蛛は多めだ。
ここのツバキの花にいる虫は小さいハエか、アブか、蚊かなー。
スイセンのように地面すれすれにあると、蟻も花の蜜を求めているのかどうか
わからないが、いるのは感じで蟻だ。この花は高く、いるのは蚊のようだ。
もうすこし、フンワリとすっきりとした花びらがあればと思うが。
いずれも、これまでの冬の寒さ、それに春の春らしくない、不順な天候の
せいか、ちょっと残念な花の咲きかた。
きっとツバキもため息をつき、これを見てもうすこしなんとかとか、やはり
ため息をつく。
大地震で被災。大津波の破壊力は凄まじく、また揺れの続くところでの毎日を
過ごされる方のことを思うとなかなか、言葉も出ないというしかない。
段々と深刻になるレポートがTVで紹介されて、思うように復興というものが進まない
というのがよくわかる。ものも手が届くところまでなかなかいかない。あるところ
までは来ていて、そこに積まれていても、その先にゆかないのだ。
大地震で、原発も被害を受けたが、結果起こった原発の事故が、今度はあまりに普段は
考えない、閉じ込められているはずの放射性物質の、地域への放出ということがついに
現実になって、世の中、新たに難題を抱えることに。これは困った、というのが本当で
でもこれは相当深刻になりつつある。どうなるのか。
しかし特に普段感心もない「もの」について何かいうということも妙な気もする。でも黙って
いるというのも妙といえば妙だ。
ここは富山だから、放射性物質がすぐに影響するとかいうことはない。そうゆう安心感はある。
もしここが関東圏で、さらに原発の南側に位置しているとすると、それは結構な不安感は感じる
だろう。そうでなくても、大気中に放出された放射性物質は、どんどんと拡散して広がっていく。
その方向にここがないとか言えないものがある。偏西風は字の通り西から東へ流れているようで
でも、放射性物質の三次元的な存在の現状は、そうは簡単ではなく、いつどこでそれが人に有害
とされる値が観測されないともいえない。
どうゆう放射性物質があるか。これと最近よく出る単位である、「ベクレル」は関係する。ある、
放射性物質についてベクレルという値は観測される。それと人がどれだけの放射線量を受けたか
ということを現わす、シーベルトという単位は、すぐに簡単にベクレルから換算されないという
のがようやくわかった、という気がする。同じものではない!とはそうゆうことか、という感じだ
が・・・。
まだその程度である。
ある放射性物質のベクレル値から、人の受ける放射線の量が出るのはわからないでもないが、
まだ換算というところで、何十年という人の一生があるわけで、それを考慮されたものだとは
いいながら、なんどもこれから続くであろう、放射性物質との接触とか、あるいは吸収とかが
続くとすると、やっぱりその辺りで矛盾みたいなものがありそうな感じがあって、この疑問符は
消えないなー。