9月、ででも、もうおしまい。
西の空は晴れて夕焼け、日の入りの太陽は雲に隠れて見えない。
そういえば、午後の4時にもう暗くなるという、秋がある。
それを思うと、まだ明るい。
小さな花。こうゆうお天気で、みみっちい話し、咲く花、そこにまだある、あり
がたい花、これを丁寧に一つひとつ撮るとかいうことはできないが、そうゆうことも必
要かと思う。さらに普段は無視している段々と見えなくなる、老眼で、そうゆう花も
そこにあるからボタンも押してみる。
落穂拾いのようで、こちらで勝手な判断をする。動揺とかいうけど、そこまでい
かない。数を撮ってというのは昔からのスタイル。でも何かは変で、自分か自然界全体
か。
ケイトウ。このとき小さめのケイトウを選んだ。それでも花は大きい。
でも花というのも、全体でも花で、一つひとつも花。そうゆうものは
小さい。どうしても理屈が付いてまわる。大きい花も同じだ。
ヒャクニチソウ。
赤い花で、寄せ植えとかのものに多い。大体こうゆう小さい花がたく
さん、空中のあるいは地上の丸いプランタにある。
オキザリス。この花にシジミチョウのひとつも止まっていていいと思
うが。そうゆう花がない。
この辺りから、より小さい花とか思う。今はタンポポも咲いていない。
咲いているものも小さい。そうゆうものもようやく少しずつ出てきて、
それよりはるかに小さい黄色い花。花の造りはオキザリスに似ている。
上の花の横の白い花はもっと小さい。でも肉眼でなかなかわからない
もの。黄色い花への接近と、蕾と思えるもの。
タンポポを見ていて、これまで登場した花よりさらに小さいというもの
がありそうで、やっぱりかなり小さい。
そろそろ元気をなくす、ニラの花にセセリチョウで、後のほうにより
小さいチョウがいる。ときどき離れて、また後にいる。こっちの方が
随分と小さいが、前にいるのがメスで、後はオスかなー。
シバザクラも少しだけ咲いていた。
9月もおしまいか。上旬は真夏の暑さで、いったいにどうなるか不安もあったが暑す
ぎるという不安というのは意外と楽天的というか、暑くてどうにもならないのは事実だ
が、物思いにふけるとかいうことはないな、と中旬になって、急に秋らしさが少しだけ
来たときふと思った。寒すぎる冬はどうだろうか。たしかにこれはあかん、このままで
は死んでしまう。なんとか生き抜かないとだめだとかいう気にもなって、これも物思いに
ふけるような時期ではない。極端な気候というのはどちらも緊張を強いられて、それゆ
えの生きにくさもあるものだが、これでくたばれないという気も働く。それで、
その反対の気候になると、これから先は寒い寒い冬が来るわけだけどあー、そういえ
ば夏は暑かった。暑かったが、あの暑さが不思議と懐かしい。いやいや恋しいとか思う
ので、これがまた傑作なのである。この点、
過ごしやすいとされる春と秋は、いかにも希望があるようで、また創作とか、錯綜と
いうものもあるようで。
ここで電話が入って、いろいろとゴタゴタと話しをしたもので、いったいに何を
思っていたのか、秋とはそうゆう風な、前もってわかってもいるようでわからない、摩訶
不思議な出来事が起こるということで、
ムジャムジャで終わらないといけない。それにしても創作ではなく、錯綜する昨
今。
西の空は晴れて夕焼け、日の入りの太陽は雲に隠れて見えない。
そういえば、午後の4時にもう暗くなるという、秋がある。
それを思うと、まだ明るい。
小さな花。こうゆうお天気で、みみっちい話し、咲く花、そこにまだある、あり
がたい花、これを丁寧に一つひとつ撮るとかいうことはできないが、そうゆうことも必
要かと思う。さらに普段は無視している段々と見えなくなる、老眼で、そうゆう花も
そこにあるからボタンも押してみる。
落穂拾いのようで、こちらで勝手な判断をする。動揺とかいうけど、そこまでい
かない。数を撮ってというのは昔からのスタイル。でも何かは変で、自分か自然界全体
か。
ケイトウ。このとき小さめのケイトウを選んだ。それでも花は大きい。
でも花というのも、全体でも花で、一つひとつも花。そうゆうものは
小さい。どうしても理屈が付いてまわる。大きい花も同じだ。
ヒャクニチソウ。
赤い花で、寄せ植えとかのものに多い。大体こうゆう小さい花がたく
さん、空中のあるいは地上の丸いプランタにある。
オキザリス。この花にシジミチョウのひとつも止まっていていいと思
うが。そうゆう花がない。
この辺りから、より小さい花とか思う。今はタンポポも咲いていない。
咲いているものも小さい。そうゆうものもようやく少しずつ出てきて、
それよりはるかに小さい黄色い花。花の造りはオキザリスに似ている。
上の花の横の白い花はもっと小さい。でも肉眼でなかなかわからない
もの。黄色い花への接近と、蕾と思えるもの。
タンポポを見ていて、これまで登場した花よりさらに小さいというもの
がありそうで、やっぱりかなり小さい。
そろそろ元気をなくす、ニラの花にセセリチョウで、後のほうにより
小さいチョウがいる。ときどき離れて、また後にいる。こっちの方が
随分と小さいが、前にいるのがメスで、後はオスかなー。
シバザクラも少しだけ咲いていた。
9月もおしまいか。上旬は真夏の暑さで、いったいにどうなるか不安もあったが暑す
ぎるという不安というのは意外と楽天的というか、暑くてどうにもならないのは事実だ
が、物思いにふけるとかいうことはないな、と中旬になって、急に秋らしさが少しだけ
来たときふと思った。寒すぎる冬はどうだろうか。たしかにこれはあかん、このままで
は死んでしまう。なんとか生き抜かないとだめだとかいう気にもなって、これも物思いに
ふけるような時期ではない。極端な気候というのはどちらも緊張を強いられて、それゆ
えの生きにくさもあるものだが、これでくたばれないという気も働く。それで、
その反対の気候になると、これから先は寒い寒い冬が来るわけだけどあー、そういえ
ば夏は暑かった。暑かったが、あの暑さが不思議と懐かしい。いやいや恋しいとか思う
ので、これがまた傑作なのである。この点、
過ごしやすいとされる春と秋は、いかにも希望があるようで、また創作とか、錯綜と
いうものもあるようで。
ここで電話が入って、いろいろとゴタゴタと話しをしたもので、いったいに何を
思っていたのか、秋とはそうゆう風な、前もってわかってもいるようでわからない、摩訶
不思議な出来事が起こるということで、
ムジャムジャで終わらないといけない。それにしても創作ではなく、錯綜する昨
今。