暑いかといわれると、暑い、という感じで、いまはもう夕方。日がそろそろ沈みそ
うな時間で、風が窓から入ってきて、少しムシムシとした暑さもなくなる感じがあって、
でも、まだ平年の気温よりは高い。ということだから、さほど気温が下がっても、涼しい
と一日を通して感じることはない。
怖いのは、先の話しで笑われそうだが、大冬で、あって大雪である。
きのう、立山連峰の朝の様子、太陽の輝く空の下の、雲のかかった立山連峰の、遠景
を出す予定だったが、その時間がなった。それで今に。
まだ台風9号のさほどの影響はなかった。朝の光が強くて、それで、3000m
級の、立山連峰の上には、程ほどに面白そうな雲が発生していた。
山の頂に近付くにつれて、雲と山が渾然一体となっている。こうゆう
ところは肉眼で見ている方がはっきりとする。
山の頂の上に、何雲というのか、レンズのような雲が結構多くある。
もう少し大きくと思っていたが、さほどは大きくはなっていない。
これが大きかった。
明るいところ、暗めのところ。
太陽はギラリと光り、もしかして高層の雲は氷のようなもので出来て
いるかも知れない、と思うとき、その温度差は感じられる。空の上の方
は、氷点下の世界。どっちがいいか。
今日は、朝方はまだ天気がはっきりせず、もしかしてぐずつく感じかと思ったが、その
後といっても何時か覚えていないが、晴天域が多くなり、何しろいつもの歩く時間という
ときは、まったくの晴れで、それで、この二日間は少なくとも少しばかり涼しい気候を味わ
って、でももうそれに慣れてそれが当たり前だと体は思うから、一歩外に出てみると、真夏
の暑さを感じた。なんだ、やっぱり瞬間の秋だったのだな、というのが印象深い。もっと
も、一番暑いときでもあるから、このようなときにのそのそ歩きにゆくというのも、考え
てみるとおかしいが、これも昔からの習慣になっている。
その通り暑い。暑いが、視界はよかった。建設中の橋だ、というのも肉眼で見えた。
あの程度の橋で、でも海を跨いでいるのだから、その上にゆくときっとかなりの爽快感
と、高所恐怖感を味わうことが出来るだろう。そう思いつつ、いつものようにダイズ畑を
撮っていた。麦畑でもなく、またイネの頭の垂れるところでもなかった。大豆、ダイズ。
この大豆をよく食べている。納豆に、豆腐に、そのものの枝豆、煮物佃煮、それ以外に
パンなどにも必ず、大豆は入っているようで、どのような食べ物にも大豆は入っていそ
うだが、無論限られるであろう。
よくいく、どっちだとうと、畑というところ、その道の際にある、あるいは少し中に
入って、花にそれがセンニチコウやヒャクニチソウ、それにハナトラノオの場合もあっ
て、ミソハギもまだあるかも知れない。そうゆうところにもチョウはいて、また小さいも
のは、オキザリスやマツバギクがまだ、チョウが止まる花はある。
センニチコウに、久しぶりにヒメアカタテハを見たとき、多少は高揚する。他に、
アゲハなども飛んでいるが、撮りやすいのは、ヒメアカタテハ。ゆっくり近付いて、それ
でしばらくすると、逃げる。しばし待つ。そのうち戻ってくる。もう1羽、ヒメアカタテハ
がやってきたり。
そうゆうことを一度、二度、やる。これでいいか、というところ。それで時計と睨めっこ
もし、暑そうだしもういいかと思う。そこを5m離れると、またヒメアカタテハはその
センニチコウにいる。でも、これでいい。またいつか、という感じだ。かなり個人的な、
勝手な思いである。
アゲハは、見ることは多い。これは撮れないので、ほとんど見るだけだが、柚子の木
のそばにアゲハがいて、木の枝に、あるいは葉に止まるようで、尻尾のほうを葉に付けよ
うとしている。産卵かも知れないな、とか思う。アゲハは柚子の木の辺りを飛んでいて、
柚子はここのいえにもあるからよく見るが、近くでは観察は出来ない。そのアゲハも
人がそばにいるからか、私のことだが、落ち着かなかった。二羽のアゲハが、同じ位置
で、ホバリングに近いことをやっていた。これは撮れるが、何をやっているのかという
のは不明だった。
うな時間で、風が窓から入ってきて、少しムシムシとした暑さもなくなる感じがあって、
でも、まだ平年の気温よりは高い。ということだから、さほど気温が下がっても、涼しい
と一日を通して感じることはない。
怖いのは、先の話しで笑われそうだが、大冬で、あって大雪である。
きのう、立山連峰の朝の様子、太陽の輝く空の下の、雲のかかった立山連峰の、遠景
を出す予定だったが、その時間がなった。それで今に。
まだ台風9号のさほどの影響はなかった。朝の光が強くて、それで、3000m
級の、立山連峰の上には、程ほどに面白そうな雲が発生していた。
山の頂に近付くにつれて、雲と山が渾然一体となっている。こうゆう
ところは肉眼で見ている方がはっきりとする。
山の頂の上に、何雲というのか、レンズのような雲が結構多くある。
もう少し大きくと思っていたが、さほどは大きくはなっていない。
これが大きかった。
明るいところ、暗めのところ。
太陽はギラリと光り、もしかして高層の雲は氷のようなもので出来て
いるかも知れない、と思うとき、その温度差は感じられる。空の上の方
は、氷点下の世界。どっちがいいか。
今日は、朝方はまだ天気がはっきりせず、もしかしてぐずつく感じかと思ったが、その
後といっても何時か覚えていないが、晴天域が多くなり、何しろいつもの歩く時間という
ときは、まったくの晴れで、それで、この二日間は少なくとも少しばかり涼しい気候を味わ
って、でももうそれに慣れてそれが当たり前だと体は思うから、一歩外に出てみると、真夏
の暑さを感じた。なんだ、やっぱり瞬間の秋だったのだな、というのが印象深い。もっと
も、一番暑いときでもあるから、このようなときにのそのそ歩きにゆくというのも、考え
てみるとおかしいが、これも昔からの習慣になっている。
その通り暑い。暑いが、視界はよかった。建設中の橋だ、というのも肉眼で見えた。
あの程度の橋で、でも海を跨いでいるのだから、その上にゆくときっとかなりの爽快感
と、高所恐怖感を味わうことが出来るだろう。そう思いつつ、いつものようにダイズ畑を
撮っていた。麦畑でもなく、またイネの頭の垂れるところでもなかった。大豆、ダイズ。
この大豆をよく食べている。納豆に、豆腐に、そのものの枝豆、煮物佃煮、それ以外に
パンなどにも必ず、大豆は入っているようで、どのような食べ物にも大豆は入っていそ
うだが、無論限られるであろう。
よくいく、どっちだとうと、畑というところ、その道の際にある、あるいは少し中に
入って、花にそれがセンニチコウやヒャクニチソウ、それにハナトラノオの場合もあっ
て、ミソハギもまだあるかも知れない。そうゆうところにもチョウはいて、また小さいも
のは、オキザリスやマツバギクがまだ、チョウが止まる花はある。
センニチコウに、久しぶりにヒメアカタテハを見たとき、多少は高揚する。他に、
アゲハなども飛んでいるが、撮りやすいのは、ヒメアカタテハ。ゆっくり近付いて、それ
でしばらくすると、逃げる。しばし待つ。そのうち戻ってくる。もう1羽、ヒメアカタテハ
がやってきたり。
そうゆうことを一度、二度、やる。これでいいか、というところ。それで時計と睨めっこ
もし、暑そうだしもういいかと思う。そこを5m離れると、またヒメアカタテハはその
センニチコウにいる。でも、これでいい。またいつか、という感じだ。かなり個人的な、
勝手な思いである。
アゲハは、見ることは多い。これは撮れないので、ほとんど見るだけだが、柚子の木
のそばにアゲハがいて、木の枝に、あるいは葉に止まるようで、尻尾のほうを葉に付けよ
うとしている。産卵かも知れないな、とか思う。アゲハは柚子の木の辺りを飛んでいて、
柚子はここのいえにもあるからよく見るが、近くでは観察は出来ない。そのアゲハも
人がそばにいるからか、私のことだが、落ち着かなかった。二羽のアゲハが、同じ位置
で、ホバリングに近いことをやっていた。これは撮れるが、何をやっているのかという
のは不明だった。