ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

リブラ 時の秤 - 3 ( 米ソのスパイ活動 )

2019-07-29 20:23:12 | 徒然の記
 「ミツコは、ちゃんと見つかった。」「童顔でかなり不格好な女で、スカートに白いブラウス、顔にはネッカチーフをかぶって、安っぽいアーケード付きの通りにある、〈軍人立ち入り可 〉 と書いた看板のそばで待っていた。」
 
 当時の東京に、そんな看板があったとは知りませんでしたが、いかにも占領下のうらぶれた街という感じがします。オズワルドはミツコと親しくなり、非番になると東京へ出てくるようになります。ミツコはパチンコきちがいですが、性悪の女でなく、パチンコ代さえ与えると、あとは何も要求しませんでした。そこで彼は、一人の若い男と出会います。
 
 「その男とミツコのつながりが、彼にはどうにも分からなかった。」「弟か、従兄弟か、愛人か、それともある種のマネージャーなのか、保護者なのか、二、三週間の間に数回会った。」
 
 「男は波打つ髪に、黒眼鏡の面白いやつで、コンノという名字だった。」「服や靴はみすぼらしく、外でも室内でもいつでも、黒いスカーフをしていた。」「コンノの英語はまずまずで、初歩の段階は超えていた。」
 
 どんな本を読んでも、私の中にあるのはまず日本です。彼らとつながっている日本であり、日本人です。氏の小説は、特に筋書きがありませんから、どう読んでも自由なのですが、それでも私の読み方は、作者が予想していないものだったのではないでしょうか。
 
 「コンノは、暴動を良しとしていた。」「合衆国は朝鮮で細菌兵器を使ったし、」この日本では、幻覚剤LSDの合成に用いられる、リセルギン酸という物質の実験をしているとコンノは信じていた。」「人生というのは、戦いだと彼は信じた。」「闘争とは自分の人生を、歴史というより大きな潮流に合体させることだという。」
 
「真の社会主義を手に入れるために、我々はまず資本主義を、全面的かつ冷酷に確立し、しかる後にそれを次第に打ちこわし、海に沈めてしまうのだとコンノは言った。」
 
 「コンノは、日ソ友好協会、日本平和会議、日中文化交流会の会員だった。」「外国の軍隊、外国の資本が現代日本を支配しているとコンノは言った。」「外国の軍隊とは、すべてアメリカ軍だ。」「日本で西洋人といえば、ことごとくアメリカ人だ。アメリカ人はどいつもこいつも、独占資本のため奉仕していると言う。」
 
 こう言う話をする若者がいるのだとすれば、反日左翼・過激派学生の仲間です。オズワルドは海兵隊に勤務していますが、共産主義の信奉者で、いつかアメリカを捨てソ連へ行って働きたいと考えています。密かにロシア語を勉強しているのも、そのためですが、愛国者の集団と言われる海兵隊の仲間から、どうしてコンノにつながる道ができたのか。・・この辺りが、氏の小説の複雑さになります。
 
 オズワルドにとって、コンノとの出会いは偶然ですが、米国の諜報部からすれば周到に練られた筋書き通りなのです。CIAに限らず、ソ連のKGBも、あるいはどこの国の諜報機関にとっても、すべて「敵の敵は味方」で、目的のためならなんでも利用し、不要になれば捨てると言う非情さが共通しています。
 
 コンノは、ソ連と中共のために働く工作員の一人で、オズワルドは米ソの諜報部から目をつけられている、スパイ候補者です。オズワルドはこれについて何も知らず、コンノも米国の動きについては知りません。
 
 「オズワルド一等兵のことを知っていて、彼の政治的成長ぶりに感心している人たちが、他にもいると、コンノはほのめかした。」「世界情勢について同じ考えを持ち、それぞれ一定のところにいて、互いに連絡の取りやすい人々によって、成し遂げられることが、いろいろあると彼は言った。」「小型の銀メッキした、デリンジャー式の二連発銃を、コンノは贈り物としてオズワルドに渡した。」
 
 氏の叙述が、どこまで事実に基づいているのかと、詮索したくなる理由がここにあります。諜報機関が軍隊とともに、連合軍の手によって壊滅させられた戦後の日本は、他国のスパイが跋扈する国となりました。コンノのような他国に取り込まれた手先が、何人も生まれたと推察します。一度絡め取られてしまいますと、抜け出す方法はありません。服従していれば、生涯報酬が払われますが、まかり間違って、愛国心を取り戻したとしても、組織からの脱出はできません。
 
 組織からの解放は、役目を終えたオズワルドがされたように、別のスパイから殺される方法しかありません。コンノのようなスパイが実在の日本人でなく、小説中で作られた架空の人物であってくれたらと、祈る気持ちで読んでいます。
 
 次回は、氏が語るケネディー大統領のもう一つの顔について述べます。これにつきましては、事実かどうかについて迷わず、事実だろうと思えます。安倍総理に限らず政治家たちが、虚実の中で生きている厳しさを少し理解しました。政界というのは、単細胞の人間には住めない別世界です。
 
「息子たちがいて家内がいて、これ以上の幸せはない。自分の人生には、何の後悔もない。」
 
 もしかすると政治家には、このような言葉が言えないのかもしれません。現状に甘んじ、何もしない弱気に言葉でなく、大事な家族を守るため、人は戦わなくてならないと言う意味が隠されています。コンノのように、何処かの国の手先になるのでなく、自分の国のため、それぞれの置かれた位置で戦わなくてなりません。
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リブラ 時の秤 - 2 ( 東京にいたオズワルド )

2019-07-29 13:32:54 | 徒然の記
 昭和32(1957)年、18歳のオズワルドは海兵隊員として、日本の厚木基地にいました。114ページの記述を、そのまま転記いたします。
 
 「彼は外出許可証を持ち、派手なアロハシャツ姿で、東京行きの電車の窓側の席に掛けていた。」「デートのお膳立てをしたのは、ライトマイアで、お前は決めた通りの時間に、決められた場所に現れさえすりゃいいんだと、彼は聞かされていた。」「日本へようこそ、引戸と吊り目の娼婦の国へ。」
 
 最後の文章に、私は引っかかりました。吊り目の娼婦といえば、韓国人の容貌でないかと思ったからです。引戸は日本の建物を表していますし、目の大きな米国人から見れば、日本人も韓国人も吊り目に見えるのかと思ったりしました。しかし昭和32年の日本で、まだ米兵相手の娼婦がいたのでしょうか。
 
 昭和32年の出来事から、いくつか拾い出してみました。
 
 1月  ・- 日本の南極越冬隊が南極大陸初上陸。
      ・ - 群馬県相馬ヶ原射撃場で、薬莢拾いの女性が米兵に射殺(ジラード事件)。
 2月  ・- 石橋湛山首相が病気のため、辞意表明。 岸信介内閣成立。 
 
 3月  ・- 欧州経済共同体設立条約、欧州原子力共同体設立条約が、ローマの美術館において調印。
 4月    ・- 東京通信工業(SONY)が、世界最小のトランジスタラジオを発売。
        ・- 売春防止法施行。
 
     5月    ・- コカ・コーラ、日本での販売を開始。
         ・- イギリス、キリスィマスィ島で初の水爆実験を行う。
     7月    ・- 砂川事件が発生。
         ・- 東京都の人口が、ロンドンを抜き世界一と新聞が報道。
 
     8月    ・- 茨城県東海村の原子力研究所で、「原子の火」がともる。
               ・- マレーシアがイギリスから独立。
     9月    ・- 4日 - 米公民権運動: リトルロック高校事件。州兵100人が出動し、黒人9人の高校通学を阻む。
               ・-  糸川英夫東京大学教授らが、国産ロケット「カッパー4C型」の発射に成功。
 
    10月   ・-  初の五千円紙幣(聖徳太子の肖像)発行。
                ・-  ソ連が人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。
 
 立ち入り禁止の米軍演習場で、薬莢を拾っていたのは、貧しい日本の女性でした。ジラードは、オズワルドと同じくらいの若い兵士で、遊び半分に女性を撃ち殺しました。日本に裁判権がないため、彼は罪に問われることなく米国へ帰国したと覚えています。アメリカに苦情も言えない日本の弱い立場をあの時知らされました。
 
 日本の南極隊のことや、ソニーのトランジスタラジオや、糸川博士のペンシルロケット発射実験など明るいニュースもあります。4月に売春防止法が施行されたという、一行を見て、デニーロ氏の小説に間違いがないことを確認しました。四月に施行されたばかりだとすれば、すっかり無くなるまで、何年かかかるだろうと思うからです。もう少し、日本を描写した文章を転記します。
 
 「彼は幾重もの混沌、黄昏の東京の中を人目を避けて歩き回った。」「都電の架橋の下を通り、蕎麦屋や酒屋を尻目に一時間ほど歩いた。」「竜の刺繍をしたジャンバーを着て、見たところめかし込んだ炊事兵といった感じのアメリカ兵六人と、手をつないで歩く日本娘たちを見かけた。」「時は1957年だが、彼からすればこの兵士たちは肩で風を切る戦士、舞い込んでくるものは片っ端からものにする、歴戦の勇士だった。」
 
 オズワルドもまた、紙に書かれたミツコという名前の娼婦を求め、約束の場所を探し続けます。今回はここで終わりますが、当時の東京を知る懐かしさと、屈辱感を感じながら、もう少し氏の描写につき合ってみたいと思います。
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リブラ 時の秤 ( ケネディー大統領の暗殺 )

2019-07-29 07:16:18 | 徒然の記
 何時だったか忘れましたが、フレデリック・フォーサイス氏の 『ジャッカルの日』を、息もつかずに読んだことがあります。昭和46年の出版でした。
 
 ド・ゴール大統領の暗殺を企てる武装組織(OAS)が雇ったプロの暗殺者と、暗殺を阻止しようとするフランス警察の、息詰まる追跡を描いた小説でした。何年振りかで同じような本を手にしていますが、こちらは、ケネディー大統領の暗殺を企てた者たちの、大掛かりな小説です。
 
 ドン・デリーロ氏著『リブラ  時の秤』は、書評に入る前に本の題名から調べなくてなりませんでした。普通、本の題名は、本の内容をそのまま教えてくれるものですが、この本は違います。著者がそうしたのか、翻訳者が日本語訳でそうしたのか、原題は『リブラ』だそうです。リブラという言葉には、2つの意味があります。
 
 1.  星座の天秤座
    2.  古代ローマ発祥の質量・通貨の単位。 もとはラテン語で天秤を意味する語である
 
 『リブラ  時の秤』という本の題名には、同じ意味の言葉が並んでいることになります。紛らわしいので、『リブラ 、 時の秤』と、真ん中に区切り点を入れたくなりますが、それでも本の内容を表す表題にはなりません。ここでは疑問を述べるだけにし、先へ進みます。
 
 この本は平成3年に文藝春秋社が出版し、翻訳者は真野明裕氏です。先日読んだ、大同生命国際文化基金が紹介した、東アジア文学の翻訳者とは、レベルがだいぶ違うようです。真野氏はプロの翻訳者で、読者を魅了する文章力があるということなのでしょうか。外務省に勤めながらの、片手間の翻訳者たちと、真野氏のようなプロは小説に向き合う気迫からして、異なっているような気がしました。
 
 著者のドン・デリーロ氏は、昭和11 ( 1936 ) 年、ニューヨーク生まれの小説家、劇作家です。両親はイタリア系で、インテリ層でなく労働者の出身だそうです。昭和33 ( 1958 ) 年、フォーダム大学を卒業し作家としてデビューしますが、一般には知られていませんでした。
 
 昭和63 ( 1988 ) 年に、ケネディ暗殺犯オズワルドを主人公にした、『リブラ  時の秤』がベストセラーとなり、名実共に現代アメリカを代表する作家となりました。日本での知名度は今ひとつですが、現代米国を代表する小説家で、近年はノーベル文学賞の常連候補として名前が挙がっているとのことです。
 
 ケネディー大統領暗殺の犯人は、オズワルドだとされていますが、真犯人が別にいることは周知の事実で、いまだに真相は謎のままです。どこまで事実に即して書かれているのか知りませんが、迫力のある小説です。『ジャッカルの日』は、一人の暗殺者が主人公で、彼の行動を追いながら話が展開しますが、『リブラ  時の秤』は、オズワルドだけでなく、事件に関与した複数の人物が描かれます。
 
 元CIAの上級情報分析官だったニコラス・ブランチ、これもまたCIAの職員で精神疲労のため退官し、女子大で職を得ているウィンなど、記憶するのも疲れるくらい多様な人物が登場します。
 
 海兵隊の指導教官だったり、爆発物の専門家や兵器調達の専門家はもちろん、殺人の天才までいます。彼らは全員が互いに知り合いでなく、特定の人物を通じて連携し、電話や書類を通じるだけで、顔を知らない者もいます。
 
 正確に数えていませんが、10名以上の登場人物がいて、彼らの話が前後の関係なく綴られ、過去にさかのぼったり、現在へ戻ったり、脈絡なく話が進みます。それでいて退屈せず、癇癪も起こさず読めているのですから不思議です。どこまでが虚構なのか、事実なのか、詮索したくなる好奇心と、面白さが持続するのはひとえに作家の才能なのでしょう。
 
 ケネディー大統領が暗殺されたのは、私が大学一年生の時でした。昭和38 ( 1963 ) 年11月12日です。本棚に新聞のスクラップ帳が見つかったたので、机に広げています。正確な日付が書けるのは、スクラップのおかげです。
 
 「ケネディー暗殺、世界に衝撃」「背筋の凍る思い」「一つの殺人の影響力に、市民もボウ然」「ダラスで」「 " オー、ノー " 悲痛な叫び」「車中  夫人  大統領を抱える」
 
 3枚の写真に説明がつき、AP通信の写真でこれこそ歴史的映像でしょう。
 
 1.   「撃たれた大統領を抱えようとする大統領夫人と、飛び乗った護衛」 
 
 2.  「暗殺される直前の大統領と、同乗の夫人。」「右端は負傷したコナリー・テキサス州知事。」「オープンカーで、飛行場から市街地をパレード中だった。」
 
 3.  「22日、アンドルース空軍基地から、海軍の救急車へ移される、ケネディー大統領の棺。」「後ろにジャクリーン夫人、ロバート・ケネディー司法長官。」
 
 何時だったのかこれも忘れましたが、ロバート・ケネディー司法長官も狙撃され、暗殺されました。アメリカという国の恐ろしさを肌で感じていただけに、デニーロ氏の小説に惹かされたのかもしれません。本筋とは関係ありませんが、暗殺者たちを通じて描かれる日本のことや、マスコミが伝えなかった、ケネディー大統領の別の側面などに強い関心を覚えました。
 
 氏の作品と同様、私の書評も脈絡がありません。今回はここまでとし、アメリカという国と、政治の世界がつくづく怖いものと、息子たちに伝われば良いと思います。氏の本を読めば、名もない庶民であることは、貧しくて退屈かもしれませんが、平穏な有難い暮らしと、そう思えなくもありません。
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