「ミツコは、ちゃんと見つかった。」「童顔でかなり不格好な女で、スカートに白いブラウス、顔にはネッカチーフをかぶって、安っぽいアーケード付きの通りにある、〈軍人立ち入り可 〉 と書いた看板のそばで待っていた。」
当時の東京に、そんな看板があったとは知りませんでしたが、いかにも占領下のうらぶれた街という感じがします。オズワルドはミツコと親しくなり、非番になると東京へ出てくるようになります。ミツコはパチンコきちがいですが、性悪の女でなく、パチンコ代さえ与えると、あとは何も要求しませんでした。そこで彼は、一人の若い男と出会います。
「その男とミツコのつながりが、彼にはどうにも分からなかった。」「弟か、従兄弟か、愛人か、それともある種のマネージャーなのか、保護者なのか、二、三週間の間に数回会った。」
「男は波打つ髪に、黒眼鏡の面白いやつで、コンノという名字だった。」「服や靴はみすぼらしく、外でも室内でもいつでも、黒いスカーフをしていた。」「コンノの英語はまずまずで、初歩の段階は超えていた。」
どんな本を読んでも、私の中にあるのはまず日本です。彼らとつながっている日本であり、日本人です。氏の小説は、特に筋書きがありませんから、どう読んでも自由なのですが、それでも私の読み方は、作者が予想していないものだったのではないでしょうか。
「コンノは、暴動を良しとしていた。」「合衆国は朝鮮で細菌兵器を使ったし、」この日本では、幻覚剤LSDの合成に用いられる、リセルギン酸という物質の実験をしているとコンノは信じていた。」「人生というのは、戦いだと彼は信じた。」「闘争とは自分の人生を、歴史というより大きな潮流に合体させることだという。」
「真の社会主義を手に入れるために、我々はまず資本主義を、全面的かつ冷酷に確立し、しかる後にそれを次第に打ちこわし、海に沈めてしまうのだとコンノは言った。」
「コンノは、日ソ友好協会、日本平和会議、日中文化交流会の会員だった。」「外国の軍隊、外国の資本が現代日本を支配しているとコンノは言った。」「外国の軍隊とは、すべてアメリカ軍だ。」「日本で西洋人といえば、ことごとくアメリカ人だ。アメリカ人はどいつもこいつも、独占資本のため奉仕していると言う。」
こう言う話をする若者がいるのだとすれば、反日左翼・過激派学生の仲間です。オズワルドは海兵隊に勤務していますが、共産主義の信奉者で、いつかアメリカを捨てソ連へ行って働きたいと考えています。密かにロシア語を勉強しているのも、そのためですが、愛国者の集団と言われる海兵隊の仲間から、どうしてコンノにつながる道ができたのか。・・この辺りが、氏の小説の複雑さになります。
オズワルドにとって、コンノとの出会いは偶然ですが、米国の諜報部からすれば周到に練られた筋書き通りなのです。CIAに限らず、ソ連のKGBも、あるいはどこの国の諜報機関にとっても、すべて「敵の敵は味方」で、目的のためならなんでも利用し、不要になれば捨てると言う非情さが共通しています。
コンノは、ソ連と中共のために働く工作員の一人で、オズワルドは米ソの諜報部から目をつけられている、スパイ候補者です。オズワルドはこれについて何も知らず、コンノも米国の動きについては知りません。
「オズワルド一等兵のことを知っていて、彼の政治的成長ぶりに感心している人たちが、他にもいると、コンノはほのめかした。」「世界情勢について同じ考えを持ち、それぞれ一定のところにいて、互いに連絡の取りやすい人々によって、成し遂げられることが、いろいろあると彼は言った。」「小型の銀メッキした、デリンジャー式の二連発銃を、コンノは贈り物としてオズワルドに渡した。」
氏の叙述が、どこまで事実に基づいているのかと、詮索したくなる理由がここにあります。諜報機関が軍隊とともに、連合軍の手によって壊滅させられた戦後の日本は、他国のスパイが跋扈する国となりました。コンノのような他国に取り込まれた手先が、何人も生まれたと推察します。一度絡め取られてしまいますと、抜け出す方法はありません。服従していれば、生涯報酬が払われますが、まかり間違って、愛国心を取り戻したとしても、組織からの脱出はできません。
組織からの解放は、役目を終えたオズワルドがされたように、別のスパイから殺される方法しかありません。コンノのようなスパイが実在の日本人でなく、小説中で作られた架空の人物であってくれたらと、祈る気持ちで読んでいます。
次回は、氏が語るケネディー大統領のもう一つの顔について述べます。これにつきましては、事実かどうかについて迷わず、事実だろうと思えます。安倍総理に限らず政治家たちが、虚実の中で生きている厳しさを少し理解しました。政界というのは、単細胞の人間には住めない別世界です。
「息子たちがいて家内がいて、これ以上の幸せはない。自分の人生には、何の後悔もない。」
もしかすると政治家には、このような言葉が言えないのかもしれません。現状に甘んじ、何もしない弱気に言葉でなく、大事な家族を守るため、人は戦わなくてならないと言う意味が隠されています。コンノのように、何処かの国の手先になるのでなく、自分の国のため、それぞれの置かれた位置で戦わなくてなりません。