参議院選挙について考えると、明るい展望が遠のいて行きます。
忙しい合間を縫い、桝谷邦彦氏著『ドイツ魂』 ( 平成12年刊 講談社 )を、読み終えました。こう言う時に良い本を読めば、心が洗われ元気を取り戻せるのですが、なかなか望み通りにいきません。「あとがき」を先に読み期待したのに、意外と中身の乏しい本でした。期待を抱かされた「あとがき」の、文章の一部を紹介いたします。
「僕たちが外国について考えたり、書いたりしたものは、外国と日本の比較という角度で、ものを見たり、書いたりしがちだ。」「しかしややもするとその国を礼賛するあまり、自分の出身の国、つまり日本を、しようもない国、情けない国、不合理な国として見てしまうことが、多いのではないだろうか。」
「お互いに歴史や文化の違いにこだわって、いたずらに自国や他国を、褒めすぎたり貶めたりする時代は、もう過去のものにすべきだろう。」
「是々非々と言う言葉のように、いいところはいい、悪いところは悪いと言う価値感を、自分にであれ、他人対してであれ、同じように当てはめていくことが、」「21世紀を迎えようとしている日本とこれからの若い人たちにとって、ごく自然で当たり前になるように、この本を読んでもらえれば幸いである。」
本人の言では、ドイツ贔屓だそうですが、巻末の略歴を見れば納得させられます。
「昭和19年、山口県生まれ。」「慶応大学文学部、および同大学院でドイツ文学専攻。」「昭和42年から、慶應義塾女子高等学校、慶應大学で、ドイツ語とドイツ文学を教え、現在は慶應義塾高等学校で、ドイツ語教員を務める。」
「昭和45年より、留学や海外出張など、十数回のドイツ旅行や滞在を経て、平成8年から二年間を、家族と共にミュンヘンで暮らす。」
長く慶應大学に勤務していますが、「ドイツ語教員」と書かれ、教授でも講師でもないようです。この世には、頑張っているが成果を上げられないという、恵まれない人間がいます。学問でも芸術でも会社の仕事でも、努力だけではダメで、何らかの才能が必要です。これだけ長期間ドイツ文学に取り組んでいて、教授になれないというのですから、才能がないのかもしれません。
著作に失望し、意地悪く批判しているのでなく、若い頃の自分と重なって見えるため、親しみを感じています。昇進すれば給料が増え、家族を楽にさせてやれので、かっての私はがむしゃらに働きました。「努力は必ず、報われる。」「頑張れば、自ずと結果がついてくる。」と、楽観的に考え続け何事もなく定年退職しました。
世間を渡る知恵もなく、妥協の1つもするでなく、こんな自分を会社はよく使ってくれたと感謝ばかりです。見当違いの努力と、独りよがりの頑張りが多すぎたのだと、懐かしい思い出となっています。書評と無関係な、余計な話ですが、息子たちには、聞かせてやりたい親の気持ちです。
「お父さんは、自分の人生に何の後悔もしていない。」「お前たちがいて、お母さんがいて、こんな幸せなことがあるか。」
亡くなった父は、私が高校生の時か、中学生だった時か、晩酌で酔った時そんなことを言っていました。当時は上の空で聞き、そんなことがあるものかと内心で笑っていました。しかし自分が親と同じ年になると、本気だったのかと分かりました。
こんな話がどうして書評になるのかと、疑問を持つ人があるのかもしれませんが、関連しています。平凡な庶民の一人として、父は一生を終えました。私の知らないシベリアでソ連の捕虜となり、炭鉱で働いた経験を持つ父は、家族と共に暮らす日々を、本当に幸せだと思っていたのかもしれません。
戦争を呪い政府を憎み、恨みばかりを募らせる人々が日本には沢山います。想い出の中にいる父は、陽気で呑気な日本の庶民でした。
「お前たちがいて、お母さんがいて、こんな幸せなことがあるか。」
時々その言葉を思い出し、胸がジンとすることがあります。苦労しても、過去を笑いに変える性格が、自分に受け継がれていることを発見し、喜んでもいます。私もまた、家内がいて子供たちがいて、こんな幸せがあるかと思っています。国や政府やご先祖を恨んだり、苦情を言ったりなどしません。日本人は、そんな逆恨みをいつまでもしないのです。
自分の親のように、この世に感謝しているから、私は息子や孫たちのため、飽きもせずブログに言葉を遺しています。いつ読んでくれるのか、果たして理解してくれるのやら分からないのに、それでも止めないのは、感謝の気持ちがさせます。
桝谷氏の「ドイツ魂」を、そんな気持ちで読みました。つまらない本でも、氏は本気で書き、卑屈になっていません。文章は下手でも日本を愛し、ドイツも相応に評価し、堂々としています。教授になれない自分の経歴に後悔せず、誇ってさえいます。自分と似た氏の著作について、次回から語ろうと思います。
私のブログと同じで、あまり内容はありません。興味のない方は、スルーしてください。