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ジャカルタ路地裏ノート - 6 ( インドネシアの政治と宗教 )

2019-07-02 17:11:29 | 徒然の記
 今回はインドネシアの宗教についてです。氏の説明を、紹介します。
 
 「インドネシアでは、建国五原則( パンチャシラ ) の第一条で、〈神への信仰〉を上げている。」「この国では宗教のない者は、すなわち共産主義者と見なされる。」
 
 「1965 ( 昭和40 ) 年以後の、反共主義の中で、人々は一層信仰心を篤くすることが求められ、少なくとも、そのように 〈装う〉ようになっている。だから、生きていくのに精一杯な状況でも、宗教活動には積極的に参加している。」
 
 日本は宗教に関して、昔から寛容な国です。寛容というより、いい加減ではないのかと時々思ったりしますが、インドネシアと比較して考察しますと、ありふれた自分の日常に違う光を当てられ、別の日本を見つけます。
 
 「人口の90パーセントがイスラム教徒である、この国で求められているのは、必ずしも、アラーの神への信仰でなく五大宗教、つまりイスラム教、カトリック、プロテスタント、仏教、ヒンズー教のいずれかを信じれば良い、ということになっている。つまり、宗教選択の自由はあるが宗教を持たない自由は、ないのである。」
 
 八百万の神を信じている私は、特に信仰心が篤いという訳でなく、日常の礼拝もしていませんから、インドネシアで無事に暮らせるのでしょうか。神道は、五大宗教の中に含まれていませんので、ますます無理です。
 
 と言っても、私はもともと、インドネシアで暮らしたいと考えたことがありませんし、日本が一番気に入っていますから、このままでいいのです。
 
 お金があれば、豊かな暮らしができるというのは、世界共通の認識です。インドネシアでは、「スジャトラ」という、もう一つの基準があります。これは豊かさとか、平穏を意味する言葉で、インドネシア政府の社会省は、スジャトラの度合いで国民生活の豊かさを図り、低い順から第一段階、第二段階と、最高の4段階まで分けています。
 
 食事の質、家の広さや質、貯蓄など、経済的な条件もありますが、次がインドネシアならではの、ものです。
 
 「興味深いのは、その他の豊かさの条件として、宗教活動に対する熱心さや、家族計画や、社会活動への参加の度合い、さらには識字率なども入っていることだ。」
 
 「つまり物質的な側面だけでなく、精神的な生活の豊かさを問うているのだ。家族揃って食事をとり、家族の団欒を図るといったことは、確かに生活の質を表しているだろう。」「このように考えてくると、高所得の日本人の生活の質は、いったいインドネシア人より、どれだけ高いだろうかと疑問である。」
 
 なるほどと思わされるところもありますが、氏の意見に、そのまま賛成できません。隣組を通じた、インドネシア政府の、宗教や政治への誘導を思うと息が詰まりそうになります。不衛生な食事や汚水の流れる道路の匂いなど、残念ながら、豊かさと縁遠いものに見えます。
 
 「そもそも、スハルト政権の成立については、イスラム勢力が大きな役割を果たした。共産党を打倒するという共通の目的のため、軍とイスラム勢力は共闘を組んだ。」
 
 「スカルノ退陣のデモの中心になったのは、イスラム勢力であったし、あちこちに紛れ込んでいた、何十万人と言われる共産主義者を探し出し、当局へ突き出したり直接制裁を加えたり、反共闘争の中心になったのも彼らだった。」
 
 詳しいことは知りませんが、インドネシアだけでなく、日本以外の多くの国では宗教勢力と軍が結びつき、政権を転覆させています。イスラム教と一口に言っても、考えの異なるさまざまな集団があり、国民はどこかの集団に属しています。
 
 日本では、「政治の右傾化」と野党が言い、「過去の見直し」が日本を混乱させる元凶のようにマスコミが騒ぎます。しかし日本国民の大多数は、選挙の一票で意思表示をするだけです。庶民は昔から「物言わぬ大衆」であり、静かに政治や社会を観察しています。インドネシアを見れば、いかに日本が平穏で安定した国であるかが分かります。
 
 「共産主義者がほぼ一掃され、政権が安定してくると、政権にとって次の脅威となったのは、他でもないイスラム勢力であった。イスラム教徒といっても、穏健派から急進的原理主義者まで、多くの集団がある。」「つまりイスラム教徒と、イスラム勢力は、イコールではないのである。」
 
 「イスラム勢力というのは、イスラム教徒の中の急進派のことであり、イスラムの経典を最高のものとし、法体系や国家組織をイスラム化したいという集団である。イスラム勢力はスハルト時代、体制から敬遠され、徐々に締め付けを受け、究極的には体制にとって、脅威にすらなっていったのである。」
 
 様々な思想を認め、様々な議論をするのが、民主主義社会だとするなら、特定の宗教が政治に関与するのは、社会の安定を損なうことにつながります。たとえ良い教えが沢山あっても宗教である限り、信じる神を絶対とし妥協がありません。特に一神教の場合はそうで、過去の戦争の多くは、妥協できない神様同士が戦った宗教戦争でした。
 
 八百万の神を信じる神道でさえ、東京裁判では、軍国主義と一体になったものとして、戦勝国に裁かれました。一神教を信じる戦勝国の彼らは、日本の神道が理解できず、自分たちの神のように、妥協を知らない頑固者と思ったのでしょう。政教分離などと、わざわざ憲法にまで書き込ませました。社会主義国のソ連も、マルクシズムという一神教の国です。しかしこれはまた、別の議論となりますから、深入りをやめます。
 
 息子たちに言います。政治と宗教の話は、歴史がある限り永遠の課題として残ります。知ってもらいたいのは、やはり、東京裁判の誤りについてです。自分たちの宗教が、過去にどれだけの戦争を起こし、どれだけの虐殺と侵略をしたのか。そうした歴史を考えず、戦勝国が、日本を一方的に裁いた間違いを知らなければなりません。
 
 このブログは、問題の解決でなく、息子たちへの問題提起ですから答えはありません。一気に198ページまで、進みました。今回はここまでとし、次回もまた、日本の現在と比較しつつ、倉沢先生の著作から、インドネシアについて教わることとします。
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2 コメント

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Unknown (yukiarisato)
2019-07-02 18:19:20
猫庭様、これだけは全く一致した意見があります。
八百万の神、私たち日本人は木霊、道祖神、田の神様、山ノ神。そのほか、沼にも池にも、湖にも海にも。
オムツを嫌がる幼子には、
「おねしょしないようにオムツするんだよ。オムツの神様が守ってくれるから、おねしょしなくなるんだよ。その為にオムツするんだよ。」

そんな風に考えたら、社会を政治を非難しなくなる。先ずは自らを律する、これが本来の日本人だと思うのです。
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一致した意見 (onecat01)
2019-07-02 20:57:16
yukiarisatoさん。

 こんばんわ。

「八百万の神、私たち日本人は木霊、道祖神、田の神様、山ノ神。そのほか、沼にも池にも、湖にも海にも」

 あなたと私が一致しているのは、この部分だけです。あなたは本当に、私の過去のブログを読まれているのでしょうか。

 十人十色、人ぞれぞれとは言いますが、思いつきだけで送られるコメントに、私は返答に窮しております。失礼だと思いますが、本音でお答えしました。
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