ねこ庭の独り言

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『太平洋戦争 - 上』 - 10 ( 敗戦の原因は、海軍の〈奢り〉 ? )

2021-12-03 14:13:51 | 徒然の記

 大畑篤四郎氏著『太平洋戦争 - 上』を、読み終えました。日中戦争の終結と、米国との戦争回避につき、努力はしながらも戦線が拡大していきます。

 シンガポール陥落、フイリピン攻略、ビルマ・ジャワ戦の勝利と、日本軍は勝ち進み、フランス、イギリス、オランダ、アメリカの現地軍を制圧していきます。

 「アイシャル リターン」と言ってフィリピンを脱出した、マッカーサーの言葉は、この時のものです。272ページまでは勝利の記録ですが、273ページ以降は、敗戦への道を転げ落ちる記録です。

 ドゥリットル航空隊の16機が、東京を初空襲した時からが敗戦の始まりで、ミッドウェー海戦、ソロモン海戦、ガダルカナルの死闘と、読むのが辛くなります。心の痛む場面ばかりなので、何度もページを閉じ、読書を止めたくなりました。

 現在の時点から考えますと、敗戦の大きな原因は二つあります。

  1. 日本の秘密電信が、全て米国に傍受され、解読されていたこと。

  2. 米国軍にレーダーがあったこと。

 日本軍の動きが米軍につかまれていますから、待ち伏せ、騙し打ちなど、やられ放題です。しかも敵にはレーダーがあり、艦船や爆撃機の動きが早期に発見され、確実に攻撃されます。次の叙述は320ページにある、ミッドウェイ海戦の状況です。

 「午後3時20分、警戒中の戦闘機から、〈米急降下爆撃機13機接近〉の報告が入った。」「しかし日本の艦隊は、レーダーを持たなかった。」「だからこの時も、敵発見が遅れた。」

 赤城、蒼龍、加賀の三隻がやられ、南雲艦隊最後の空母飛龍も被弾し、火災と誘爆が続きます。飛龍は夜になっても燃え続け、燃え盛る炎の中を、将兵は救助に来た駆逐艦に移乗し、司令官の山口少将と賀来艦長の二人が、艦と運命を共にしました。357ページでは、ルンガ飛行場の艦砲射撃のため、泊地を目指した艦隊の攻撃される様子が描かれています。

 「アメリカ艦隊は、レーダーの使用により、」「日本艦隊の侵入を探知し、待ち構えていた。」

 日本も、艦隊の動きをアメリカが全く感知していないとは、考えていなかったようです。

 「情報は、少しくらい漏れているのかもしれない。」「しかし漏れて迎撃準備がされていても、何ほどの抵抗ができようか。」「というのが、参謀たちの実感であった。」

 これまで、連戦連勝で来た海軍の奢りだと、氏は言います。

 「南雲長官による変針命令が、微勢力無電で打電された。」「あたりに鋭い受診網を広げているアメリカ艦隊に、これが傍受されないはずがない。」「この電波を出してから間も無く、日本側は、」「アメリカ艦隊が緊急信号を出し始めるのを、探知するのである。」

 それでも日本は、電信が全て傍受・解読されているとは、気づいていませんでした。レーダーがあり、艦隊の動静がつかまれていることも知りません。ミッドウェイの惨敗の総括を、氏が次のように述べています。

 「それは予想外の事態であった。」「太平洋戦争の開戦以来、日本軍は負け戦を知らなかった。」「帝国海軍は、無敵を誇り続けてきた。」「計画したことの9割九分を実現させてきた実績が、海軍にはあった。」

 というより、日清・日露戦争以来、海軍は勝利してきたと、そういう方が正しいのかもしれません。ミッドウェイ海戦だけでなく、日本海軍が敗れた原因は、「無線傍受」と「レーダー」が大きいと私は考えていますが、氏はそういう見方をしません。

 「敗戦の原因は、いろいろあったであろう。」「飛行機を二の次にした、大艦巨艦砲主義による主力編成、」「時代遅れな戦艦中心主義、ルーズだった機密防諜、レーダーの有無・・」「数え上げればキリがない。」

 「どの敗因も否定できない。」「しかし敗因の根底にあるものは、負けを知らなかった海軍の〈奢り〉ではなかったか。」「兵はともかく、兵を指揮する将、将を動かす作戦部参謀の驕慢を、」「見過ごすわけはいかない。」

 大艦巨艦砲主義の中心人物の一人は、東郷元帥でした。元帥は、バルチック艦隊撃滅の功労者として君臨し、大和・武蔵という巨艦の建造を主張し、航空機を軽視していました。時代遅れといえば、その通りですが、敗因の全てを〈海軍の奢り〉と断定するのが果たして正しいのか。

 大畑氏の意見に、依然として違和感を覚えます。これだけ詳細な戦争の事実を述べながら、氏の視線は「反日本軍」の立場からの解釈です。奢りも驕慢もなかったとは言いませんが、氏の著作を一貫して流れているのは、陸軍と海軍への批判です。国のために死力を尽くした軍人への感謝と敬意が、どこにもありません。

 「ともあれこの海戦を境として、太平洋の制海権は、」「日本の連合艦隊から、アメリカの太平洋艦隊に移ったのである。」「この海戦の持つ意義は、日本が敗戦に向う下り坂を降り始める、」「第一歩を踏み出したことである。」

 「アメリカにとっても、日本にとっても、太平洋戦争の終局に、」「一大転機をもたらす、決定的海戦だったということであった。」

 日本の負けていく様子を、ここまで他人事のように語るのが、学者なのでしようか。

 「何年もかけて艦を作り、何年もかけて訓練を重ねても、」「海戦での勝敗は、緒戦の数時間で決する。」「海戦の厳しさと恐ろしさが、ここにある。」

 東郷元帥の言葉ですが、日本軍はその通りになりました。ミッドウェイだけでなく、ソロモン海戦、ルンガ沖戦、ガダルカナルの戦いと、日本は虎の子の艦隊を次々と失いました。私ならこの原因を、〈海軍の奢り〉という精神論でなく、「無線技術」と「レーダー技術」の欠如を言います。

 大畑氏の著作が出版された昭和41年は、反日左翼学者が、日本批判の本を盛んに出していた頃です。日本だけが間違った戦争をした、ひどい国だったと合唱していた時です。氏のような教授が、日本の過去を批判し、歴史を否定する授業をし、「日本国憲法」への信仰が確立されました。

 「九条があるから、日本は戦争に巻き込まれなかった。」「平和憲法は、絶対守るべきだ。」と、「平和憲法念仏集団」が日本の各地に生まれました。その結果の一つが、今日の立憲民主党です。代表選挙に立候補した4人は、「憲法改正を前提とした議論には、全て反対する。」と、主張しています。

 共産党中国が、台湾へ侵攻し、すぐ近くの尖閣を侵略し、「自国の領土だ」と宣言する沖縄へと向かったら、立憲民主党の彼らは、どのようにして日本を守るのでしょう。「国民に寄り添う政党になります。」と、強調していますが、彼らは、どこの国の国民に寄り添おうとしているのでしょう。

 こういうおかしな政治家を育てたのが、大畑氏のような教授たちです。次回は、氏が日本軍のどのようなところに視点を置いていたのか。参考になりますので、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に、紹介いたします。

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2 コメント

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こんばんわ.....。 (kiyasume)
2021-12-03 20:35:19
この辺の話の展開は私も少し知って居ます。
まあ、この時期、日本にはレーダー網が
なかったと言う事でしょうか・・・・。

処で、此間、かおりくみこさんの
「やさしくしないで」を気に入って貰えた
見たいなので、、

今回は堀江美都子さんの「別離」を
あげて行きますね。戦艦に乗った恋人
を想う女性の歌です。少し侘しくもありますが、、

https://www.youtube.com/watch?v=kgDeAhmiNJU

いい歌ですよ。お聴き下さいね。。。
また来ますね。。。
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堀江美都子さん (onecat01)
2021-12-03 21:24:19
 kiyasumeさん。

 前回のかおりくみこさんに続き、堀江美都子さんのご紹介に、感謝します。

 二人とも、「アニメソングの女神」と呼ばれているのですね。かおりさんと違って、こちらは楽しい歌もたくさん歌っていますね。

 しばらくミックス動画で、聴きました。

 ところで、大東亜戦争の話ですが、日本にはレーダー網がなかったのでなく、レーダーそのものがなかったのです。

 また、お越しください。
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