ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憲法に関する世論調査 - 17 ( 獅子身中の虫と千葉日報 )

2024-05-23 13:41:36 | 徒然の記

 5月6日の千葉日報社の記事の続きです。学習院大学教授・青井美帆氏の、「捏造 ? 」寄稿記事紹介の3回目になります。

  ・武器輸出との関係で、平和が一人一人の人権の問題と言えるのは、単に国家の安全保障や安全保障環境の問題としてではなく、殺される側への共感と眼差しを忘れない限りではないだろうか。

 この文章もどれが主語で述語なのか、よく分かりません。「殺される側への共感と眼差し」も遊離した言葉で、どこにつながるのでしょう。ロシアとウクライナ、ハマスとシスラエルの戦闘を見ても、双方が輸出された武器を手に相手を殺していますが、氏は何が言いたいのでしょう。

  ・次期戦闘機は英伊両国にとって「ユーロファイター」の後続機であるが、同機はイエメンの内戦で無差別空爆に使われて、多くの民間人が命を奪われてしまった。

  ・今回、第三国輸出が必要である理由として、「売れば売るほど単価が下がる」と言う理屈が示されたりもしたが、それは売られた後に起こるかもしれない民間人の犠牲を正当化しうるのだろうか。

  ・私たちの考える平和国家としての姿が問われよう。

 元々武器は人間を殺すもので、軍同士の戦いを主としていますが、戦争が拡大していけば必ず民間人が犠牲になります。それどころか今度の戦争では、敵の戦意を挫くため、ロシア・ウクライナ、ハマス・イスラエル双方が初めから民間人を狙い撃ちしています。

 世界のどの国も、武器を売った後の民間人の犠牲を考えていませんが、ここでもまた、反日左翼教授の決まり文句を氏が述べるのでしょうか。

  ・先駆的な平和憲法を持った日本は、武器輸出後の民間人の犠牲を考えなければならない。日本国憲法は、世界平和の嚆矢 ( かぶらや ) である

 「日本国憲法」の成立課程を知らないと、こんな日本滅亡論を平気で唱える愚か者が生まれます。民間人の犠牲をそこまで重要視するのであれば、氏は広島・長崎に原爆を投下し、日本の主要都市を無差別爆撃したアメリカの残虐行為を語るべきでしょう。

  ・原爆による死者数 ( 一瞬にして殺戮された民間人の数 )

     広島・・・20万人     長崎・・14万人

  ・B29による本土空襲 ( 日本の主要都市の民間人 )

     死者・・33万人    負傷者・・43万人

 これだけの民間人が短期間に、集中して殺戮されたのは人類の歴史の中でもおそらく日本だけでしょう。血で汚れた手を持ったアメリカが日本に押しつけた憲法を、ここまで有り難がる氏は、間違いなく東大「社会科学研究所」の流れを組む学者です。

  ・武器輸出を巡る状況の変化は、憲法9条・平和主義に関する人々の「相場観」の変化にも関わる。

  ・事実のレベルでの変化が、ひいては憲法規範の意味を左右する。

 崇高な憲法論を語るかと思えば、「相場観」などと計算高い俗な言葉を持ち出してレベルを下げます。

  ・自覚的であろうとなかろうと、私たちは憲法改正問題の当事者であることから逃れられない。

 逃れられないと知っているから、「ねこ庭」は酔っ払いの寝言のような氏の意見を読んでいます。「ねこ庭」を訪問される方々も逃れる気がないから、青井氏の「たわ言」を読んでいます。ご苦労な話です。

  ・これからますます生じる変化の中で、人権と平和を守り続けるには、幾つもの方策を組み合わせて安定化を図っていく必要がある。

  ・中でも、良い慣行が政治過程で積み重ねられることと、そして私たちが、国の形を選択しているという自覚が必要である。

 これが寄稿原稿の結びの言葉です。自分の無自覚を意識できないまま、自覚、自覚と、よく言えたものです。久しぶりにGHQが残した「トロイの木馬」の実物にお目にかかりました。

 「獅子身中の虫」という言葉も、久しぶりに思い出しました。私の支援する千葉日報も、時にはこんなつまらない記事を掲載するということを紹介したくて、最後まで続けました。

   学徒の期待は空振りに終わりましたが、希少価値のある珍しい人物の発見が穴埋めしてくれました。17回のシリーズを終わります。おつき合い頂いた方々に、感謝します。

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憲法に関する世論調査 - 16 ( 青井教授の捏造意見 ? )

2024-05-23 09:30:41 | 徒然の記

 5月6日の千葉日報社の記事の続きです。千葉県出身の学習院大学教授、青井美帆氏の寄稿記事紹介の2回目になります。

  ・( 明治憲法が軍部の独走を阻止できなかったという ) 観点からすると、日本国憲法の下で実力組織の創出・管理・統制が、法律制定を中心とする民主的政治課程を通して行われてきたのは重要である。

 青井教授は普通に言えば分かる言葉を、ことさら曖昧にしている気がします。

    ・実力組織・・・軍の意味 ?

    ・創出、管理、統制・・・「憲法改正」作業の意味 ?

 「憲法改正」に反対している左翼系教授だから、「憲法改正」、「軍」と言う言葉が使いたくないのでしょうか。 

  ・私たちの代表による決定を通じているからこそ、正当性を付与することができた。

 「現行憲法」が国民の代表による決定を通じて作られたと、氏は述べているのでしょうか。

  ・国会での議論を避ける悪しき慣行は、これを掘り崩す。

 国会での議論を避けると言うより、妨害してきたのは自由民主党でなく、立憲民主党、共産党を中心とする左翼系政党です。氏が批判しているのは議論を邪魔している政党でなく、閣議決定をした自由民主党ですから理屈に合わなくなります。

 「掘り崩す」という奇妙な日本語が違和感を添えます。この言葉が氏の頭の中では、どのような状況を描いているのでしょう。

  ・次に、次期戦闘機の第三国輸出が、わが国の平和主義にどのような意味を持つかについて、戦後の抑制的な武器輸出は、憲法9条と密接に関わるものであった。

 主語と述語の乱れた文章を読まされますと、真面目に検討する気持が薄れていきます。悪文を高尚な思考と勘違いしている学者の著書を、「ねこ庭」では沢山読んできましたので驚きませんが、「ブルータス、お前もか」と言いたくなります。

  ・それは「平和国家なのに、日本の武器で人が死んでいいのか」という人々の感覚を元にしていたものと言える。

  ・日本国憲法が先駆的であった一つの理由は、平和を人権の問題として捉えたところにある。

  ・全世界の国民が「平和のうちに生存する権利を有する」という前文での宣言は、人間の安全保障や国連の持続可能な開発目標 ( SDGs ) の嚆矢 ( こうし ) である。

 今流行りの「SDGs」まで持ち出して、つぎはぎだらけの意見を展開しています。

  ・私たちの代表による決定を通じているからこそ、正当性を付与することができた。

 「現行憲法」が国民の代表による決定を通じて作られたと、もし氏が述べているのなら、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に「ねこ庭」の過去記事を再度紹介しなければなりません。

  〈 ホイットニー准将 〉・・ウィキペディアの情報 

  ・ホイットニー准将の管轄する民政局は、占領目的である軍閥、財閥の解体、軍国主義集団の解散、軍国主義思想の破壊を遂行し、日本民主化の中心的役割を担った。

  ・彼は社会党の片山哲、民主党の芦田均ら革新・進歩主義政党の政権を支え、保守 ( 復古主義 ) の吉田茂らを嫌っていた。 

  ・准将は最初から天皇へ敵意を持ち、陛下に関する不利な情報を、マッカーサー元帥に伝え続けた幕僚だった。

  ・現在日本人を苦しめてやまない「日本国憲法」を押し付け、「認めなければ、天皇が処刑される。」と脅迫した張本人である。当時民政局はマルキストたちの集団と言われていたが、マッカーサー元帥は彼を重用していた。

 〈 伊藤貫氏の意見 〉・・米国在住の国際政治アナリスト、米国金融アナリスト、政治思想家

  ・自民党は、この憲法が最初から無効であったことを言わない。なぜかというと、自民党自身がこの憲法を作ることに加担していたからだ。

  ・自民党の政治家はお馬鹿さんだから、GHQの素人集団が7~8日間で作った連合軍憲法を喜んで受け容れた。

  ・自民党の政治家はみんな卑怯で、臆病で、無責任だ。

 〈 我妻榮氏の意見 〉・・民法学者、GHQの憲法案を東大の憲法研究委員会で検討したメンバーの一人

  ・終戦の翌年 ( 昭和21年 )に、当時の帝国大学総長南原繁は、学内に 憲法研究委員会を設けた。

  ・委員会が議論を始めた時、突如として政府の憲法改正要綱が発表された。委員会が発足してから、わずか二十日の後である。そこで委員会は予定を変更し、追って発表された、内閣草案  ( 政府案 )と取り組むこととなった。

  ・当時極秘にされていたその出所について、委員は大体のことを知っていた。しかも、これを「 押しつけられた不本意なもの」と考えた者は一人もいなかった。」

 我妻教授が述べている内閣草案  ( 政府案 )が、 ホイットニー准将から南原氏に渡された「GHQ憲法案」です。さらに我妻氏が大事なことを語っています。

  ・後に委員のうちの相当の数が、貴族院議員や法令制定を任務とする委員会の委員となったので、その際には、憲法研究委員会で得た知識を活用した。

 GHQに協力した東大の教授たちが政府委員として、あるいは国会議員として、発言力を増し、世間で重要視されるようになった様子が語られています。左翼教授たちの地位の向上は、東大だけにとどまらず、関西、近畿、中部、中国、四国、九州、北海道と広がり、ホイットニー准将と阿吽の呼吸で通じた彼らの流れが、現在も「憲法改正反対」勢力の先頭に立っています。

 憲法研究委員会がなくなった後、恒久的組織として作られたのが、1946 (  昭和21 ) 年8月に南原氏が作った「東大社会科学研究所」です。初代所長が後の東大総長矢内原忠雄氏で、学界では権威のある組織となり憲法の守護者となる反日教授を育てています。

 悪名高い「日本学術会議」を支えているのも、この研究所から巣立った学者たちがメインです。「日本国憲法」成立の過去を調べると、青井教授の言う「私たちの代表による決定を」は、どこにもありません。

 「ねこ庭」から眺めますと青井氏の意見は、「情報操作」というより「捏造」に見えてきます。紹介する意味が薄れますが、このような記事を千葉日報が大きく扱っているという点に別の意味を見て、次回も紹介いたします。 

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