〈 第3章 叔父・西村正雄 〉・・ ( 『追悼秘話 安倍晋太郎』 )
松田氏が西村氏の手記から引用する、氏の言葉です。
・兄の立場で言えば、確かに岸元首相の長女・洋子さんと結婚し、岸氏の秘書官をやったりした。政治をよく学ぶ機会を与えられたと思います。
・それはおそらくプラスです。だけれども、少なくとも、岸は岸、自分は自分で、岸の力で偉くなろうとか、そういうことは、全然思っていない。
・世間は勝手に苦労のないお坊ちゃんのように見ているが、とんでもない。内心では強く反発しながらも、表にはそれを表さず、そう言われることに言い訳をしない。
・しかし見てろ、ということだと思うんです。そこは多分に私と共通点があると思っています。私は安倍晋太郎が兄であることを、全然重荷に感じていない。
・おそらく兄も、岸さんの存在に関しては同じ心境だと思います。
西村氏の言葉の意味を、松田氏が補足説明しています。
・この手記は晋太郎の死の直後に書かれたものだが、晋太郎は終生、岸は岸、安部は安倍と、言葉にしなくとも両家の血筋に一線を引いていたことが窺える。
岸家へ養子に来たわけでないのに、妻の洋子氏も子供たちも岸氏になつき、岸氏だけを尊敬するように育てられています。これでは晋太郎氏が面白い訳がなく、家庭では隙間風が吹いていたことになります。
次に松田氏は、二人が初めての再会の後、西村氏から晋太郎氏へ宛てた長文の手紙を要約して紹介します。
・母静子は明治38年11月、本堂恒次郎と秀子の次女として生まれた。
・恒次郎は岩手県の士族で陸軍軍医、秀子は山口県出身の陸軍大将大島義昌の長女
・大島家は、安部家のある旧日置 ( へぎ ) 村の隣村菱海 ( ひしかい ) 村の旧家
・こうした関係から静子は、安部家の当主安倍寛と結婚、兄晋太郎が生まれた
・理由は分からないが、母静子は生後85日目の兄を残し安部家を離れた
・父西村謙三と結婚したのは昭和2年で、同年10月姉和子が生まれた
・横浜正金銀行に勤める謙三は、家族を残してパリ支店に単身赴任。
・昭和10年に静子が発病し、東大病院に入院するも結核性脳膜炎として翌年の6月に亡くなった
・30才余りの短い生涯で、この時正雄は3才半だった
・姉和子は高等女学校へ入り、昭和19年勤労動員で胸を冒され、母と同じ経過を辿り終戦の4ヶ月前に17才で亡くなった
・母は、腹を痛めた兄弟が巡り会えたと知って、草葉の陰でどのように感じているでしょうか。
手記を詳しく紹介しているのには、理由があります。西村氏の「憲法改正」絶対反対の根拠が、この経歴の中にあるからです。話があちこち飛びますが、以後の説明は平成20年に、松田氏が西村氏に直接したインタビューの内容になります。
〈第3章 叔父・西村正雄〉のサブタイトルに、氏が「唯一晋三を批判できた、晋太郎の異父弟」とつけていますが、いよいよここから「安部元首相批判論」になります。
・私が西村と会ったのは、平成18年6月初旬のことだった。みずほファイナンシャルグループの名誉顧問を務めていた西村の執務室は、八重洲口から歩いてすぐのビルの7階にあった。
・長身でどこか相手に親しみを感じさせる柔和な笑みは、在し日の晋太郎にそっくりだった。西村は薄いブルーの背広を脱ぎ、白いワイシャツの襟を捲り上げて私と向かい合った。
・応接テーブルの隅には、晋太郎の追悼文集『安部晋太郎 輝かしき政治生涯』が置かれていた。
・晋三は当時51才にして、小泉政権の官報長官だった。その3年前の平成15年9月には小泉によって、まだ49才で自民党幹事長に抜擢され、駆け足で政権中枢に上る。
・しかし私は晋太郎が死を覚悟して特攻を志願した夜、徹夜で父と、別れた母や生きた時代について語り明かしたような、ある芯のようなものが晋三からはなぜか感じられなかった。
・平成20年晋三は総理に就き、「戦後レジームからの脱却」を掲げるが、一方であの15年戦争や原爆投下の廃墟から、日本がどう立ち上がってきたか、その不幸な時代を背負う言葉が抜け落ちているような気がしてならなかった。
・晋三は一体、その目で何を見て、嘆き、悲しんできたのだろうか。
なかなか厳しい安部元首相批判です。昭和29年生まれの氏は私より10才年下になりますが、東條氏の自決失敗、吉田元首相のGHQとの対応、岸氏の巣鴨プリズンへの収容などの説明について、似たような印象を受けました。
「松田氏は一体、その目で何を見て、こんな軽い説明をするのだろうか。」
その氏が安部元首相を批判するのですが、事実を説明しているのでなく、自分の印象を述べているのですから間違いとは言えません。
・人は一人では生きられない。その来歴と彼を取り巻く人々を語ることは、とりもなおさず安倍晋三という人間がどこから来た、何者かという人間性を解き明かすことになるだろう。
こういう意図を持ち、氏はこの著書を書き、人間としての芯のない安部元首相の姿を読者に伝えようとしました。そして現在「ねこ庭」のシリーズが28回となりましたが、私には安部元首相の姿が氏の意図と重なっていません。どうしてこういうことになるのか、結論を急がず考えてみたいと思います。
予定がどんどん伸びますが、乗りかかった船ですから次回も続けます。