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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『絶頂の一族』- 26 ( 「自衛隊出動要請」- 2 )

2024-05-06 21:51:45 | 徒然の記

  〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( 杉田一次氏 『忘れられている安全保障』( 昭和42年刊 ) 、 雑誌『this is 読売』( 平成2年 )の記述  )

 松田氏の解説です。

  ・結局、赤城は自衛隊出動を決断しないで終わった。岸がアイク訪日の中止を決めたからである。

  ・実際に自衛隊は、岸が命令を下せばいつでも出動できる態勢にあった。60年安保当時の陸上幕僚長・杉田一次は『忘れられている安全保障』の中で次のように記している。

    ・革命の前夜とは、まさにかくの如き情勢を示すのかと思われた。

    ・万一の場合に処するため、自衛隊の出動準備を促進したのであった。

    ・準備は各部隊長の協力と隊員の真摯な服務によって、秘密裏に行われた。

    ・出動準備演習も、多大の成果を収めた。

    ・北海道から輸送した大量の土嚢、鉄条網等も順調に到着した。

    ・第一線各部隊長も、新事態に対処しうる自信を得てきた。

    ・この間私は警察庁長官及び警視総監を訪れて、治安維持に処する警察の決意と意図把握に留意した。

  ・さらに杉田は、雑誌上で衝撃的な証言をしていた。( 雑誌『this is 読売』)

    ・出動の場合、武器は携行するつもりでした。

    ・小銃はも当然ですが、機関銃も重火器も持ちます。

    ・戦車も50台近く、練馬にあつめました。

    ・戦車を集めた理由は、報道関係の人もデモを扇動している人も、自衛隊のやっていることを真剣に見るだろうという考えからです。

    ・実際、部隊には実弾まで配ったのです。武器使用はあると思っていました。

    ・相手に負傷者は出ますが、それが即ち軍に備わる抑止力なんです。

 岸氏は明らかに追い詰められ、動揺していたと松田氏が言い、『岸信介の回想』から岸氏の言葉を紹介します。

  ・アイク訪日を止めたのは、6月15日の樺美智子事件のあとです。

  ・私はアイク訪日を解決して、自分としては総理を辞めるハラを決めていたんです。

  ・アイクが途中まで来たのを迎えられないと言うことは、責任を取らなきゃならない。

  ・樺さんが死んだから、ワシが辞めると言うわけではないけれども、しかし樺さんの死は、一学生が路傍で事故で死んだ

   という単純なこととは違う。特に国会内で起きたことですからね。

 アイゼンハワー大統領は予定通り極東外遊のため、ワシントンを出発しました。その途中で藤山外務大臣が外務省にマッカーサー大使を招き、アイクの訪日延期を申し入れたと言います。今も私は岸氏の一連の決断を、何と評価すべきかに迷います。もしかすると松田氏もそうだったのかもしれません。氏の解説が二つあるところに、それを感じ取りますので紹介します。

 〈 解説 1.  〉

  ・新条約は国民の議論を無視した。数による「一党独裁」の議会政治の産物だったと言ったら言い過ぎだろうか。

  ・あの時会期延長をしなかったならば、日米関係に重大な亀裂を生じたと氏は言うが、それは後付けの理由にしか見えない。

  ・新条約が重要問題であればなおさらだ。議会制民主主義を形骸化し強行採決して良いはずがない。

  ・そのことを一番分かっていたのは、他ならぬ岸自身ではないだろうか。

 〈 解説 2.  〉・・・『岸信介証言録』から、岸氏の言葉を紹介

     ・私は安保改定が実現されれば、たとえ殺されても構わないと腹を決めていた。

  ・死に場所が官邸なら、以って瞑すべしである

  ・殺されるなら一人でいいと思っていたが、弟が兄貴を一人で置くわけにいかないと言うので、二人で籠城することになった。

  ・19日午前0時、自然承認の時を迎えた時は本当にホッとした。

 弟の栄作氏が、「兄さん、ブランディーでもやりましょうか。」と持ってきたビンとグラスで二人は口にしたそうです。

 ここで103ページ、氏の著書の半分を紹介しました。『絶頂の一族』の5人が残っていますが、このままで終わると尻切れトンボになります。松田氏の著作の目的は、岸氏と長女洋子氏、晋三氏に続く親子3代の悪の系譜を読者に伝えることにあります。

 私が別の視点から息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介したため、氏の目的はダメになったのかもしれません。松田氏のメインテーマは、岸氏が残した「憲法改正」を阻止することにあります。

 「憲法改正をすると、アメリカの弾除けに日本が使われることになる。」「アメリカのポチになる。」

 反日左翼の人々は言いますが、どうしてこのような一面的だけに注目するのか。「憲法改正をしなければ、日本はいつまでもアメリカの属国のままだ。」という面もあるのに、松田氏もそこに目を向けません。「憲法改正が、日本の独立の一歩」と考える人間にとっては、松田氏の主張は疑問が残るのではないでしょうか。

 そこで次回は松田氏のために、「憲法改正」に反対するファミリーの意見を紹介しようと思います。できることなら、次回を最終回に出来ればと考えています。

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『絶頂の一族』- 25 ( 「自衛隊出動要請」 )

2024-05-06 15:45:51 | 徒然の記

  〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( 「自衛隊出動要請」 )

 重要な部分なので、松田氏は下記複数の資料を元にこの問題を解説しています。

   1.  安倍洋子氏著『父 岸信介の素顔』( 昭和62年刊 )

   2.  赤城宗徳氏 『私の履歴書』( 日経新聞 単行本  )

   3.  岩見隆夫氏著『昭和の妖怪  岸信介』( 平成6年刊 )

   4.  杉田一次氏著『忘れられている安全保障』( 昭和42年刊 )、 雑誌『this is 読売』( 平成2年 )

 〈   安倍洋子氏著『父 岸信介の素顔』の記述 〉

  ・全学連の国会突入で、東大生の樺美智子さんが亡くなられたとの報に接し、父は非常なショックを受けました。私は突然、鉛のオモリを飲まされたような目まいと吐き気を覚え、恐ろしくなりました。

  ・もう安保なんか放り出して欲しい、一人でそこまで国の責任を背負ういわれはないでしょう、と叫びたい思いでした。

  ・しかし顔色がどす黒く変わった父の殺気だった表情に、命懸けの信念を見ると、とても口に出せませんでした。

 洋子氏の記述を読んでも、松田氏の反岸感情は変わらないのか、次のように説明します。

  ・しかし岸は強気だった。赤城宗徳防衛庁長官は、ついに岸からデモ鎮圧のために自衛隊出動の要請を受けたのである。

  ・政府・自民党内には以前から、アイク訪問が迫るにつれ焦燥感が広がっていた。国会や首相官邸に押し寄せるデモ隊は日一日と数を増し、国会内との連絡は、戦時中の防空壕の通路を整理した地下道によらなければならない有様だった。

 〈  赤城宗徳氏 『私の履歴書』の記述 〉

  ・当時警察当局としては、「アイク訪日の際の警備には自信が持てない。」ということだった。

  ・佐藤栄作大蔵大臣や池田勇人通産大臣などから、「なんとかして自衛隊を出せないか。」としばしば談じ込まれた。

  ・自分は自衛隊出動には、もともと反対だった。その理由は、

    「デモ隊を鎮圧するには、一発勝負で決めなければ無意味である。」

    「そのためには、当然機関銃などで武装させねばならぬ。」

    「そこで同胞相克となっては、内乱的様相に油を注ぐことになる。」

  ・あれは確か、6月15日のことだったと思う。私は南平台の総理の私邸に呼ばれ、じきじきに自衛隊出動の強い要請を受けた。女子大生の樺美智子さんが、国会構内で死亡した日である。

  ・私は前からの理由で、自衛隊を出動させるべきでないことを直言した。総理は腕組みをしたまま、ただ黙って聞いていた。悲壮な息の詰まる一瞬だった。

 松田氏は、赤城氏より岩見氏の方がもっと生々しく記述していると言い、二人のやり取りを紹介します。

 〈  岩見隆夫氏著『昭和の妖怪  岸信介』の記述 〉

  ・岸 ・・・赤城君、自衛隊に武器を持たせて出動させることはできないかね。

  ・赤城・・・出せません。自衛隊に武器を持たせて出動させれば力になるが、同胞同士で殺し合いになる可能性があります。

        そうなれば、これが革命の導火線に利用されかねません。

  ・岸 ・・・それでは武器を持たさずに、出動させるわけにはいかないか。

  ・赤城・・・武器なしの自衛隊では、治安維持の点で警察より数段劣ります。武器なしの治安出動の訓練も積んでいません。

        そんなことをして国民の間に、「役に立たない自衛隊なら潰してしまえ」という声が出てきたらどうします。

        私の在任中に、自衛隊をなくさなければならなくなるような原因を作る訳にはまいりません。

        どうしてもと言われるなら、私を罷免してからにしてください。

  ・赤城・・・総理の口から出たのは問いかけだけで、総理の発言は全くなかった。

        私はあの夜、一人でずいぶん悩んだ。辞表を出すべきか、それとも権限のある総理が言うのであれば、出動させるしかないではないかと。

 あと一人杉田一次氏の叙述が残りますがスペースがなくなりましたので、次回に致します。

 〈  杉田一次氏著『忘れられている安全保障』( 昭和42年刊 )、 雑誌『this is 読売』( 平成2年 )の記述 〉

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