〈 第1章 祖父・岸信介 〉・・ ( 杉田一次氏 『忘れられている安全保障』( 昭和42年刊 ) 、 雑誌『this is 読売』( 平成2年 )の記述 )
松田氏の解説です。
・結局、赤城は自衛隊出動を決断しないで終わった。岸がアイク訪日の中止を決めたからである。
・実際に自衛隊は、岸が命令を下せばいつでも出動できる態勢にあった。60年安保当時の陸上幕僚長・杉田一次は『忘れられている安全保障』の中で次のように記している。
・革命の前夜とは、まさにかくの如き情勢を示すのかと思われた。
・万一の場合に処するため、自衛隊の出動準備を促進したのであった。
・準備は各部隊長の協力と隊員の真摯な服務によって、秘密裏に行われた。
・出動準備演習も、多大の成果を収めた。
・北海道から輸送した大量の土嚢、鉄条網等も順調に到着した。
・第一線各部隊長も、新事態に対処しうる自信を得てきた。
・この間私は警察庁長官及び警視総監を訪れて、治安維持に処する警察の決意と意図把握に留意した。
・さらに杉田は、雑誌上で衝撃的な証言をしていた。( 雑誌『this is 読売』)
・出動の場合、武器は携行するつもりでした。
・小銃はも当然ですが、機関銃も重火器も持ちます。
・戦車も50台近く、練馬にあつめました。
・戦車を集めた理由は、報道関係の人もデモを扇動している人も、自衛隊のやっていることを真剣に見るだろうという考えからです。
・実際、部隊には実弾まで配ったのです。武器使用はあると思っていました。
・相手に負傷者は出ますが、それが即ち軍に備わる抑止力なんです。
岸氏は明らかに追い詰められ、動揺していたと松田氏が言い、『岸信介の回想』から岸氏の言葉を紹介します。
・アイク訪日を止めたのは、6月15日の樺美智子事件のあとです。
・私はアイク訪日を解決して、自分としては総理を辞めるハラを決めていたんです。
・アイクが途中まで来たのを迎えられないと言うことは、責任を取らなきゃならない。
・樺さんが死んだから、ワシが辞めると言うわけではないけれども、しかし樺さんの死は、一学生が路傍で事故で死んだ
という単純なこととは違う。特に国会内で起きたことですからね。
アイゼンハワー大統領は予定通り極東外遊のため、ワシントンを出発しました。その途中で藤山外務大臣が外務省にマッカーサー大使を招き、アイクの訪日延期を申し入れたと言います。今も私は岸氏の一連の決断を、何と評価すべきかに迷います。もしかすると松田氏もそうだったのかもしれません。氏の解説が二つあるところに、それを感じ取りますので紹介します。
〈 解説 1. 〉
・新条約は国民の議論を無視した。数による「一党独裁」の議会政治の産物だったと言ったら言い過ぎだろうか。
・あの時会期延長をしなかったならば、日米関係に重大な亀裂を生じたと氏は言うが、それは後付けの理由にしか見えない。
・新条約が重要問題であればなおさらだ。議会制民主主義を形骸化し強行採決して良いはずがない。
・そのことを一番分かっていたのは、他ならぬ岸自身ではないだろうか。
〈 解説 2. 〉・・・『岸信介証言録』から、岸氏の言葉を紹介
・私は安保改定が実現されれば、たとえ殺されても構わないと腹を決めていた。
・死に場所が官邸なら、以って瞑すべしである
・殺されるなら一人でいいと思っていたが、弟が兄貴を一人で置くわけにいかないと言うので、二人で籠城することになった。
・19日午前0時、自然承認の時を迎えた時は本当にホッとした。
弟の栄作氏が、「兄さん、ブランディーでもやりましょうか。」と持ってきたビンとグラスで二人は口にしたそうです。
ここで103ページ、氏の著書の半分を紹介しました。『絶頂の一族』の5人が残っていますが、このままで終わると尻切れトンボになります。松田氏の著作の目的は、岸氏と長女洋子氏、晋三氏に続く親子3代の悪の系譜を読者に伝えることにあります。
私が別の視点から息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に紹介したため、氏の目的はダメになったのかもしれません。松田氏のメインテーマは、岸氏が残した「憲法改正」を阻止することにあります。
「憲法改正をすると、アメリカの弾除けに日本が使われることになる。」「アメリカのポチになる。」
反日左翼の人々は言いますが、どうしてこのような一面的だけに注目するのか。「憲法改正をしなければ、日本はいつまでもアメリカの属国のままだ。」という面もあるのに、松田氏もそこに目を向けません。「憲法改正が、日本の独立の一歩」と考える人間にとっては、松田氏の主張は疑問が残るのではないでしょうか。
そこで次回は松田氏のために、「憲法改正」に反対するファミリーの意見を紹介しようと思います。できることなら、次回を最終回に出来ればと考えています。