ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 アースダイバー 』 - 4 ( 千葉日報の記事 )

2022-01-28 20:51:48 | 徒然の記

 昨年の12月18日、千葉日報新聞に、中沢氏の特集が掲載されました。「ハーベストタイム」と言うシリーズもので、紙面のほとんどを使う大きな記事です。

 それによりますと、令和元年に出版された『レンマ学』が、氏の探求の道が達した一つの頂点だと言うことです。『カイエ・ソバージュ』『対称性の論理』『アースダイバー』など、多様な観点から試みてきた思想の連なりが、生み出したものと言います。

 「人間の心を、追い求め」「吉本隆明さんとともに高みへ」と、記事の見出しにある通り、氏は吉本氏と近い場所にいる思想家です。最近になって氏は、吉本氏がやろうとしていたことと、自分との接点が見えてきたと語っています。

 「精神と心を、物質と絡めながら、一つの統一体を作りたい、そういう唯物論を作らなければならない、と言うのが吉本氏の考えだった。」

 氏はそのように語り、自分も別ルートから、同じところにたどり着いたと言います。吉本氏の著作を読み、中沢氏の著作を読みましたが、正直なところ、私には何のことなのかさっぱり分かりません。

 二人とも「知の巨人」と呼ばれていますから、凡人の私とは違った世界に生きているのだと思います。

 「新自由主義で日本社会はぼろぼろになって、ものすごく危険なところにまできてしまったけれど、資本主義を少しは変えないとまずい、と言う思考も出てきている。」

 「国連の持続可能な目標 ( SDGs  ) を掲げ、産業構造を変えようとしたり、GAFAと呼ばれる巨大IT企業への、規制を強めようとしたり、」

 こうした動きに、氏は期待が持てると語ります。「SDGs」は別にして、それ以外の意見に私は概ね賛同しますので、「反日左翼思索家」と決めつけるのは、果たして適切なのかと言う疑問もあります。

 もしかすると氏は、吉本氏と同じく優れた頭脳を持つ、「知的ゲーム」を楽しむ、インテリの一人なのでしょうか。「自分の言葉を理解できない人間には、理解してもらう必要がない」と、割り切っているのかもしれません。

 そう言う観点から見直しますと、『 アースダイバー 』  には沢山の事例があります。例えば28ページの主張が、その一つです。

 「地球環境に関心のある人たちは、異様に暑い夏や、ちっとも寒くならない冬に、地球温暖化がますます進行していることを感じ、危惧を抱いている。問題はすべて、人間が発達させすぎてしまった工業文明にあると言っている。」

 「しかし地球の問題を、数億年単位で考えている地球学者に話を聞いてみると、地球の温度は、実に長期間で変化をしているので、ことによると今がその温暖化のカーブに差し掛かっているだけかもしれない。」

 「だから原因を、人間の愚行にばかり求めるのはどうか、と言う返事が返ってくる。」

 地球の温暖化については、こう言う見方も必要でないかと氏は言います。さらに次のような意見になりますと、反日左翼思想家と単純に言えなくなります。

 「産業の発達の恩恵を、さんざん受けている人間たちが、自分を支えてくれるものを批判するときは、よっぽど注意してかからなければならない。」
 
 「それは、パスポートを持って、外国を安全に旅行しているくせに、やたらと、自分の国を批判するようなものであるる。森を見ないで、木のことばかり気にしていると、その人は知らないうちに沼地にはまり込んでしまうだろう。」
 
 時空を超えた思索をする、素晴らしい人に思えてきます。
 
 「地球はゆったりと動き、変化している。物事を、本質的なレベルで決定したきたのは、そう言う長期的なサイクルを持った変化の方なのである。」
 
 息子たちにも、「ねこ庭」を訪問される方々にも、もう一度言わなくてなりません。
 
 「私の書評は、あくまでも一つの参考ですから、そのまま受け取らず、自分で本を読んでください。」
 
 私もこれからは、「反日左翼」と言うレッテルを、むやみに貼ることを控えようと思います。紋切り型のレッテル貼りをするのは、共産党と、その親派のマスコミと学者たちがすることですから、愚行は彼らに任せておきます。
 
 次回で、最終回にしようと考えています。関心のある方だけ、「ねこ庭」へ足をお運びください。
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『 アースダイバー 』 - 3 ( 天皇の森 )

2022-01-28 11:12:00 | 徒然の記

 不穏なものを漂わせる「皇居の森」を語るには、先に「明治神宮の森」の説明が必要であるようです。

 第2章 ( 74ページ ) の「天皇の森」は、このことが語られます。氏が反日の人物でなければ、詳細な説明が素直な気持で聞けたのにと残念です。

 「帝都・東京の設計図を描いていた人々の中には、象徴的にものを考えることの好きな人たちもいて、この人たちの悩みの種は、東京を守護すべき守護霊の居場所が、はっきり定められていない、と言うことであった。」

 区史や郷土史をつぶさに調べていますから、叙述には説得力があります。多少氏の性格が見えるとしても、文章全体に客観性があります。

 「京都には北東の方角に比叡山があり、そこに最澄が仏教の寺を構え、国家鎮護のための象徴的な場所とした。」

 「江戸にも、北の方角には日光山があった。江戸の設計図を描いた、天海僧正の提言で日光に聖地が開かれ、家康の御霊を祀ることで、そこが守護霊の宿る場所となった。」

 「こう言う場所が、近代天皇の都である東京にはなかったのである。」

 東京を日本の中心である「帝都」にしようと、設計者たちは知恵を絞り、都内に守護霊を祀る場所を探しました。氏はここで、『明治神宮経営地論』と言う資料の一文を読者に紹介します。

 「東京は帝国の首府にして、世界に対して帝国を代表せるゆえに、帝国を鎮護せらるべき地点は、帝国を代表する帝都を鎮護せらるべき地点たるなり。」

 明治時代のご先祖らしい、大層な言葉ですが、堅苦しいばかりで、あまり内容がありません。氏は原文の紹介をやめ、「大地の歌」を自分の言葉で翻訳します。そうなりますと当然、氏の偏見も混じると考えなくてなりません。

 「広々として小高く、白虎 ( 西 ) 、青龍 ( 東 ) 、朱雀 (  南 ) 、玄武 ( 北  ) を表す、吉相をそなえた土地を持ち、水清く、深々とした針葉樹林に包まれた森と言えば、最有力候補として代々木が浮上してくる。」

 「その森に、帝都と帝国を守護する、強力な霊を祀る神社が、建てられなければならない。そうしなければ、世界戦争の時代を生き抜いていくことはできない。」

 幕末以来、西欧諸国によるアジアの侵略を見て、国の守りを念頭に置いていたご先祖ですから、こうした想いがあったことは確かだろうと思います。

 『明治神宮経営地論』をどのように読み取るかは、その人次第です。氏のような反日学者は、侵略国家日本の基礎がこのようにして作られたと、曲げた解釈をします。

 「明治神宮は、日本という国家のための〈鎮守の森〉として、最初から構想されていた。」「入念な調査と、森林生態学の知識を駆使し、慎重に設計が進められた。」

 「莫大な予算と、多くの国民の作業奉仕を投入して、大正時代を代表する一大プロジェクトとなり、大正9年に一応の完成を見た。」

 明治神宮が、どのような経緯で作られたのかが分かりました。設計図を描いたリーダーにも、役務の奉仕をした人々にも、感謝せずにおれない大事業だったと、初めて知りました。けれども氏は、反日の文筆家ですからそんな思いには浸りません。

 「明治天皇の御霊は、代々木につくり出された巨大な鎮守の森に祀られることによって、帝国の守護霊となった。」

 「文明開花などによっても、深層で動いている日本人の思考は( 縄文時代と ) 少しも変わらなかった訳である。」

 この意見には、少し説明が必要です。「神道」には、次の三つの信仰があります。

  1. 自然信仰 山や木や岩など自然の中に神を見、人間もその一部だと考える。

  2. 御霊(みたま)信仰 優れた人や、社会貢献した人などの魂を信仰の対象とする。

  3. 祖霊(それい)信仰 祖先を神として敬い、これが国の祖先である天皇と、無意識のうちにつながる。

 神道に八百万の神が存在するのは、この三つの信仰が混じり合っているからだと言われています。神道は、縄文時代からのものとされていますから、「明治神宮」建設の思想の中にもあると述べているようです。

 氏は縄文人の思想が、西洋近代化を進めた思想に比べ、劣った、時代遅れのものであると評しています。

 そして氏は、章の最後を次の言葉でまとめています。

 「天皇制は、日本の全体をおおいつくそうとする原理だ。しかし全体を一つの原理でまとめると、必ずそこから排除されるものを生む。」

 天皇制には問題があると、言いたいのでしょうが、断定はしていません。していなくても、文章全体が、「皇室否定の歌」を歌っています。毛沢東の言葉を使う氏に、私は次の「変換した歌」を贈ります。

 「マルクス主義は、国の全体をおおいつくそうとする原理だ。しかし全体を一つの原理でまとめると、必ずそこから排除されるものを生む。」

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