平成30年の12月に、ネットの動画で伊藤惇夫氏の意見を聞き、次のように書きました。
「日本を愛する心もなく、信念のかけらもない、ハウツウ中心の評論家も、そのうち目覚めた国民から嫌悪され、消えていくはずです。」
しかし令和3年の12月に、氏の講演記事を千葉日報が掲載しているのを見て、4年前の予想が外れ、氏が健在なのを知りました。『遠野物語』と『共同幻想論』の書評も大事ですが、伊藤氏の講演の批評も劣らない重要事です。この4年間、共同通信社を筆頭とするマスコミの体質が、いささかも変わっていないという事実の報告にもなります。
「日本を愛する心がなく、信念のかけらもない、ハウツウ中心の評論家」とはどう言う人物なのか。再度氏の経歴を、紹介します。goo事務局から、「不適切表現」の警告を受けるのかもしれませんが、ここはぜひ「言論の自由」を尊重してもらいたいものです。
「学習院大学卒業後、出版社へ就職した後、」「昭和48年、当時の田中総理に誘われ、」「自民党本部事務局に勤務。党では広報を担当し、」「平成元年からは、自民党政治改革事務局主査補として、」「政治改革大綱を取りまとめた。」
「その後、自民党を退職し、」「平成6年末から、新進党総務局、平成8年12月から太陽党、平成10年1月に民政党、」「4月から、民主党の事務局に勤務。」「太陽党以後は、いずれも事務局長を務めた。」
「新党の結成に、次々と立ち会ったことから、」「新党請負人の異名を持つ。」「平成13年、民主党を退職し、」「政治アナリストとして独立。」「執筆業の他、ニュース番組や、ワイドショーなどで、」「コメンテーターとして活動。」
高給で雇ってくれるのなら、どこででも働く、「パート労働者」のような経歴です。こういう人物が、日本の歴史を変形させ、若者の思考を乱れさせます。私に言わせれば、「獅子身中の虫」ですが、このような人が金を稼ぐ格好の場所が、左傾マスコミの世界です。
ついでなので、4年前のブログで紹介した氏の意見を、かいつまんで言いますと、「安倍総理の憲法改正は、単なる政権維持のためのポーズで、どこにも本気度はない。」・・と言うものでした。
「憲法改正の発議をしたら、60日以内に国民投票をしなくてなりません。」「マスコミ各社の、世論調査のデータを見ても、」「改憲には、明らかに反対が多いのです。」「特に九条となれば、国民の抵抗が強い。」「国民投票で、ノーと出れば、」「内閣は、即時解散です。」
柳田氏や吉本氏の話のような「分かりにくさ」が、どこにもなく、誰にでも聞き取れる普通の意見です。しかし同時に、日本という国を大切にする心が、どこにもない話です。
「総理は、あと3年は、政治をやりたいと思っています。」「仮に国民投票で賛成を得て、」「改憲しますと、どうなりますか。」「やるべきことをやったのだから、総理を辞めたらどうですかと、」「周りから言われますと、辞めざるをえません。」
「だから、安倍さんは、本気でやらない。」「やるとしたら、3年のギリギリの段階で、やるのではないでしょうか。」「私だったら、そうします。」「それまでは改憲を言い続けていないと、求心力が低下します。」「つまり、総理は、これを延命の武器にしていると、私は思います。」
政治の世界を知り尽くした氏の言葉ですから、まんざら嘘ではないのでしょう。権謀術策の政界なら、こうした事実もあると思いますが、それが全てであるはずもありません。マスコミが安倍総理を集中攻撃していた時なので、氏の意見も、時流に乗っていました。ブログの世界では、庶民の意見がチェックされますが、マスコミに登場するハウツウ評論家はお咎めなしのようです。
「憲法改正という、こんな大事な問題を、自分の政権の延命に使うのは、褒められた話ではありません。」「党内での議論も、十分せず、こんな総理のやり方はおかしいと、」「石破氏も言っています。」
これが4年前の氏の意見でしたが、聞き終わると、不快感と憤りが残りました。このような観点からしか、総理の意見が語れない評論家の存在にも、失望しました。安部総理のことは別に置くとしても、国際社会における、日本独立の鍵が「憲法問題」にあることに触れず、日本の歴史とご先祖を否定する現行憲法について、氏は何も語りません。
政治手法として、総理の延命策があるとしても、それがすべてであるように語り、国民に憲法問題を考えさせなくする評論家が、今の日本に必要なのでしょうか。まして氏の意見が、石破氏と同じというのでは、笑止千万ではありませんか。
4年前のブログの紹介で終始し、令和3年12月24日の千葉日報の記事には触れずじまいになりました。ハウツウ評論家である氏が、どんなことを言い千葉県民を惑わせているかについては、次回といたします。