見習うべき点も発見していますので、次回はそれについてご報告します。・・と言いましたが予定を変更し、『共同幻想論』の書評に入ります。目次は次のようになっています。
1. 序 2. 禁制論 3. 憑人論 4. 巫覡論 5. 巫女論
6. 他界論 7. 祭儀論 8. 母制論 9. 対幻想論 10. 罪責論
11. 規範論 12. 起源論 13. 後記
現在青色表示の項目を読み終え、これから74ページの 「4. 巫覡論」にかかろうとしています。
「『共同幻想論』は昭和43年に刊行された、吉本隆明の著作である。」「当時の教条主義化したマルクス主義に辟易し、そこからの脱却を求めていた全共闘世代に熱狂して読まれ、」「強い影響を与えた思想書である。」
ネットに解説があり、74ページまで読みましたが、そのような箇所はどこにもありません。「教条主義化したマルクス主義からの脱却」が、これ以後に語られるのだとすれば、氏に提案したくなります。読者に、もう少し丁寧な対応ができないのでしょうかと。
「 1. 序 」の中に、唐突に出てくる「社会主義リアリズム論」、「スターリズムの芸術論」だけでなく、相変わらず耳慣れない用語が、無造作に使われます。 「憑人論」と「巫覡論」はどんな読み方をするのか、どんな意味でなのか、説明がないのでネットで調べました。
〈 憑人 ( つきびと ) 〉
・狐など、物の怪が取り憑いた人 或いは取り憑かれた人
〈 巫覡 ( きね ) 、( ふげき ) 〉・・二つの読み方がある
・神に仕える人、神官、巫女のいずれにも使う
・祝詞 ( のりと ) をあげて神意を伺い、それを伝え、神と人間とのなかだちをする人。
「憑人」は何となく分かるとしても、「巫覡」は読み方の見当がつきませんでした。全共闘の学生たちが熱狂して読んだということですが、彼らは、どこを、どのように読んでいたのでしょう。
73ページまで読んで得たのは、「分かりにくい文章」が取り止めもなく書かれている、という感想です。説明なしに使われる用語、独特の思考回路から発せられる回りくどい話、これを私は、難解という言葉で語る気にはなれません。
この本の書かれた目的が、弱い立場にある庶民を、絶対的強権で侵略戦争に駆り立てた国家と政府を弾劾し、解明しているというのなら、はっきり書けばいいのです。「 1. 序」、「2.禁制論」、「3.憑人論」と読みましたが、明確な叙述がありません。
読み方次第でどうにでも解釈のできる文章で、読者に思考させ、「俺は吉本の難解な本を理解した。」「吉本の言っている意味を理解するには、自分の努力がまだ足りない。」などと、言わせています。
「私は終始、私にとって切実な課題が、」「私以外の人々にとって、切実でないはずがないし、」「私にとって現代的な課題が、私以外の人々にとって、」「現代的でないはずがない、と言う確信をいだいてきた。」
「あとがき」で氏はこのように語っていますが、それならば、訳の分からない謎かけ問答のような叙述をやめ、「自分にとって切実な問題」を率直に述べれば良いのです。それをしないのは、平易な言葉で説明する能力がないのか、あるいは自分の才に溺れ、世間の愚か者をたぶらかす「知の遊戯」を楽しんでいるか、いずれかであろうと思います。
マルクスの思想に影響を受けているとしたら、正しい影響を受けるべしと、私は提案します。マルクスの『資本論』は難解ですが、文脈に曖昧さがありません。マルクスの著書は、初めから最後まで一貫して、「自身にとって切実な問題」が述べられています。真剣な著作とは、そういうものだと考えていますから、「取り止めのない叙述」の『共同幻想論』は、評価に値しません。
それでも辛抱強く、書評をするのには、理由があります。それこそ氏のいう、「私にとって切実な課題」があるからです。
軍事大国となった中国が尖閣諸島への侵略を公然と口にするため、岸田内閣は自衛隊と海上保安庁との共同軍事訓練を実施しました。中国軍が尖閣を攻めてきた時の、離島での反撃訓練です。さらにはオーストラリアと安全保障条約を結び、日米安全保障条約を補強しました。
韓国との関係は相変わらず、「慰安婦問題」と「徴用工問題」で深刻な対立が続き、先の見えない状況になっています。
これらは全て、東京裁判の復讐判決を信じた、吉本氏のような反日の思想家たちが、多くの国民を扇動しているところに原因があります。だから私は、小さな努力の一つとして、自分の息子たちのため、氏の「愚論」を「ねこ庭」の教室で明らかにしたいと考えています。
緊迫した現在の社会情勢を思えば、今更このような書評は無駄と思われる方は、次回以降をスルーしてください。もしもkiyasumeさんが、このブログを読んでいるとしたら、同じことをお勧めします。