だらだら日記goo編

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仕切りのない家

2005-08-01 00:10:15 | アート・文化
子ども部屋に鍵をかけるかどうか議論になる。
なんとも贅沢だと思う、僕の家は子ども部屋などなかった。
両親年老いてもう子どもできないだろうと一階は人に貸したのだ、だからそれから産まれた僕は小さいうちは父と同じ部屋に寝起きしていたーといっても父は仕事忙しく家にいる時間は短かったが。
こんなことを思い出したのは松下電工NAISミュージーアムに「建築家 清家清」の展覧会を観たからだ。
何でも1954年に「私の家」というのを大田区に造ったそうで、それが「一室空間」なのだ、つまり建物に仕切りがない。
清家は「方丈記」の具体化と考えたらしいが、当時としては奇妙で両親は「こんな変な家に住めない」といい、雑誌は「動物園のおりの様」と評したらしい。
仕切りがないということは開放的だが、困った面もあり、シャワーを使うと水びだしになる、で風呂は両親の家のを使ったらしい。
しかしこの人は負けない、「家相で立てた」という「続、私の家」「倅の家」を造り、同じ敷地につなげるのだ。
もともとこの人は絵画に興味があり、1942年のダヴィンチの展覧会にいたく刺激を受けたらしい。
ヨーロッパを旅してはパルテノン神殿に刺激され「ぱるてのん」をあらわしたりもする。
であるから「私の家」もヨーロッパ式に室内でも靴で暮らすことを前提にしており、移動式の畳まで用意する。
彼のこの仕切りのない思想はずっと受け継がれ東京オリンピックの選手村では選手ロビーに柱がないという構造だ。
この人の出発点は「森博士の家」1951だ。
六十年以上経過してもまだ人が住み続けている。
会場ビデオでは住人がやはり仕切りのない開放感を強調していた。
もともと仕切りが嫌いなこの人は「適切な浴槽サイズの実験」なるものもやった。
深さ、幅、長さが自由に調節できる浴槽だ。
仕切りのない家という発想はこの人がヨットが大好きというところから生まれたのかもしれない。
当たり前だが海には仕切りがない。
ついこの間世を去った建築家だが、今の都心の小さくて仕切りだらけの家をどう思っているだろうか。
展覧会を観て母の特養ホームへ特急「かいじ」で。
さいきん母を訪ねるときは特急に乗るのが習慣になったが、有料老人ホームではないやすい特養だからまあいい。
今の特養は個室だが10人一ユニットでロビーがたくさんある、これまた開放的だ。