だらだら日記goo編

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偉大なる親

2005-08-16 23:21:32 | アート・文化
親にとって子に先立たれるより不幸なことはあるまい。
しかも子どもが相次いで2人も続けてなくなったらどんな気持ちだろうか。
僕には想像できないがそんな運命をたどった画家がいる、難波田龍起だ。
その回顧展を東京オペラシティのアートギャラリーに見に行く。
初期の難波田は風景画を良く描いている、「山はいくら眺めても飽きない」といったそうだ。
父親の影響も強いようで、父親を「日本固有の武士の精神」である「楷書の精神」を持っていると評する。
それからギリシャの精神に目覚める。ギリシアの精神というか古代への憧憬だ。
というわけで「百済観音」とか「若き仏陀」などを描く。ここいらへんまでが戦前だ。
戦後はやけに抽象的となる「アブストラクト」とか「コンポジション」とか、当時の流行に乗ったともいえる。
しかしその一方で1966「花」など燃えるような赤が印象的な具象画も描く。ルドンの影響を受けたことが良くわかる。
そして1974年、事件は起こる。次男史男がフェリーから転落死、翌年長男も死去する。
そしてちょうどその年「幽」とか「幻」とか「合掌」といった作品が生まれているのだ。
明らかに画家の作風は変わった、その集大成がモネに影響を受けたという横長の大画面にうねるような色調を見せる「生の記録」だろう。
この題名の意味は会場に解説もないので、画家自身の「生の記録」なのか、息子の「生の記録」なのか判然とはしないが両方含まれるのかもしれない。
で、この画家は病の床につくが、でも創作をやめない。
「病床日記」である。「日記」というが文字はない、たてものや花や「用賀駅ビル」などをスケッチするのだ。
絶筆には「拝」といった文字が読み取れる。
で同じ会場でコレクション展として、次男の史男の作品も展示される。
「宇宙船が来るよ」とか「宇宙祭のみこし」とかこちらは時代を反映させる。
人やら機械やら生物やらなにやらいっぱい描かれるのが特徴だ。「太陽」の主題が多い。
二人の作品を見比べるのも一興だ。
さて、今日は時間がなくて見られなかったが、同じたてものにあるNTTインターコミュニケーションセンターがまもなく閉館するという。近いうちに訪ねてみたい、こちらはローリー・アンダーソン「時間の記録」の展覧会。



神話の森へ

2005-08-13 00:52:24 | アート・文化
夜間開館を利用してBunkamura、ザ・ミュージーアムに「モロー展」を観に行く。
僕はモローを良く知らないが、モロー美術館という画家自らの美術館の出品で、この美術館はルオーが初代館長を勤めていたというから驚く。
モローは自らを「歴史画家」と名乗ったそうだが、彼が生きていた当時は「歴史」とは一義的にギリシャローマ時代のものであり、聖書は二義的だという。
というわけで、展示はギリシアローマ神話を扱ったものがずらり。
モローはかなり研究熱心だったようで、絵を描くのに下絵をかなり描いた、その下絵は前期後期に分けて相当数展示される。
「オデュッセウスとセイレンたち」といった哲学者アドルノが紹介した良く知られた神話から、「ヘラクレスとルレネのヒュドラ」といった僕にはなじみのない神話もいろいろ展示される。
本画はまことに大きくスケールと迫力に富む、こういうのは画集でみてもわからない。
テレビと映画館でスクリーンを見比べるようなものだ、実際見ないことには美術の楽しみなど伝わらない。
いろいろ見て「一角獣」とか「サロメ」とかこの画家の本領発揮のコーナー。
一角獣は純潔の象徴だとか、ちなみにこのコーナーには扇に描かれたペルシアの妖精とか、日本のキモノを着た女性とかも展示される。
「サロメ」は聖書の主題だ、洗礼者ヨハネの殉教というテーマである。
なんと言っても注目は「出現」だ、はねられたヨハネの首が光を放って現れる!
モローはあとからこの絵に装飾文様を加えたために幻想的な絵になったと解説にあった。
あとはキリスト教の主題の絵がちょこっと展示されているがお粗末なのは1886「人類の生」が移動が困難との理由で展示されていないことだ。
まあ神話と聖書の世界あれこれ、夏休みに親しむにはいい課題かも。
1300円も取られるが夜間開館なのに意外と混んでいたのは東京新聞がゴッホに引き続き招待券ばらまいたためか。
外に出ると雷が鳴っていたのでスターバックスで休息。
夏の終わりの雷雨は毎年の出来事、自然は一つも変わらず僕たちを迎えてくれる。


時代に夢があった頃

2005-08-11 23:34:31 | アート・文化
今日の七時のニュースで、月旅行110億円というプランをやっていた。
夢がない時代といわれるが探せばあるものだ。
何しろ百年前の1899年に「発明されるものはすべて発明しつくされた」などといわれたのだ。
百年前ーちょうど有人飛行船が成功し、時代はシカゴ、パリ万博の頃だ。
そんな時代の「夢」を集めた展覧会「100年前の未来画」展を小田急百貨店に観に行く。
1880-1919の未来を描いたイラストの展示でアンドリュー・ワット氏のコレクション。
冒頭から途方もない「夢」が出てくる。
未来の集合住宅は265階建てで、電車がそのなかを走るというのだ!
飛行船が実用化された時代だ、飛行機の「夢」がいっぱい。
ノートルダム寺院は飛行船の駅になり「神に最も近い」駅のカフェは大混雑すると夢見た人もいる。
飛行機が空を飛び交い「飛行機タクシー」が繁盛、「空に浮かぶホテル」ができたり、「地上は落し物の山」になる。
女性の進出も著しい。
結婚式は「深海」や「自由の女神」で執り行われ、「男性の独身は違法で二十四時間営業の結婚登録所」に連れて行かれるとか。
笑えない夢もある。
X線により、プライバシーは消滅、すべては覗かれる。監視カメラを考えると半分当たっている。
広告の時代だ、自由の女神も広告で覆われる。
実現してほしい夢もある。
「美術館を陳列した移動ギャラリー」だ。
足の悪い人、体の悪い人にも美術を身近なものに!
サハラ砂漠も緑に覆われ、雨が降る。温暖化が進む今実現できないものか。
あれやこれや、昔の人の「夢」を堪能させていただきました。
さて、僕らは百年後の夢を何を語れるであろうか。
未来が美しいものになることは僕らが夢を持ち続けることによってのみ可能になる。
温暖化が進み地球が人の住めない惑星になり、火星に移住ーそんなネガティブな未来ばかりではないと信ずる。


泥棒2題

2005-08-08 23:14:22 | アート・文化
大倉集古館「シルクロード装いの美」の展覧会に行く。
月曜だがホテルオークラのチャリティイベントの関係で開館しているのだ。
千円も取られるが、僕は「ぐるっとパス」、チャリティイベントを見た人はそのまま入れるのでわりと人がいた。
で、何でこの美術館でシルクロードの展示をやるのかだがどうもよくわからない。
ブハラの「スザニ」の展示がメインのようだが、その「スザニ」は七点しか展示されない。
何でも「スザニ」はいまや中央アジアではほとんど現存せずロシアや英国の海外コレクションだということだが、中央に円形六角形があり、そこから周りに放射されている絵柄はどれも同じだ。
そんなに貴重なものかどうか僕には良くわからない。
二階に行くとコシノヒロコの衣装がずらり。
シルクロードに関係するものかと思えば、この人は幼い頃の能や歌舞伎がベースになっていると解説あり。
ではシルクロードとどう関係するのかという疑問がわく。
あとは現代作家の「血統マフラー」とか「デザートトッピング」とか良くわからんものが並ぶ。
「血統マフラー」は良く見ると英語でCreationとかかれていたり、「現代遊牧民お守りマフラー」は日本語で「無量」とかかれていたり、面白いところもあるが展示の趣旨がはっきりしない。
で、カタログは薄っぺらいのに、二千円も取る、こういう展覧会を泥棒という。
さて、又特急「かいじ」で立川へ、今日は特養ホームのイベントがある。
ところが中央線、国立駅の信号トラブルとかで電車は走ったりとまったり。
50分遅れで立川につく、こういうのを普通は「特急」とは呼ばないのだがJRは特急料金はちゃんと取る、これもまた泥棒だ。
帰路に着くと、今度は青梅線、さらには東海道線まで信号トラブルとか。
何をやっているのかJR,なんか疲れた一日だ。


気さくなのは良いのですが

2005-08-06 23:41:00 | アート・文化
渋谷区松涛美術館に和田義彦の展覧会を観にいく。
今日画家自身のギャラリーガイドがあることはパンフレットで知っていた、しかし造園業者が庭の手入れにきたので、ある程度見届けなければならず、ギャラリーガイドには間に合わなかった。
しかし画家自身がまだサロンでお客さんとお茶を飲んでおり、ずいぶん気さくな方のようだ、好感が持てる。
で、この画家、イタリアやスペインで古典絵画に学んだそうで、ルーベンスやらベラスケスやらの模写も展示される。
その古典絵画を現代に受け継ぐ人のようで、それにはいい面と悪い面が出る。
たとえば「戦火の子どもたち」2003など、まるで子どもを抱く聖母のようで印象に残る。
しかし現代の女性を描いた絵画はいかがか。
「悪徳の囁き」やら「ポーズする女性」やら「青い部屋」やらいろいろあるが、あまりに陰影に乏しい。
退廃的なものを描きつつ、あまりに古典的で明るすぎる。精神性に乏しいともいえる。
アメリカで国吉が描いた女性像とは対照的だ。
この画家はさいきん東洋にも関心を向けてきたようだ。
森村誠一の挿絵やら、2005「ヴェニス」の暗い色調にそれは現れている。
まだ六十台の半ばの若い画家だ、これからどう変化するか興味がある。
「変化し続けることが最も重要」とこの画家が言うように、西洋を基調にして東洋を取り込んだときどんな世界が生まれるかーそして又この画家の気さくさも失ってほしくないものだ。