OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2002年アメリカ その6 宿

2019年08月19日 | 昔の旅行
2002年アメリカ その6 宿
2002 USA trip: Part 6. Base Hotel for survey

We stayed at a motel in a small town, Sekui on beach. The name of motel was “Olson motel”. It is peculiar that the name is same to a famous paleontologist, Storrs Olson, who studies plotopterid fossil.

 2002年3月10日(日)、化石採集旅行の初日も夕暮れになった。これから海辺のモーテルをとり、3泊することになっている。まずコンビニみたいな店に立ち寄る。ジムは何かクッキーみたいなのを買って「おまえも何か要るか」と聞く。要らないと答えると何かおかしな反応だった。クララム・ベイClallum BayにあるセキウSekiuという小さな町のモーテルに向かう。夏は込み合うということで、入江に沿う道の両側に数軒のモーテルが並ぶその中の一つ、入江の端にある「オルソン・モーテル」が宿である。


6-1,6-2 オルソン・モーテル 2002.3.13撮影
6-1,6-2 Olson Motel. 2002.3.13

 オルソンは、古鳥類学の重鎮 Storrs Olson の名でもあるので縁がある。まず、港にある古びた小さなショップに行き、鍵を預かる。早口の老人が二つの鍵を渡し暖房や施錠についていくつか注意を言い渡す。他に客はいそうにない。部屋に入ると、大きなベッドが二つ、簡単な調理設備とテレビ、デスクがあって、シャワー・トイレ・洗面台が奥にある。居心地はよさそうだが、暖房の利きが悪い。それに夕食はどうするのだろう。隣の部屋に行って、ジムに夕食に行こうというと、さっき買ったクッキーでいいんだがおまえが空腹ならレストランに行ってもいいという。そういう意味だったのか。大体、夕食が最大の食事であるというのは日本では共通の認識だが外国ではそうでもない、と聞いたことがある。クララム・ベイには東西に二つの集落がある。モーテルのあるのが西の集落セキウ、東にはもう少し大きな「クララム・ベイ」という集落がある。二つの集落のちょうどまん中にブレイクウォーター・レストランがある。駐車場から入ると、中央にカウンターがU字型にあり、二人ほど座っている。窓際には6人掛けぐらいのテーブルが並んでいる。テーブルに着いてメニューを見るが、これが海外旅行の苦手の一つで、よく分からない。ジムに聞きながらハンバーガーと紅茶を注文するが、ハンバーガーの文字の後ろにある「 w.F.F.」とは何であろうか。ウェイトレスが届けたハンバーガーの皿には、山のようにポテトフライがついている。with French Fry の意味だという。大体ポテトフライなんて、おやつとして食べるか、ステーキの横に五・六本付いているのをたべるぐらいだから、ここのようにポテトフライで腹をふくらまして、ついでにハンバーガーなんていうのは好みに合わない。それで、ポテトフライを大分残していると、全部食べろという。ニュージーランドでも「フィッシュ・アンド・フライ」という、白身魚のフライと、大量のポテトチップを一緒に紙に包んだやつをもてあましたが、それに似ている。
 支払いは私のカードを使う。15ドル63セント。チップはジムが置いた。モーテルに帰って就寝。出発したのが9日だが、まだ10日の夜。
 翌11日に起きて、部屋の鍵をかけずに寝ていたことを発見。まあ関係なくてよかった。まず朝食に例のレストランに向かう。昨晩と別のウェイトレスに注文してまた大量のポテトフライを食べる。今日はお客が多いが、すべてこの村の老人といった感じである。引退した老人が朝食を喫茶店でとる、名古屋の習慣と似ている。私はここでは少し目立つ人間なんだろうが、別に注目されるわけではない。今度はジムのおごり。朝食後少しはなれた町にでかけて日本円の両替を試みる。アメリカの辺境の小さな町で、はたして可能だろうかと思ったが、ジムはかまわず銀行に入る。大手の銀行 Bank of America の Clallam bay - Sekiu 支店で、カウンターは短く、二人の行員が対応する。幸いジムがこの銀行のユーザーカードを持っていたので、何ということもなく換金できた。レートは1円あたり0.007383ドル。逆数を取ると1ドルが135.45円。行員は一万円札に馴れているようにさえ見える。女性行員に「日本円の交換がそんなにあるのか」と聞くと「ここではないが、私は先週まで研修で東京にいた。」という。ともあれ、やっと現金のある生活になる。ジムにも30ドルを返す。
 第二地点ラスムッセン・クリークRasmussen Creekというところで採集。始新世末期か漸新世初期のMakah Fm層というのだが化石は少ない。大きな巻き貝の化石を採集してくれる。大型のプロトプテルム類や鯨の頭骨が出ているそうだ。


6-3,6-4 第二地点ラスムッセン・クリーク 2002.3.11
6-3,6-4 Stop 2: Rasmussen Creek. 2002.3.11

 ちょっと遅い目の昼食をとる。

Key words: Seattle Olympic Plotopterum Fan-de-Fuca Fossil Makah  シアトル オリンピック山地 プロトプテルム ファンデフカ海峡 化石 マカー層

戸畑渡船場付近を歩いてきました その5

2019年08月16日 | 鉄道
戸畑渡船場付近を歩いてきました その5

 「戸畑市史」にこの引き込み線に関する記述があることを、ニッスイパイオニア館の解説員の方々から教えていただいた。
 「戸畑市史」(1961年発行)693ページに、「臨港鉄道」と題して短い記述がある。臨港鉄道案は3案あったが、諸事情により「結局第三案の現在の通りにきまって難波技手等がいわゆる突貫工事で完成し、共同漁業株式会社の移転ができることになった。」とあり、その前段で「昭和四年12月15日臨港鉄道の完成を条件と」することが記してある。おそらく1927年末よりも後でこういった議論がされたようだ。従って、引き込み線・ターンテーブル・プラットホームは1929年末に完成していた。ターンテーブルで曲がるという裏技を使ったのは、急いで作ったためだろう。
 ところが、1952年発行(1950年修正)の地形図(以下・国土地理院発行の2万5千分の一地形図)には引き込み線の記入はなく、また現在のような建物の配置や並行道路もない。これはどうしたことか?

21 1952年国土地理院発行の地形図 赤細線は引き込み線の位置 地図の横幅約900メートル

 単に修正がおくれていたのか、それとも戦時からの判断で隠蔽されていたのか。それにしても、建設から20年以上、終戦から5年も経っている。それより古い1937年発行の地形図も記入がない。
 引き込み線が地形図に表記されるのは、手元の図では1977年発行(1975年修正)の図。1986年発行の地図も、引き込み線はほとんど同じで、ただ若戸渡船の戸畑側の船着場の位置が若戸大橋近くに移動している。なお、表示されているのは実線で、「旗竿線」ではないが、これは「側線」という正式な記号である。

22 1986年国土地理院発行の地形図 地図の横幅 約1,200メートル

 しかし、どちらを見てもターンテーブルの記入はないし、それより北の線路も記入されていない。ただし、国土地理院の地図記号には「ターンテーブル」という記号は無い。それは、2万5千分の一地形図で、直径20メートル程度のターンテーブルは0.8ミリになってしまうから。扇形の機関庫があればずっと大きいから位置の想定ができるが、戸畑引き込み線にはそういうものがない。

23 参考:京都梅小路の扇型機関庫 地図の横幅 約1,100メートル

 上の地図(地理院電子地図)は京都の鉄道博物館の扇形機関庫で、その前にはもちろんターンテーブルがあるが、地図では表記されていない。
 また、プラットホームにつながる線路も、家屋の中なら書かれない場合があろう。結局、地形図にターンテーブルやそれより北のプラットホームに続く部分を記入されているものはほとんど無い。やっと見つけたのは1968年発行の国土地理院国土基本図(2,500分の一)で、直角に曲がった線路とターンテーブルが見える。(1962年の国土基本図には引き込み線が記入されているが、ターンテーブルと、その先は書いてない。)ただ、ターンテーブルの直径は、図上で4メートルぐらいしかない。国鉄の前身・鉄道省時代の貨車についてはよく知らないが、無蓋車の最小のものでも、長さが6メートル以上あったと思う。ターンテーブルに乗ったのだろうか? 地図の図式の関係で小さく表記されているのか、それとも車軸の間隔は4メートル程度だから乗せられたのか。
 しかも、この国土基本図は1968年の発行だから、そんな短い貨車はすでに無かったはず。

24 1968年発行の国土基本図 地図の横幅 約400メートル
 
 この図の引き込み線(短い枝線がある)と海岸線、それにおもな道路を現在の地形図に合わせて乗せてみたのが次の地図。

25 基本図から写し取って現在の地形図に乗せたもの。 地図の横幅 約600メートル

 線路とターンテーブルが赤、道路と護岸を青で記した。図上で護岸と道路が最もよく一致するように、位置と拡大率を変えた。方位は変更する必要がなかった。これが正しい引き込み線の位置と考えられる。ターンテーブルの手前では線路は直線でないことや、プラットホーム側の3本の線路のうち海側のものはターンテーブルの横を通り過ぎる形になっていることがわかる。1975年撮影の航空写真には、基本図のターンテーブルの位置に直径5メートルほどのやや黄色の円形が写っている。そのすぐ北には貨車がいるから、線路は明瞭でないがあったことは確実である。写真には他にも貨車(有蓋車)が写っているが、長さは8メートルほどあって、先ほどの円形の部分には入らない。どうやって向きを変えていたのか?
 これらより後(1991年発行の地形図以後)の地図には家の配置には経路を思わせるものがあるが、線路の記入は無くなる。この引き込み線が最終的に撤去されたのは、おそらく1980年代であろう。1975年に北九州市中央卸売市場が開設され、おそらくその後には戸畑の魚市場もあまり使われなくなったであろう。
 インターネットで探すと、「2013年末に戸畑西部ヤードにターンテーブルの残骸があった(写真あり)」「明治製菓の工場内にターンテーブルがあったらしい」などの情報が得られる。「戸畑西部ヤード」は天籟寺川の対岸で、もう少し枝光よりにある。また明治製菓は鹿児島本線沿いにあった。問題の引き込み線はこの後に入って行くから「明治製菓の工場内」に見えたかもしれない。これらを整合的に解釈できるのだろうか?
 捕鯨の情報を求めていて、偶然知ったことだから、十分な調査ができていない。7月24日に引き込み線の存在を知ってから2週間を過ぎたのでここまででわかったことを記した。後でもう少し調べるつもりであるが、私が北九州に来た頃にはまだこの引き込み線があったらしく、興味ぶかい。

戸畑渡船場付近を歩いてきました その4

2019年08月13日 | 鉄道
戸畑渡船場付近を歩いてきました その4

 7月31日に、旧引き込み線の現状を見に行ってきた。現在の国土地理院の地形図を見ると、戸畑駅からターンテーブルの位置に向かってそれらしきカーブを描いた地形がある。

15 現在の地図 国土地理院の地形図から作成

 引き込み線は、赤い点線のラインを通っていたはず。それに沿って歩いた。赤い文字記号は右下から反時計回りにS:戸畑駅 T:天籟寺川 I:一文字波止記念碑 C:戸畑製罐工場(現在は撤去済み)。青い記号は写真撮影場所。
 戸畑駅の北口を出て、左に向かうと、すぐに引き込み線の跡の道路が見える。

16 地点A 2019.7.31

 すぐ先でその道は正面の建物で遮られている。その建物の左側奥は斜めのブロック塀で区切られているので、それが引き込み線の左端だったことが明らか。建物の右側を迂回して次の道に行くと、何かの作業場の入り口が、斜めになっていて、線路の方向がわかる。もう一度迂回すると大きな建物の角が不自然に切り取られている。

17 地点B 2019.7.31

 このように、B地点までは、引き込み線跡地が主に北側の土地区画に取り込まれているようだ。B地点から海岸までは道路があるが、実はそのあたりから引き込み線が三線化されていたらしい。現在の道路より北側に線路があった。

18 地点C 2019.7.31

 地点かCら先は工場(戸畑製罐株式会社)の跡地で道路が並行し、工場跡地は現在整地中だった。グーグルアースでは整地された地面にかすかに円形の痕跡があるようにも見える。その直径は20メートル程度で、ターンテーブルとその周りの構造として妥当な大きさであろうか。ちなみに、例えば豊後森の扇形機関庫の前にあるターンテーブルは直径約18メートルである。大きさはよさそうだが、後でこれは違うらしいことになる。
 道路は海岸線手前で左に曲がるが、その岸壁に「一文字波止竣工記念碑」が建っている。

19 地点D 2019.7.31

 一文字波止は、この場所から北の方向に伸びていた防波堤で、当初は陸から離れていたが昭和初期に間の海面を埋めて、魚市場や冷凍・製缶、それに漁船からの陸揚げの施設が配置された。

20 記念碑の文字(強い画像処理をしてある)
 
 南面の文字は「大正十五年三月竣工戸畑市」とある。他の面にも石板がはめ込まれているが、文字は読めない。
 次回は古い航空写真や地形図を調べて、引き込み線の変遷を探ろう。

戸畑渡船場付近を歩いてきました その3

2019年08月10日 | 鉄道
戸畑渡船場付近を歩いてきました その3

 今回から数回、カテゴリーを「鉄道」とする。以前の「北九州の鉄道遺産」の続きと思っていただけたら。
 7月24日訪れたニッスイパイオニア館の解説員Sさんが「鉄道の引き込み線もあった」と話された。しかも「海岸にぶつかったところで、線路が90度曲がるので、ターンテーブル(転車台)があった」と、面白そうなことをおっしゃる。展示されている昔の地図にもそれらしき線路が描かれている。しかし、通常は機関庫の前か、終点で機関車の向きを変える目的で作られるターンテーブルを、線路を直角に曲げる目的で作るものだろうか?多少急でもカーブにした方が断然能率が良いはずであるのに。

9 地図に描かれた引き込み線 ニッスイパイオニア館の展示物

 上の地図は展示されていた「戸畑工場建設略図」で、以下の記号を赤い字で記入した。左下から時計回りに、S:戸畑駅方面 T:ターンテーブル P:プラットホーム N:現在のニッスイパイオニア館のある所。駅から来た引き込み線は、Tの場所で天籟寺川の堤防に突き当たり、ターンテーブルで直角に向きを変えてプラットホームに至る。この図は、「略図」となっているが、実はかなり正確に描かれていることが後でわかってくる。
 この様子は、古い鳥瞰図(下)にも描かれている。この配線では、機関車と貨車の順序は、ほとんど変更できないので、非常に不便なはず。貨車の移動は人力でしたのだろうか。それなら機関車は戸畑駅に繋がる部分にいる方がいいのでは?ターンテーブルの構造は、少しだけ違っていることが後でわかってくる。

10 古い鳥瞰図(写真ではない)「戸畑の社屋」 ニッスイパイオニア館の展示物

 鳥瞰図の右端を拡大したのが、次の図。

11 上の図の一部を拡大 ニッスイパイオニア館の展示物

 確かにターンテーブルが描かれ、さらに蒸気機関車が貨物車両を牽いている….が、ターンテーブルを通過するのには苦労しそう。せめて画面左の方に、渡り線がいくつかあれば少し楽であろう。蒸気機関車は、炭水車が付いていて、9600型のように見えるが、確かではない。煙室上の蒸気溜めなどのふくらみが二つあることと、炭水車が付いていること、それに1930年頃に使用されていた機関車で、幹線・旅客向きではないものとなるとこれかな?9600型の機関車の全長は16.5メートルほどである。

12 9600型蒸気機関車 1972.9.7 北海道中湧別

 なお、鳥瞰図でも地図でも現在ニッスイパイオニア館の置かれている日本水産戸畑ビルは絵の範囲から外れる。
 現在、「P」の付近には、プラットホームの一部が残されている。

13 プラットホームの一部 2019.7.24

 上の写真で、左側が海に面する岸壁。見えている段差はプラットホームの陸側の面である。
 これで、引き込み線の存在場所はよく分かった。次回は、これらの施設がいつ頃作られ、いつまで使われていたのか調べた結果を記す。

私の使った切符 その68 ICカード類 SUGOCA 1

2019年08月07日 | 鉄道
私の使った切符 その68
ICカード類 SUGOCA 1

 私の住んでいる福岡県では全国相互利用カード(「分家」でなく本家)が3つもある。SUGOCA nimoca はやかけん だ。私は、以前通勤で小倉駅乗り換えをしていたからこれらは記念カードを購入するチャンスがあった。まずSUGOCA関連がたくさんある。


32 SUGOCA

 2009年3月1日に導入されたJR九州のカード。通勤していた頃はSUGOCAの定期券も持っていた。キャラクターはカエルと時計である。「スゴカ」は「凄い」の方言と「改札も買い物もスッとゴー」カードと宣伝されているが、正式には「Smart Urban Going Card」を略したものだという。
 このカードを購入したのは、2015年4月26日よりも後。というのは、最初のSUGOCAを、京都を旅行中に、おそらく地下鉄東西線の蹴上あたりで落としたらしいのだ。3月29日に5000円もチャージした後だったからかなり痛かった。旅行から帰ってSUGOCAを買い直した。
 なお、通勤にはこれとは別にSUGOCA定期券を使っていた。


33 SUGOCAミニガイドブックH21版
 
 導入された頃(2009.3)のパンフレット。「H21.2.23版」と記してあるから、導入直前に印刷されたもの。A5サイズで6ページ。この時には、「SUGOCA乗車券」「SUGOCA定期券」「SUGOCA特急定期券」の3種類があった。現在は「SUGOCA乗車券」という言い方は無くなっている。最初は使用できるのはJR九州だけだったが、「平成22年春には福岡市地下鉄線でも利用できるようになる予定」と記してある。


34 SUGOCA debut

 2009年3月1日に導入を記念して発行されたカード。発売された時に台紙が付いていたはずだが、書棚に見当たらない。どこかにあるのだろう。


35 SUGOCAガイドブックH21版

 導入時のガイドブックで、「H21.3.31版」と記してある。A5サイズで38ページもある。1か月前に6ページのガイドブックを出したばかり。こちらが詳しい。