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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

父の遺した写真 33 伊勢湾台風

2017年02月04日 | 鉄道
父の遺した写真 33 伊勢湾台風

 1959年9月に伊勢湾台風によって東海地方は大きな被害を被った。海岸地帯は高潮に襲われた。広大な貯木場にあった巨大な丸太が住宅を襲った。

33-1 流木による鉄道の被害 名鉄大同町駅南西 1959.11.7

 写真の場所はよくわからないが、右にある複線電化の鉄道は、名鉄常滑線だろう。この場所は南区で、もう少し左は港区ということになる。丸太が線路に覆いかぶさっていて、左のクレーン(線路を使って運ばれたのだろうか)がそれを取り除く作業を行なっている。この区間の常滑線が復旧したのは11月15日だから、父は代行バスで行ったのだろうか。

33-2 海水に浸かった弥富 1959.11.8

 愛知県西部の被害は大きかった。高潮で押しよせた海水が退くのに時間がかかった。そのため。国道1号線・関西本線・近鉄名古屋線のいずれも復旧に時間がかかった。

33-3 海水に浸かった近鉄名古屋線 蟹江町 1959.11.8

 写真の向こうを走っている鉄道は電化されているから近鉄名古屋線。関西本線の電化はずっと後のことで、1982年。近鉄線も台風で大きな被害を被ったが、その機会を逃さず、念願の名古屋線の改軌(狭軌から標準軌へ)を敢行した。改軌の工事は伊勢湾台風前に始まっていた。トンネルの無い名古屋線で、レールを広げて、幅の広い電車を走らせるなら、ネックになるのは橋である。とくに、木曽・長良・揖斐の三川を河口近くで横切るから長大な橋の工事を要する。木曽川橋梁改築が完成したのは、何と伊勢湾台風の当日、9月26日であった。一週間前の19日に、長良・揖斐川橋梁も完成していた。台風後は長い区間が不通だったが、区間毎に復旧していき、11月27日に全線が幅を広げた上で復旧した。関西本線の復旧が11月25日であったから、ほとんど同じ頃に復旧したことが分かる。なお、当初の計画では翌1960年2月に名古屋線の改軌が完成することになっていた。現在、大阪・名古屋間の鉄道旅客運送に新幹線といい勝負をしている近鉄の成功のもとはこの改軌にある。
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