今日の吉田高校卒業式には、実は時間を間違え20分遅れで会場に。
ちょうど、全卒業生の名前が読み上げられた後の卒業証書授与の時にのこのこ会場に入っていった。
空気になったつもりで席まで行ったが、やはり、注目の目線が・・・。
厳粛に進められる式の雰囲気をぶち壊わし、申しわけなし。
ところで、今年の卒業式の一番の印象は、卒業生代表者の素晴らしい答辞。
その中での最後のくだり、先生、後輩への感謝の意を言葉で述べた後、一番お礼を言わなければならないのは、この3年間、そして今まで私たちを育ててくれた親であると言って、なんといままで向かい合っていた校長先生に180度背を向け、向いた先の会場にいる父母に向かって、一礼した。
そして、「私たちをここまで育てていただいて、ありがとうございました。」と大きな声で、そして大きく腰を曲げ礼をした。
このような答辞は、初めてである。
そして、なにより、今ここで一番表したい気持ちを、飾ることなく素直に表現したのだ。
会場にいた父母、また来賓や先生など、この素晴らしい感謝の表現にはグッと心に来るものがあっただろう。
式の後、校長先生にあの答辞は良かったですねと言ったら、彼の家庭は母子家庭で、生活の困難さ、親の苦労を一番知っているとのことであった。
家庭環境が複雑さゆえに彼の純粋さが生みだされたとは言わない。
家庭環境が満足な家庭でも、子どもの純粋さ、親への敬意は生みだされる。
要は、子どもの育て方とそれに応える子どもの資質なのだろう。
そういえば、今日の来賓で見えられた、昨年まで野球部の部長であった佐藤先生が話すには、先生は現在静岡市内の高校のサッカー部を教えているようだが、あらためて、吉田高校の生徒の純粋さ、素直さを認識させられたとのことであった。
ここまで子どもたちの情操教育をしっかりと仕上げている吉田高校の校風と先生方の努力に敬意を表するものであるが、それにしても、今日の卒業式を見るにつけ、後2年の吉田高校の運命が、なおさらにもったいなく感じる・・・。
ところで、3月1日のもう一つの意義(!?)私の誕生日に、しがない印刷屋審判員からコメントをいただき。
「誕生日おめでとうございます!
温故さんにとって本日が素晴らしい日であることを祈っております。
55歳まだまだ若い。
野球にバンドに盆栽にバリバリがんばりましょう!」
あまりにもズバリの表現なので、行間に含まれている裏の意味を見つけようとするが、他意もないようだ。
この、人の純粋さを詮索するところが私の悪い癖。
55歳はもちろんまだまだ若い。
野球、バンド、盆栽のご関係者、これからもよろしくお願いいたします。
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