温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

作詞家藤田まさと先生の「流転」の意味

2010-09-24 21:16:07 | 作詞家藤田まさと先生

藤田まさと先生は、私たち牧之原市の出身。

郷土が誇る大作詞家である。

そのヒット曲は、古くは「流転」から、最新(とはいっても約30年ほど前になるが)は、「浪花節だよ人生は」に至る数多く、聞けばだれでも耳にしたことがある曲ばかり。

そんな藤田先生の「流転」の冒頭の歌詞の意味を調べるための検索が時々私のブログに入る。

「男命を 三筋の糸に 賭けて三七 賽の目くずれ」

の意味がわからないようだ。

私もこの曲を最初聞いた時は、意味もわからず歌詞だけが頭の中に入った。

そのうちこの意味は何だろうと疑問に思うようになったが、参考書は当然になく、いつしかそのままになっていった。

しかしこの頃になって、もしかしたら、と思うようになった。

先生がお亡くなりになった時に、ご遺族から牧之原市に頂いた遺贈品にはいろんなものがある。

膨大な蔵書、レコード大賞の盾、達筆な文字で書かれた表装額、数百万円するといわれる羽織袴。

そしてそれとともに、昔のSPレコード盤からLPレコード盤まで、蔵書を除いただけでも数百点もの貴重な遺品をいただいた。

そのレコード盤の中で流転の挿絵に、粋な着物姿の三味線をもった男が、巷を歌いながら歩く姿が描かれていた。

今思いだすと、この姿こそ先生の言う三筋の糸ではなかったと想像する。

つまり、芸の道(三味線=芸)に命をかけて道を歩んだものの、三七、つまり三六はカブ(9)だが、10ではずれであった・・・、ということではないのか。

浮き世カルタとは、いわゆる博打。

男命をかける人生はいわば博打。その中では勝つ時もあれば負ける時もある、いや負ける時があるが、また勝つ時もある、ということを先生は短い詞の中で表そうとしたのではないのかと思っている。

勝手な私の解釈で、何の根拠もないが、漂漂たる人生流転の題名からしても、そんな波乱万丈が男の人生だと教えてくれているように、50数年生きてきたこの頃になって、なんとなくわかるようになった気がする。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三かける七は二十一。賽の目の合計は二十一。依っ... (Unknown)
2011-03-25 21:36:07
三かける七は二十一。賽の目の合計は二十一。依ってかけて三七賽の目崩れ。
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僭越ですが、昨夜のコメントをもう少し詳しく述べ... (Unknown)
2011-03-26 22:00:37
僭越ですが、昨夜のコメントをもう少し詳しく述べてみます。二十一の目と書いて「さいのめ」と読ませる事もあります。歌の文句は意味よりも語呂合わせとリズムを重視している事が多く、三味に懸けると博打に賭けるの間に「三七=二十一」をかけたのではと思います。作者の意図は図り難く、もしかしたら藤田氏が「ブタ」の「0]をかけた事も考えられますが、そこまで深読みしなくてもいいと私は解釈しています。
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このブログの主、温故知新No2です。 (温故知新No2)
2011-03-27 07:12:18
このブログの主、温故知新No2です。
コメントいただきありがとうございます。
参考になります。
この続きを以下に載せましたので、また御観覧ください。
http://oishi21.blog.ocn.ne.jp/oishi21/2011/03/post_86c5.html
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私は単に「上原敏」のファンで、「裏町人生」と「... (Unknown)
2011-03-27 23:14:27
私は単に「上原敏」のファンで、「裏町人生」と「流転」が好きなだけの歌好きです。多分同年代なのでこの手の歌に興味のある人が周りにいないからついコメントしてしまいました。貴方の様に作者の藤田氏への造詣が深い方に失礼な事をしたと反省しています。歌の解釈は百人百様で、それぞれがイメージを膨らませながら楽しむ事が原点であり、酒の摘まみにそれぞれの考えを披露する事で良いと痛感しています。
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賽の目は18だが21は理屈に合わないのが流転と言っ... (Unknown)
2013-09-23 19:52:52
賽の目は18だが21は理屈に合わないのが流転と言っているのだと勝手むにかいしゃくしています。
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Unknown (M.K)
2023-05-14 13:30:51
2回目の投稿になります。
藤田まさと先生→傷だらけの人生→鶴田浩二さんのつながりでコメントさせていただきました。
一昨日、たまたまNHKBSで、「俺たちの旅路 第1部」(土曜ドラマ 1976 山田太一脚本)を見ました。当時、私は小学1年生で家族で一緒に見ていた記憶があり、懐かしく視聴いたしました。当時、鶴田浩二さん52歳、水谷豊さん、桃井かおりさん、森田健作さんの3人が25歳くらいの年齢のようです。今、私の年齢が当時の鶴田浩二さんの年齢を超え、今の自分と比較し、考えさせられるものがありました。戦争を経験した50代と戦後に生まれた20代の若者が、真剣に生きていく中で生じる問題に、お互いに真摯に向き合った人間模様が描かれていました。いいドラマでした。
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