久しぶりの流行歌分析の投稿です。この間、パソコンが故障し、ストップ。
まあ、待ち望んでいられた方もないのですが、こういうシリーズものは、やはり定期的に公開したいところ。
これから定期的に続けますので、よろしく!
今回は、いよいよ社会意識分析の核心。
私なりに考えた分析方法。つまり、歌詞の中で、人の心が今どこにあって、どこに向かおうとしているのか、ということを1曲1曲調べ、数値化しています。
今回は、そのデータを見ていただきます。
ご覧ください。↓
久しぶりの流行歌分析の投稿です。この間、パソコンが故障し、ストップ。
まあ、待ち望んでいられた方もないのですが、こういうシリーズものは、やはり定期的に公開したいところ。
これから定期的に続けますので、よろしく!
今回は、いよいよ社会意識分析の核心。
私なりに考えた分析方法。つまり、歌詞の中で、人の心が今どこにあって、どこに向かおうとしているのか、ということを1曲1曲調べ、数値化しています。
今回は、そのデータを見ていただきます。
ご覧ください。↓
流行歌による’70年代社会意識分析(No9)
この卒論のキーポイントである「意識の方向性」に気付いた発端が今回の部分です。
昭和49年のオイルショックと流行歌の関係を分析しようとしたとき、単に、歌詞の分析、感情移入の分析では、十分な説明が付かないものと気が付きました。
そして、その時、歌詞に染み込む意識というものに注目し、歌にこめられるすべての状況表現、心情表現は、直接的な表現の有無に関わらず、そこで言いたい心情には、その意識の所在地があり、また、それがどこかに必ず向かうということに気付きました。
今回は、この意識の方向性の発想の発端を、紹介しています。
では、ご覧ください。↓
流行歌による’70年代社会意識分析(No8)
今回は、意識の方向性の基本を述べようとしています。
人間の意識は、過去、現在、未来の3方向の中で、過去への回想に向かいやすいという特徴があります。
現在の状態に対し、それが幸福、不幸に関わらず、それと対峙させるのは、やはり過去の経験、出来事です。
そして、現在の処遇の具体的事象として48年から始まった中東戦争を起因とする石油危機を挙げ、石油危機を目の当たりにして、意識が向かった先の過去との因果関係注目しています。
これが今後'70年代社会意識分析の一つのキーポイントです。
また、次に、流行歌のジャンルと意識との関係を分析していく中で、フォークソングの内容の変化を指摘しています。
ではご覧ください。↓
流行歌による’70年代社会意識分析(No7)
前回のジャンル分けから一歩進み、今回は、私独自の分析方法、「意識の方向性」から各ヒットチャートを分析しています。
この意識の方向性を簡単に説明しますと、それぞれの歌詞から抽出した意識は、その情景、情況を現在、過去、未来のどこに位置づけているのか、を分析するものです。
たとえば、現在の幸せな(不遇な)情況を主として歌っているのか、あるいは過去の情況を思い出しているのか、また、未来に重きを置いて歌っているのかなど。。。
そんな歌詞にこめられている意識を抽出し分類しています。
この分析の意味するものは何でしょう。
それは、おって次の段階に進み、意識はどこへ(現在、過去、未来)行こうとしているのか、という分析を行うまず第一段階の試みです。
では、ごらんください。↓
流行歌による’70年代社会意識分析(No6)
前回は、分析の材料となった昭和46年(1971)から52年(1977)までの年間ヒットチャート(上位50)の一覧の紹介でした。
皆さん懐かしい曲があると思います。あるいは、こんな曲があの歌手により歌われていたのか、という発見もあったかもしれません。
今回のNo6は、そのヒットチャートの最初の分析、「演歌」「ポップス」「フォーク」「ニューミュージック」の4つのジャンルに年度ごと分類したものを整理したものです。
演歌が流行っていた年、フォークが流行っていた年、それぞれ世相が反映され、あああの時はこんな事件があったんだ、こんな人物が世間に登場したのだなど、人気ジャンルの傾向と世相は、なんだか繋がりがあるように見られます。
その関係を分析することが、社会意識分析のまず第1歩ということになります。
では、ご覧ください。
→
流行歌による’70年代社会意識分析(No5)
No5では、歌詞分析の土台となった、昭和46年(1971)から52年(1977)までの年間ヒットチャート(上位50)の一覧です。
曲数としては、7年間なので単純に7年×50曲で350曲となるはずですが、2年にまたがってヒットした曲があるので、348曲となります。
また、その中で実際に歌詞を収録できたのは、199曲でした。
したがって、歌詞分析は、この199曲がベースになっているということです。
ところで、あの当時、今のようにインターネットなどで簡単に歌の歌詞を手に入れることができなかった時代に、どうやって集めたか、であるが、ゼミ生で国会図書館などに行って収集した覚えがある。
今思えば、ゼミの仲間の協力があったから、と思っている。
また、あの当時のわれわれの行動力にあらためて感心する。
駅で待ち合わせ、地下鉄を乗り継いで、いくつかの階段を上がり降りした。
歌詞収集のために、国会図書館に数日通ったような気がする。
(写真:資料から写し取った手書きの歌詞「シクラメンのかほり」)
私の大学時代のゼミは、石坂悦男教授の「マスコミュニケーション論」であった。
そのゼミが数グループに分かれ、テーマを決め、研究、検討し、レポートをまとめ発表したものである。
実は、私は今でも大学時代のゼミ研究、各授業などのレポートを持っている。
くだらないものをいつまでも捨てられない、変な癖がある。
ただし、今は乱雑に束ねてあるのだが、いつか自由な時間ができたとき、ゆっくりと整理してみたいと考えている。
そんな書類の中から、あの当時のゼミ研究のグループごとのレポートが出てきた。
懐かしい名前、文字、そしてテーマ。歌詞分析から、CM論、日本とアメリカのマスメディア比較、マスメディアの受け手側からの影響。。。などなど。
(写真:ゼミの研究レポート)
結構、皆さん鋭い思考で的確に分析している。
この時の成果とゼミでのマスコミ研究が功を奏しているのかどうかは不明だが、名前の中には、マスコミ関係に就職し、現在活躍しているメンバーが多くいる。
このメンバーと、また石坂教授と交誼を重ねさせていただいているが、この頃みんなに会っていない。
こんな過去の資料を見ていると、久しぶりに会ってみたいものである。
(写真:大学時代の書類)
では、ご覧ください。
↓
流行歌による’70年代社会意識分析(No4)
No4では、これから展開する流行歌分析の方法、そして、過去に行われてきた流行歌歌詞分析の方法を比べ、その違いを述べています。
また、過去において行われてきた流行歌分析が、現代の流行歌分析に通用しないことを理論付け、自分の方法が、今の流行歌分析にあっていると、これからの展開を正論化しようとしています。
まあ、今思っても、この複雑な人間意識の折り重なりにより創りあげられる現代の流行歌を分析しようとすれば、単に歌詞の利用頻度、内容などを分析することでは、十分でなく、歌に流れる「意識の方向性」に着眼したところは、30年前の私にしては、自分なりに的を得ているのではないか、と考えます。
流行歌による’70年代社会意識分析(No3)
まだ、序論の部分ですが、いよいよ流行歌が登場します。
まず、これからどんなところに視点が置かれ、歌詞分析するか、また、No1とNo2で述べた意識というものが、歌詞からどのように拾い出すのかを2つの流行歌の歌詞を比べ説明しようとしています。
サンプルとして引用した流行歌の2つは、昭和52(1977)年度オリジナルコンフィデンス社ランク18位の「愛のメモリ-」と同年度10位の「フィ-リング」です。
懐かしいと思われる方もいると思います。
30年前のヒット曲です。
この2つを比べ、同じ愛を歌っている流行歌ながら、その構成する歌詞は、現実味と幻想性の相反する単語でもって構成されている。
このことをどう考えたらいいのか、そしてこのことを分析することで、あのM・ウェーバーが試みようとした「行為」の持つ価値と合理性の法則が、この現代で新たな法則として見つけ出すことが出来そうだと、大胆にも述べている。(身の程知らずもいいところで、冷や汗ものである。)
流行歌による’70年代社会意識分析(No2)
前回のNo1は、切り口として、現代(1970年代)において、人々の意識がどのような環境に置かれているか、またそこで意識はどのような状態であるかを総論として述べています。
冒頭、私の思考に一番影響を与えたモンテーニュを持ってきているところは、私らしいと思います。
今回No2は、さらにその意識の状態を掘り下げ、意識とはそもそもどういうものか、そこでの問題は何かを提起するとともに、これから行う流行歌分析の意義を見出そうとしています。
No1、No2ともにわけの分からない大学生特有の理屈っぽさで、これからの本題へ助走しようとしています。
したがって、読みづらく恐縮します。
また、流行歌分析と題名には謳われていますが、どこにも歌詞などが出てきません。
これについては、次回からとなりますので、今のところ我慢してご覧ください。
これは、わたしが大学のとき作成した卒業論文です。
1970年代の流行歌から、当時の時代に染み込む社会意識を大学生ながらに抽出し、分析し、その意識が‘80年代をどのように生き抜こうとするのかを知ろうとした試みでありました。
今の時代はおりしも、70年代、80年代のあの頃に振り返ろうとする懐古の潮流を感じます。
あの当時を懐かしむにはちょうどいい機会だと考え、埃がかぶっていた素稿を引っ張り出し、あの時想像すら出来なかった今の技術をここに駆使し、整理してみました。
所詮大学生の勝手な分析、たわ言であり、未熟な文章表現と論拠の曖昧さで読みにくく、時代分析の手法、学問的には錯誤があるものであります。
その分を十分ご了解いただいた上で、もしよろしければ、ご一読いただき、ご失笑されるなり、ご反論を抱くなりしていただければと思います。
ただし、いくら私の過去の産物とはいえ、今となれば責任を負いかねることをご了承ください。
これから少しずつ、不定期ながら皆さんに紹介してゆきます。
(注:PTFファイルで出来ております。この変換の際、どうしても余分なスペースが出来てしまい読み辛くなっていますがご了承ください。)