昨日、ある物を探しに年が明けて初めて工房に入った。片隅に古い本箱があり、その引き出しを開けてみると、目に付きにくい奥の方に一枚のはがきがあるのを見つけた。
取り出してみると、平成5年、今から12年前の酉年の年賀はがきであった。私が仕事で長年横浜に住んでいた時、病んで入退院を繰り返していたひとり住まいの故郷の母へ出した年賀状であった。
「体調如何ですか。私も昨年暮れ少し調子を崩しましたが、もう大丈夫です。今からはもう少し身体に気をつけて又頑張りたいと思っています。正月は帰れませんが、今月中旬に一度出張で帰ります。」と、隙間のないほどしたためてある。
私も退院直後であり、気になりながらもなかなか帰省出来ないでいた。しかし、この年の3月末、病状が急変し母は逝ったと出張先の宿で知らされた。
このはがきが、母への最後の年賀状となった。ひとりぼっちの正月を、寂しい思いでこれを読んだと思うと、切なく今でも胸が詰まる。
あれから干支は一巡し、この春3月、その母の13回忌がやってくる。
(写真は、母への最後の年賀状)
取り出してみると、平成5年、今から12年前の酉年の年賀はがきであった。私が仕事で長年横浜に住んでいた時、病んで入退院を繰り返していたひとり住まいの故郷の母へ出した年賀状であった。
「体調如何ですか。私も昨年暮れ少し調子を崩しましたが、もう大丈夫です。今からはもう少し身体に気をつけて又頑張りたいと思っています。正月は帰れませんが、今月中旬に一度出張で帰ります。」と、隙間のないほどしたためてある。
私も退院直後であり、気になりながらもなかなか帰省出来ないでいた。しかし、この年の3月末、病状が急変し母は逝ったと出張先の宿で知らされた。
このはがきが、母への最後の年賀状となった。ひとりぼっちの正月を、寂しい思いでこれを読んだと思うと、切なく今でも胸が詰まる。
あれから干支は一巡し、この春3月、その母の13回忌がやってくる。
(写真は、母への最後の年賀状)