写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

忘却とは…

2012年06月27日 | 旅・スポット・行事

 長崎から、右と思いきや今度は左にと交互に海を見ながら走ること1時間半、雲仙の温泉街に着いた。今宵の宿は、高速道路のSAで昼食を取ったときに、めったに出番のないスマホを使って予約しておいた。雲仙地獄のすぐそばに建っており、館内にいても硫黄の匂いがかすかに漂ってくる。うん、なかなかいい宿だ。

 4階のかど部屋に案内された。どちらの窓を開けて見ても目の前に地獄が広がっており、そこかしこから白い噴気が新緑を背景にゆっくりと立ち昇っているのが見える。「ここが、あの雲仙なんだなぁ」と、あのシーンを微かに思い出す。
雲仙とは、1300年前の奈良時代に、僧・行基によって温泉山満明寺が建立されたことに始まるといわれている。

 ひと風呂浴びる前に、地獄の遊歩道を散策してみることにした。噴気だけでなく、ある場所では熱い湯が小さな気泡と共に「プチプチ、ピチピチ」と音を立てながら湧き出していた。そばの立て札を見ると「雀地獄」と書いてある。まさにスズメのさえずりに似ていなくもなく、笑いを誘う。

 地獄の真ん中あたりまで進んだ時「真知子岩」と名付けられた大きな岩がある所に出た。「忘却とは 忘れ去ることなり。忘れ得ずして 忘却を誓う心の悲しさよ 菊田一夫」と彫られた石碑が建ててある。知る人ぞ知る、1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得し、その後映画化された「君の名は」のロケが、ここ雲仙地獄で行われた記念碑であった。

 当時は、私も子供だったのでストーリーは分からなかった、主題歌を聞いたり、父母に連れられて映画を見に行ったことは覚えている。雲仙地獄でのシーンは、スチール写真などでは何度も見たことがある。「あれがここだったのか」、漠然とした記憶の中をゆっくりと歩を進める。

 戦後の混乱の中での、ままならぬ恋愛ドラマだったと理解しているが、
番組の冒頭で流れる「忘却とは……」のナレーションだけは今も鮮明に覚えている。その意味するところは何か? 「いっそのこと忘れてしまいたい。忘れてしまったら、どんなに心が軽くなるだろう。だけど忘れられない」ということ。切ないドラマだったようだが、物忘れがひどくなった最近の私は、「記憶とは、覚えておくことなり。記憶出来ずして 記憶を誓う心の悲しさよ」か。