写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

照れ隠し

2012年06月04日 | 生活・ニュース

 「照れ隠し」とは、人前で気恥かしい思いをしたとき、人の注意をそらすためにとりつくろうことをいう。動作としては、笑ってみたり、頭をかいてみたりということは誰もがよくやることである。今朝、裏の菜園に出たときに、あるものが照れ隠しのような挙動をしているのを見つけた。

 5月の連休の頃に植えたキュウリの苗は順調に育っている。数日前、つるが巻きつくように格子状に棒を立てておいた。そのつるの巻きつき状況を見ると、人間が導いた訳でもないのに上手に巻きつき、茎が倒れないようにしている。1本の茎の何カ所から四方に水平につるを伸ばしている。

 一旦棒に巻き付いたつるは、何条にも巻き付き、少々の力では外れないほどしっかりと巻きついている。どれほど巻きつけば大丈夫だと、一体どこで判断しているのだろうか。たかがキュウリであるが、不思議な能力を持っているものだと、改めて感心する。

 一方、棒のない側に水平に伸びているつるは、所在なさげに宙に浮いている。いってみれば職場で仕事を与えられない窓際族といったところか。そんなつるの先を観察してみると、直線状に真っすぐ伸びたままのものが多い。何かにあたるまで無駄に伸び続けるのだろうか。

 ところが、面白いつるを何本か見つけた。巻きつくものが何もないところで、先の方をくるくると回転させている。つるとして生まれ、仕事らしい仕事を何もしてないのでは気恥かしい。この辺りでちょっと照れ隠しをしているかのように見える。キュウリのつるでも、そんな感情があるのかもしれない。そんな様子を眺めていると、我がサラリーマン時代のことを思い出した。

 暇な立場にあったとき、私はどんなことをしたっけ。死んだふり? いやいや、そんな時こそ忙しそうな振りをしていたのではないか? 今は昔のことを思い出していると、キュウリのつるが我が分身のように思え、急に愛おしくなってきた。頑張れ! 棒に当たらない照れ隠し中のつる達よ。