まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER-No.90-

2006年05月17日 |  マツタケの林地栽培 
菜園づくりに励む


第43回活動日(5月20日)のおしらせ
  
 なんか、「梅雨かよ~」といいたくなるよな天気が続く.前日の「明日の天気」も狂う予報では、気象学というのも「学」といえるのかいなといいたくなる.う~ん!マツタケ学と一緒か!じゃ~黙っておくかな!だな.
 6月15日(木)のまつたけ十字軍運動1周年記念パーティのイベントの一つに、林屋さんから「茶かぶき」をしようとのビッグな提案.茶かぶきを詳しく知りたい方は、京都府茶業会議所内にある「宇治茶道場・匠の館」で林屋さんにお訪ねください.インターネットでも調べることができる.

まつたけ十字軍運動とマツタケの増産(1)
 里山は、集落域を挟むように農業用地と林業用地がある半自然的環境である.昔、集落が形成されると、当然の事ながら、家を建てる、柴に薪がいる、炭を焼く、道具類を作る、落葉や緑肥を取るなどと近くの原生林を過度に活用した.そのような利用が続くと、集落近辺の山が裸地化し、痩地に生育していたアカマツが、集落近辺の山で生活できるようになった.確かに、花粉分析によれば、西暦500年ごろには、日本のあちこちにアカマツの花粉が見られるようになっている.これは里山林の形成である.アカマツ林が成立すれば、マツタケが期待されるが、その初登場は、文献上では、万葉集(8世紀の後半)である.
 京に都が移って、周辺の山がアカマツ林に置き換わり、古今和歌集(905年)卷第5 に、素姓法師が北山に僧正遍正と茸狩りに出かけて、「紅葉は袖にこきいれてもていでなん 秋はかぎりと見ん人のため」と詠んでいる.まつたけ狩りが可能になったようである.
 鎌倉時代にもなると、公家、僧の日記にはマツタケ狩りを楽しみ、互いに贈りあっている様子が詳しい.また、 この頃には、マツタケは高級食材として認知されるようにもなっている.徒然草(吉田兼好:1331年)、第118段に「鯉ばかりこそ、御前にてきらるるものなれば、やんごとなき魚なり.雉、松茸などは、御湯殿の上にかかりたるも苦しからず」と、まつたけが公家の頭上の棚に保管されることを作法に適ったことといっている. 関白近衛政家公の後法興院日記には、「1467年9月28日(旧暦)宇治に行って椎の実を拾わせてマツタケをとったが、大層面白かった」.一献かたむけて夕方帰参した」. 10月11日にも紅葉狩りに出かけて「余以外みな泥酔.正体も無く前後覚えなし」とある.応仁の乱の最中である.いつの世も実際に戦うのは庶民ばかりなのか.
 江戸時代の初め、金閣寺の鳳林承章禅師の日記である隔蓂記(1632-1668)には、金閣寺の裏山で採れたマツタケとその日の天候や送り先が記してある.マツタケの収量を解析した近代マツタケ学の創始者 濱田 稔先生(1972)によると、1636年から1650年までは、出たり出なかったりを繰り返しているが、1655年から5年間は300本台の収穫で、1661年には1055本、1662年には2050本も収穫されている.他に伏見稲荷神社の宮司による稲荷山のマツタケの発生などを記した記録があり、徳川将軍への献上に用いたことなどが書かれている.しかし、過度の林の活用で山は禿山が多く、アカマツ林面積も少なく、マツタケの生産量はさほど多くは無いように思える.1941年の全国のまつたけ生産量は、記録上一番多く1,2222tである.2000年代になると、1930年代の70分の1となっている.高度経済成長期以降、農業や林業に変化が起こり、里山林の利用が必要なくなり、里山の景観や里山林の植生ががらりとかわったためである.続く

本日の作業内容
作業は、概ね、続きとなりますが、
ヒノキ林区の地掻と番線を利用して腐植を斜面下部へ下ろす作業を、今日も頑張ります.

フィールド周辺の草本類や除間伐材の整理整頓.

マツノザイセンチュウ病の枯損木などを薪にして処分.

果樹園や菜園などの土作りに必要な堆肥に、ヒノキ林の腐植が混ざっても良いか実験をします.地掻した腐植を堆肥にできるかどうか実験願います.

ハタケシメジの栽培準備としては、穴掘りやその穴に枝や材を敷き詰めました.目下、香川理研の大井さんがオガクズでビン20本を培養中.1ヶ月後が楽しみである.

野菜畑にミニ果樹園の整備を有山さん・宮崎さんが中心となって進んでいます.


第43回 開催 要項
1)実施日    2006年5月20日(土)
2)集合時刻 午前10時30分
3)集合場所 京都市左京区岩倉村松町現地アカマツ 林か京都バス停岩倉村松集会所前
4)服装等 山で軽作業できる服装、運動靴か長靴か地下足袋、皮手袋.
5)用意するもの 握飯1個(不要?)、温かいお茶は出ます.お椀と箸とコップ
と食材費(200円程度)など.
6)アクセス 京都バスの岩倉村松行きに乗車:JR京都駅(七条口バス停「06」番)から、阪急線烏丸四条駅下車(交差点西南角滋賀銀行前)から、京阪線出町柳下車(加茂大橋東詰北.所要時間25分)から、京都地下鉄国際会館前から
7)雨天の場合   京都府南部が、午前9時現在、雨天の場合や降水確率が50%以上の時、 本日の作業は中止.雨の中でも、集まっています.
参加費は無料、資格も問わない.傷害保険等は各自加入のこと.ゴミ等は各自持ち帰り願います.

連絡
1)M-Gさんからカンパを頂戴しました.ありがとうございました.

2)岩倉の新しい試験林(玉城氏所有)を貸していただけることになりました.作業法や活用法を考えるために、林の現況を観察します.まつたけ山づくりの作業を実施予定.日本財団の助成の機材が使えます.

3)岩倉の第3試験林の調査は、境界の設定が済みました.今井さんに「正式」なお願いを森田さんと石原さんが担当.木々の葉が展開したらマツタケ発生整備作業を始めます. 

4)橘さん所有の伏見区日野南山の境界を猫田さんが調べています.宮崎さんや吉川さんがログハウスの改修を計画.

5)一乗寺曼殊院近くのアカマツ林(元まつたけ山)を、伊佐さんが提供しても良いと申し出がありました.暖かくなったら山を見せていただきます.

6)6月15日(木)に、まつたけ十字軍運動1周年記念をやります.楽しみ方を考えてください. 「茶かぶき」が決定

7)京都学園大学まつたけ研究会発足(5月17日)学生、市民など17人が集まる.我々の仲間から今西さんが参加されました.

8)日本財団から27万円の機材整備の助成を受けました.

9)まつたけ十字軍運動として、ボランティア保険に団体加入することは、重複加入を避けるため致しませんが、未加入の方は、京都市の各区役所の社協に問合せると良いでしょう.

5-7月の作業日のおしらせ   
第44回活動日:5月26日(金) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第45回活動日:6月03日(土) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第46回活動日:6月09日(金) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第47回活動日:6月15日(木) まつたけ十字軍運動1周年記念 午前10時30分
第48回活動日:6月23日(金) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第49回活動日:6月28日(水) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第50回活動日:7月08日(土) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第51回活動日:7月15日(金) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第52回活動日:7月22日(土) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分
第53回活動日:7月28日(金) 京都バス 岩倉村松集会所前集合 午前10時30分



カンパのお願い
下記の振込先にお願いいたします.
 氏名: まつたけ十字軍 代表 吉村文彦
                銀行名: 京都銀行 山科中央支店
               口座No.: 普通預金 3698173 
主 催 団 体
吉村 文彦(連絡先;担当責任者)
まつたけ十字軍運動 本部(http://blog.goo.ne.jp/npoiroem/)    
607-8166京都市山科区椥辻番所ヶ口町173 075-581-3210(Fax兼用)、090-6227-4305
大月 健(代表)
京都大学マツタケ研究会(京都大学農学部図書室気付、大月 健 090-4280-3334)
共 催 団 体
NPO国際環境微生物応用研究機構、香川理化学研究所、NPO市民環境研究所
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