まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

マツタケの碑

2005年08月19日 |  マツタケの林地栽培 
マツタケの碑 

藤郷 誠(盛岡市)
東北農業研究センター職員

その昔、私はキノコ研究に憧れる一人の大学生でした。読み漁ったキノコに関する書籍の中に出てきた故濱田稔博士のマツタケ研究フィールド・尼吹山に立つ顕彰碑“マツタケの碑”。私にとっての憧憬でした。
夢破れて(?) キノコ研究とは異なる職業に就き、とある研修で長期上洛する機会を得ました。マツタケの碑が見たい。幸い、懇意にしていただいている京大の大月さんに案内してもらうことになりました。
マツタケの発生はとうに過ぎた11月末の休日。紅葉もすっかり落ちた晩秋。二人で叡山電鉄に乗り、尼吹山に向かいました。こんな所から登るのか、と思う民家の脇から尼吹山へ入山。私にはこの時、ただの雑木林にしか思えぬくらい下草は茂り、倒木が行く手を阻んでいました。
ここがかつてマツタケ研究の中枢であったとはにわかには思えぬくらいの荒廃ぶりでした。藪を漕ぎ、蜘蛛の巣を払い、行くこと30分余。少し拓けた場所に、そのマツタケの碑が鎮座していた。思っていたよりも小振りなマツタケを模した石に、抱いていた崇高な印象がほのかな親しみに変わりました。
このマツタケの出ることのない尼吹山でマツタケの碑と浜田博士の思いは、どう駆け巡っているのだろうと暫し感慨に耽る。下山する時、大月さんがとても印象深い事を語っておりました。「今はこんなに荒れ果てていますが、この山からは数多くの博士を世に出したのですよ」。
さもありなん。今、その一人の吉村先生がまつたけ十字軍として尼吹山近隣の里山の復活に動き出している。マツタケの碑の思いが“発生”する日を願いながら。私は居住地の関係からまつたけ十字軍運動に「参戦する」こと叶いませんが、遠くから応援しています。(完)

 写真は、藤郷さんが撮ったもので、大月さんに案内されて訪れた濱田先生顕彰のマツタケの碑です

 尚、次回の作業日は、8月24日(水)10時30分から岩倉です.
 スカイパーフェクト TV(726ch)の取材が入ります.
 放映は、8月30日正午から、スカパーTV726chと京都テレビであります.
 
 作業体験談、マツタケ、里山林など生物保全などのご意見をご寄稿ください!!
 
 マツタケ十字軍運動 本部
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