そこそこの放送作家・堀田延が、そこそこ真面目に、そこそこ冗談を交えつつ、そこそこの頻度で記す、そこそこのブログ。
人生そこそこでいいじゃない



昨日。
1月7日。
都内のタクシーが全面禁煙になった。
ニュースでやっていた。

半年前の僕なら憤慨していただろう。
「煙草を吸う権利もあるだろう」とか。
「だったら煙草なんて売るなよ」とか。
「全く肩身が狭くなる一方だな」とか。
吸う側の論理なんて、そんなもんだ。

煙草をやめて3ヶ月半。
立場が違うと、同じニュースでも受け止め方がぜんぜん違う。
むしろこのニュースが喜ばしい自分がいる。
「全面禁煙当たり前だ、ザマーミロ」とか。
「吸える場所なんて無くしちゃえばいいのに」とか。
「こんな時代に煙草吸ってる方がバカだ」とか。
そんなことを思う。
吸わない側の論理だ。
それはそれで、危険な思想だ。

人は立場に囚われがちだ。
それぞれの立場から発言したり、行動したり、しがちだ。
でも、常に客観を失ってはいけない。
「恋は盲目」とか「猪突猛進」とか、一瞬誉め言葉に聞こえる。
でも、どこかに人は客観目線を持っていなければならない。
一歩引いて見ることを忘れてはならない。
客観目線を失うから、ストーカーとか、レイプとか、監禁とか、セクハラとか、談合とか、天下りとか、起こるわけだし。
つまり、立場って怖い。
自分がいつも、どんな立場にいて、どんな立場から発言し行動しているか、気をつける必要がある。
自分の立場から考える。
客観的な立場から考える。
そして、相手の立場から考える。
この3つがバランス良くできるようになりたい。

なんてことを思った今日。

タクシー全面禁煙のニュース。
だけではなく、広く禁煙、嫌煙がらみのニュース。
これを嫌煙派と愛煙家のVS構造でとらえることが、まず間違っている。
別にそんなの戦いではないのだ。
煙草を吸う、吸わない、は戦いではなく選択だ。
愛煙家の人は「今までタクシーで煙草を吸えたのが奇跡だったのだ」とでも思おう。
そしたら、我慢出来る。
嫌煙家の人は「タクシーが禁煙なのは当然ではなく、たまたま与えられた権利」とでも思おう。
そしたら、いつも感謝の気持ちが持てる。

なんてことを思った今日。

でも、やっぱり煙草はやめた方がいい。
何より、シンプルに言えば、健康のためなのだ。
それ以外に禁煙の理由はない。
自分と周囲の健康のため。
ただ、それだけの理由。
実に分かりやすい。

皆さんに禁煙を勧めます。

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