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とある仕事場での会話。
人間関係などの話題になり、
友人Mが、私がダイヤモンドならば、たとえ道端でもしっかりと光るから。
そこで、
私は「ダイヤモンドでなくてもいい、例え石ころでも光るものはどんな場所に置かれても自然と光ります。」
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先日、友人宅にお邪魔した帰り道の夕日。
「光っても光らなくても、愉快な石ころであればそれでいい」
集団の中に身を置かれるのはとても疲れること。修行のように思う事件もただある。
惑わされずに、いつまでも自分は自分でありたい。
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先日、友人宅にお邪魔した帰り道の夕日。
細やかですが、美しいものをみて、嬉しく思う。
【鑽石和小石頭】
上一場工作裡
和同事談到人際關係有了以下對話
M說、沒關係、如果是鑽石就算在角落也會發光。也會有人看見。
我說、就算是小石頭、會發光的石頭就會發光,即使在角落、沒有人看見的地方也會自帶光芒。不過,我寧願自己是顆快樂自在的小石頭。不需理會是否有人看得見我。