チェコには、二つの“プラハの春”があって、
その一つ、民主化運動の“プラハの春”については、先に書いた。
もう一つの“プラハの春”は、“春の音楽祭”である。
今回は、二つの“プラハの春”の写真を掲載する。
一つは、チェコ事件(1968年)。
その生々しい写真はないが、痕跡はある。
ソ連の戦車によって、ヴァーツラフ広場は占拠され、
民主化運動は、元にもどされた。これに抗議して、
二人の学生がヴァーツラフ広場で焼身自殺をしたが、
その慰霊碑が、ヴァーツラフ広場にある。

円形の花壇の中にある、十字架と埋め込まれた石で、
2人の女性がのぞきこんでいる。
ぴかぴかの石には、ヤン・パラフとヤン・ザイクの顔が映り、
1969年1月19日、1969年2月25日と彫ってあって、
20歳と18歳であった。
うしろは、ヴァーツラフ像、そして、国立博物館。
もう一つ、春の音楽祭は、毎年、春になると、
チェコ・フィルハーモニーほかが、
プラハのいくつかの会場で演奏する。

会場の一つ、市民会館で、中のスメタナ・ホールで演奏された。
青いバナーは音楽祭、“プラハの春”が開催中であることを示す(2006年)。
“プラハの春”といえば、今では春の音楽祭の方が有名で、
1968年の民主化運動は、なじみが薄れてきている。
その一つ、民主化運動の“プラハの春”については、先に書いた。
もう一つの“プラハの春”は、“春の音楽祭”である。
今回は、二つの“プラハの春”の写真を掲載する。
一つは、チェコ事件(1968年)。
その生々しい写真はないが、痕跡はある。
ソ連の戦車によって、ヴァーツラフ広場は占拠され、
民主化運動は、元にもどされた。これに抗議して、
二人の学生がヴァーツラフ広場で焼身自殺をしたが、
その慰霊碑が、ヴァーツラフ広場にある。

円形の花壇の中にある、十字架と埋め込まれた石で、
2人の女性がのぞきこんでいる。
ぴかぴかの石には、ヤン・パラフとヤン・ザイクの顔が映り、
1969年1月19日、1969年2月25日と彫ってあって、
20歳と18歳であった。
うしろは、ヴァーツラフ像、そして、国立博物館。
もう一つ、春の音楽祭は、毎年、春になると、
チェコ・フィルハーモニーほかが、
プラハのいくつかの会場で演奏する。

会場の一つ、市民会館で、中のスメタナ・ホールで演奏された。
青いバナーは音楽祭、“プラハの春”が開催中であることを示す(2006年)。
“プラハの春”といえば、今では春の音楽祭の方が有名で、
1968年の民主化運動は、なじみが薄れてきている。