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自分の持ち味に気づく

チャップリンが喜劇王と呼ばれるのは、単に面白いだけでなく、笑いの中に悲しみがあるからだ。

そうした芸風を発見した瞬間について、チャップリンは次のように回想している。

「わたしの作品を単なるお笑いだけに終わらせず、いま一つ、別の面を加えたいと思うようになったきっかけは、いまでもはっきり思い出すことができる。『新しい守衛』(訳注 監督・主演チャップリン、1914年、本邦未公開)の中で、支配人がわたしを首にする場面があった。

わたしは支配人に窮状を訴えて、首がつながるように哀訴するわけだが、そのとき小さい子供が大勢いることを、わたしは哀れっぽくパントマイムでやった。わたしとしては、ただおどけた滑稽味だけを見せていたつもりだったが、ちょうどそのときそばで稽古を見ていた老女優ドロシイ・ダヴェンポートの、ふと顔を見ると、なんと意外にも泣いているではないか。

「もちろん笑わせるつもりでしょ、わかってるわよ。でも、なんだか、わたし泣けてきちゃって」と、彼女が言う。

この一言は、実はわたし自身すでに感じはじめていたことを、ずばりと裏書きしてくれたようなものだった。つまり、わたしという人間は笑わせるだけでなく、泣かせることもできたのだ」(p.270-271)

この能力は、貧しい中にも笑いがあった少年時代に根ざしているのだろう。

他者の反応によって、自己のオリジナリティに気づいたチャップリン。自分の中に住む「普通の人とは一味違う何か」を発見し、自覚することが大事だと思った。

出所:チャールズ・チャップリン(中野好夫訳)『チャップリン自伝:若き日々』新潮文庫



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