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『心理療法論』(読書メモ)

C・G・ユング(林道義編訳)『心理療法論』みすず書房

ユングものは2冊目だが、講演録を編集した書籍だけあって、彼の息遣いが聞こえてくるような本だった。

前に読んだ本にも書いてあったが、患者の状態に応じてフロイト方式とアドラー方式を使い分けることを強調している。

「アウグスチヌスは、二つの主要な罪、肉欲と高慢を区別した。前者はフロイトの快楽原則、後者はアードラーの、上に立ちたいと願う権力意志にあたる。これはつまり、二つの人間グループがあって、それぞれ別の欲求を持っているという問題である(中略)本来の神経症心理学の範囲内で考えるかぎり、フロイトの観点もアードラーの観点もなしですますことはできない」(p. 30-31)

これはわかりやすい。

また、ユングは「年齢」に着目することの大切さも説いている。

「かつて若者にとって正常な目標であったものが、年輩の人間にとっては神経症的な障害となる」(p. 38)

若い者には負けられぬ、といった気概は捨てて、年相応の生き方をすることが大事なのだろう。では、中高年者はどのように生きるべきなのか?

「しかし人生後半の人間の場合は別であって、彼はもはや自らの意識的な意志を鍛える必要がなく、むしろ自らの個性的な生の意味を理解し、自分自身の本質を経験しなければならない。彼にとって自らが社会的に有益であることはもはや目的ではない、もっともそれが望ましいことは否定しないが」(p. 57-58)

この考えは、人生後期の発達課題は「次世代への責任」や「自我統合」としたエリクソンの発達段階説と似ている。

なお、精神分析における中心ともいってよい「意識と無意識の関係」について、ユングは次のように言う。少し長くなるが引用したい。

「無意識は意識的意志によってほとんどあるいはまったく影響をうけない」「いまだに意識が人の心の全体を表しているという錯覚が幅をきかせているが、しかし意識は心のほんの一部にすぎず、それが全体に対してもっている関係はほとんど知られていない」「無意識の領域に少なくとも間接的にせよ深く入りこんでいくにつれて、自律的なものを相手にしているのだという印象がますます強くなる。さらに、教育においても治療においても最良の結果が得られるのは無意識が協力するとき、すなわちわれわれの目的が無意識の発達傾向と一致するときであるということ」(p. 82-83)

つまり、われわれの身体の中には、われわれが意識できない「自律的な無意識」が存在していて、その無意識と上手く協力しながら生きていかなければならないのだ。

アンナ・フロイトは、「精神分析治療の目的は、自我が超自我やエスと安全な形で和解できるようにすること」と言っていたが、一種の「交渉」のようなもといえる。

感動したのはユングの治療姿勢。

「何より大切なのは、どんな人も本当に人間として受け入れなくてはいけないし、それゆえに、その人の個性に応じて受け入れなければならないということです。ですから私は若い療法家たちに言うのですが、最良のものを学び最良のものを知りなさい、そして患者に会うときにはすべて忘れなさい」(p. 127-128)

本書を読み、ユングの心理療法アプローチが好きになった。
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