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『私の旧約聖書』(読書メモ)

色川武大『私の旧約聖書』中公文庫

天才・色川武大による、旧約聖書論。本質を見抜く目はさすがである。

「ただ一点、神と人間との契約、これが根幹になっておりますから、双方が、つまり神も人間も、その契約を守っているかどうか、これが問題なのです。人間は、神に対して違反し、その尊崇を捨て去ってはならない。それから、神も、人間と約束したことを履行しなければならない。もし忘れれば、神という存在もたちどころに無に帰してしまうのです。旧約が述べている道徳とは、これ以外にないのですね。これが、非常に気持ちいい。読んでいて、清潔感すら感じてしまいます」(p. 64-65)

「たとえば、アダムとイヴが、禁断の木の実を食べた、あれがどうして歓迎されないかというと、ただ一点、神との約束を破ったからなのですね。その他の心証は関係ないのです。そういうところが、旧約聖書というのは首尾一貫、みじんも崩れません」(p. 66)

おっしゃるとおりである。

旧約の中では、一見理不尽に思えることがたくさん起こるが、この点は一貫しているのだ。

「もっと大ざっぱにいうと、旧約の歴史は、(人間たちが)困って神に泣きを入れる、そして神に忠実になる時期と、困惑がのぞかれて神が不必要に近くなってしまう時期との反復だということもいえましょう。愚かだといったって、まるでそれでバランスがとれるかのように、長いことそうやってくりかえしてきたのだから仕方ありません」(p. 114)

まったくその通りで、あきれるほどこの繰り返しの連続なのである。よく考えると、ユダヤ民族に限らず、人間の一生も、この繰り返しであるような気がする。

とにかく、つながっていることが大事なのかな、とあらためて感じた。





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