松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『あたしの一生:猫のダルシ―の物語』(読書メモ)
ディー・レディー(江國香織訳)『あたしの一生:猫のダルシ―の物語』小学館文庫
原題は"A Cat's Life: Dulcy's Story"だが、『猫の一生』とせずに『あたしの一生』と訳したところにセンスがある。
(「わたし」ではなく「あたし」という言葉を使っているところも)
本書は、猫のダルシ―が子猫として引き取られてから亡くなるまでを描いたもの。
猫の一生を通して、人間の一生について考えさせられる作品である。
ちなみに、ダルシ―は猫だけあって、上から目線で飼い主を眺めている。
「彼女は、あたしたちは友だちだって言った。でもあたしは知っているの。彼女はあたしのしもべ。あたしは彼女の女主人」(p. 24)
僕はどちらかというと犬派なのでムカついたが、飼い主が悲しんでいるときには、寄り添ってくれる。
「彼女は夜中によく泣いていた。あまりにも悲しそうだったので、あたしはそばにいって膝にのってあげた。彼女があたしを抱くことができるように」(p.107)
本書には、ダルシ―による詩が挿入されているのだが、それが良かった。特に、後から飼われた雄猫のバートルビーが亡くなったときの詩の中にある次の一節が響いた。
「なにもかも贈り物なの
きょうという一日も
きのうも あしたも」(p. 134)
これは深い。
家族や友人、そして日々起こるさまざまな出来事はすべて「贈り物」なのだ。
毎日の贈り物を大事にしよう、と思った。
原題は"A Cat's Life: Dulcy's Story"だが、『猫の一生』とせずに『あたしの一生』と訳したところにセンスがある。
(「わたし」ではなく「あたし」という言葉を使っているところも)
本書は、猫のダルシ―が子猫として引き取られてから亡くなるまでを描いたもの。
猫の一生を通して、人間の一生について考えさせられる作品である。
ちなみに、ダルシ―は猫だけあって、上から目線で飼い主を眺めている。
「彼女は、あたしたちは友だちだって言った。でもあたしは知っているの。彼女はあたしのしもべ。あたしは彼女の女主人」(p. 24)
僕はどちらかというと犬派なのでムカついたが、飼い主が悲しんでいるときには、寄り添ってくれる。
「彼女は夜中によく泣いていた。あまりにも悲しそうだったので、あたしはそばにいって膝にのってあげた。彼女があたしを抱くことができるように」(p.107)
本書には、ダルシ―による詩が挿入されているのだが、それが良かった。特に、後から飼われた雄猫のバートルビーが亡くなったときの詩の中にある次の一節が響いた。
「なにもかも贈り物なの
きょうという一日も
きのうも あしたも」(p. 134)
これは深い。
家族や友人、そして日々起こるさまざまな出来事はすべて「贈り物」なのだ。
毎日の贈り物を大事にしよう、と思った。
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