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『獄中十八年』(読書メモ)

徳田球一・志賀義雄『獄中十八年』講談社文芸文庫

これはすごい本である。

戦前、自身の信念を貫き、共産主義者として18年間を獄中で過ごした徳田球一と志賀義雄の回顧録が収録されている。

その中でも印象に残ったのは、自身を「革命家」と呼ぶ志賀義雄の章。

同じ共産党員でも、体制側に「転ぶ」幹部(佐野学)がいる中、鉄の意思で信念を曲げない志賀。

「のちに第一回の公判がおわるころ、法廷で佐野学は、「われわれはながい獄中生活におかれるだろう。残念ながら、ながいあいだつづく刑獄はわれわれを退歩させる」と述べた。それを聞いてわたしは、死んだ国領伍一郎や徳田球一と顔を見あわせて、「なにをいうのか」と苦笑した。牢獄が革命家の試金石だということを忘れるから、こういう弱音を弱音とも気づかずに吐くのだ。われわれは獄中でも進歩し前進しなければならない。(中略)一つの障害を突破し、さらに第二の障害を突破することによって前進がおこなわれる。さいしょからきたえあげられたはがねはない。はがねがたびたびきたえられることにより、いよいよ立派なものになるのとおなじだ」(p.131-132)

「はがねは、鍛えられて立派になる」という言葉が響いた。

たいした困難でもないのに、弱音を吐いている自分に気づき、「喝」を入れられた気持ちになった。



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