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先生のおせっかい

東山魁夷さんが神戸の中学校に通っているとき、国語の植栗先生が赴任してきた。一風変わった先生だったらしいが、目をかけてくれたらしい。

あるとき植栗先生から、こう問われた。

きみは画家になるのか

東山さんはこう答えた。

いいえ、なりません」「自分が貧乏するのは平気だけれども、おふくろが悲観するだろうから」(p.104-105)

すると、先生は「フフーン」といってそれきりだったらしい。ところがある日、国文法のプリントが皆に配られた。よく見ると、余白に何か書いてある。

絵に志さんとする子あり」「母ありとてたじろぐ」「神戸の子の前途は安らかなるかな、されどわが心のために暗らし」(p.105)

東山氏は次のように振り返っている。

「けれども、私には、これはちょっと、やっぱりこたえました。正面からはなんにもいわれない、とうとう最後までいわずじまいだったけれども、先生が私の心になげたその石の波紋はだんだん大きくなってきました」(p.106)

植栗先生のおせっかいがなければ、日本画家・東山魁夷は生まれなかったであろう。

おせっかい」の大切さを感じた。

出所:東山魁夷『日本の美を求めて』講談社学術文庫



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