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ラーニング・ラボ

松尾睦のブログです。書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。

争いと共同

2018年02月19日 | その他
『アイヌ神謡集』の中に、編訳者・知里幸惠さんの実弟・知里真志保氏(言語学者)の論文「神謡について(一)」が掲載されていた。そこには、神謡やユーカラの歴史について書かれているのだが、その内容を読み少し驚いた

なぜなら、アイヌ民族は初めから一致団結していたわけではなく、大陸からの異民族が侵入してきたことがきっかけで一つの民族となった、と書いてあったからである。

「大陸の方から押しかけて来た渡来の異民族と戦うために、北海道根生いの民族は、各地の酋長を集めて、族長会議をやっている。この頃は、もう・が孤立していたのではなく、異民族の侵入に対して、本土の連中が一致団結して連合というようなものを作り、総指揮者をおし立てているのである。そして、そのような共通の敵に対する団結を通して、同族意識を高揚し、自覚し、そこに、後世のアイヌという一つの民族を形成する地盤が作られてゆくのである」(p. 169)

この部分を読み、少し複雑な気持ちになった。というのは、「同族意識を持つためには戦争や争いが欠かせない」ともいえるからである。つまり、「争い」と「共同」は表裏一体である、といえる。

よく考えてみると、企業も、競争があるからこそ、組織内部で共同体意識が芽生える。逆に、外部との競争がないと、組織内がバラバラになる。実際、今行われているオリンピックでは、国同士が競い合っているからこそ、日本人という共同体意識が高まっている。

「争い」と「共同」のバランスをいかに適切に保つかが重要なのだろう。




本当の成長

2018年01月05日 | その他
『ゆるしのレッスン』のプロローグに、とても印象に残った箇所がある。

著者のジャンポルスキー氏は友人と食事をしていたとき、次のような話を聞いたという。

その友人には二人目の赤ちゃんが生まれたのだが、ある夜、3歳になる長女が両親に「あかちゃんの部屋に一人で行かせて」と頼んだ。両親は、長女がやきもちをやいて赤ちゃんにいたずらをするのではないかと心配したが、部屋のインターホンを通して様子がわかるので行かせたらしい。

「すると、お姉ちゃんは足音を忍ばせてベビーベッドに近づき、そっと言ったんですって。『赤ちゃん、神さまってどんなだったかしら。私、忘れかけているの。教えて』」(p.23)

生まれたばかりのころは神様とつながっていたのに、成長するにしたがい、神から離れてしまう私たち。能力を高めることを成長だと思ってしまいがちだが、本当の成長とは、神に帰っていくことをいうのではないだろうか、と感じた。

出所:ジェラルド・G・ジャンポルスキー(大内博訳)『ゆるしのレッスン』サンマーク文庫

お互いさま

2017年11月30日 | その他
『老妓抄』の中で印象に残った作品のなかに「食魔」がある。

大きな寺の住職の子として生まれながら、父の死後、さまざまな苦労を経て、かなり性格がねじ曲がってしまった料理の天才・鼈四郎が主人公なのだが、その中に、次のような一節がある。

「こう思って来ると、世の中に自分一代で片付くものとては一つも無い。自分だけで成せたと思うものは一つもない。みな亡父のいうお互いさまで、続かり続け合っている」(p.252)

自分の力で生きてきたかのように錯覚してしまう私たちであるが、改めて「お互いさま」の中で生きているなのだな、と感じた。

出所:岡本かの子『老妓抄』新潮文庫




修業と仏教

2017年11月15日 | その他
仏教というと「修行」というイメージがある。

しかし、ブッダは修行の限界に気づき、修行を中止した、と増谷先生は言う。

「ところが、釈尊は、その苦行をつづけているうちに、どうもおかしいということに気付かれたのであります。だんだん肉体の力を弱めてゆけば、精神の力が強まってくる。そうなるものと思って断食苦行しておるのに、どうもそうは行かないのです(中段)そこで、あえて申しておかねばならぬと思うのですが、釈尊というかたは、あきらかに合理的なお方でありました。だから、そのことに気が付かれると、これは方法が間違っていたのだとして、まもなく、その断食苦行を中止いたしました。しかるに、よく耳にする話では、釈尊は、たいへんな苦行にたえられたすえ、ついてに「さとり」を得られたといったことを聞くのでありますが、それはけっして正しい話ではありません」(p.13)

日本の文化は「修行しろ、修行しろ」といった考え方が強いように思われるが、そうした価値観はむしろ仏教の基本からは離れたものである、ということになる。

ブッダの精神に立ち返るのであれば、むしろ修行よりも、真理を言葉で理解することのほうが重要になる、といえるかもしれない。

体験の言語化

2017年10月30日 | その他
九鬼周造は、『いきの構造』(大久保喬樹編・角川ソフィア文庫)の中で、学問の意義について次のように語っている。

「体験と概念的認識との間には超えることのできない隔たりがあることをはっきりと意識しつつ、それでもなお、体験を論理的な命題として言語化することを課題として追求しつづけることにこそ、まさに学問の意義はあるのである」(p.145)

体験を言語化すると「あたりまえのことを言っている」と思われがちだが、むしろ、そのあたりまえを言語化することで、自分の体験をより明確に意識化できるようになるところに学問の意義があるのだろう。

才気と空腹

2017年09月15日 | その他
『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』の主人公ラーサロは、ひどい主人に仕えてばかりいるのだが、その中でも最もひどい主人は、超ケチな神父。ほとんど食べ物をくれないのでラーサロは餓死寸前状態に陥ってしまう。そこで、主人が食糧を厳重に保管している箱から巧妙にパンをくすねる方法を思いつく。

「こういう惨めな手段を思いつくのには、なんといっても空腹がわたくしにとっての光明だったと今でも考えるのでございます。と申すのも、才気は空腹といっしょにいるとますます冴えるが、飽食といっしょではその反対だと世間でよく申しているからでございますが、わたしくにとっては、これは正にその通りでございました」(p. 59)

良いアイデアは窮地に陥ったときにやってくるが、満ち足りた状態ではやってこない。「困った状態」は学びのチャンスである、といえるだろう。


地域の歴史を引き出す写真

2017年08月29日 | その他
北海道・後志管内・共和町の写真家であった前川茂利さんは、戦後の開拓や地域の風俗をテーマに写真を撮っていたという。

共和町にある西村計雄記念美術館で前川さんの写真を展示すると、次のような事が起こるらしい。

「前川さんの写真を見た高齢者が、当時のことを生き生きと語り始めたのだ。写真ではこうだが、私はこうだった。ここに写っているのは誰々だ…地域で生まれ育った高齢者にとって、前川さんの写真に記録された情景は自身の生活そのものだった。写真を見て、大いに語り合った高齢者は楽しそうに美術館を後にしたという」

この記事を読むと、写真には「地域の歴史を引き出す力」があることがわかる。

老人福祉施設や図書館では、最近、昔の写真を見せることで高齢者の記憶を活性化させる「回想法」が流行っているらしい。この回想法は、単なる認知症予防だけでなく、地域の歴史を引き出し記録する有効な手段になりうるのではないか、と思った。

出所:『翼の王国』2017年8月号、p.19.

研究という悪魔の奴隷

2017年07月27日 | その他
『さようなら、オレンジ』には、オーストラリアの大学で働く研究者の妻が出てくる。この夫婦が娘を亡くしてしまうのだが、その時の記述が印象に残った。

「夫のことを娘が死んでも研究に没頭していられる冷酷な人だと軽蔑していましたが、いまになってわかりました。彼は研究という悪魔の奴隷で、何が起きようがそれから逃れられることはできない可哀想な人なのです。心ではなくした娘のことをすすり泣きながら、ヴォーフやサピアやらにそれらの感情は拉致されて、実生活には役立たない学問の囚われ人になることをみずから望んだのです」(p.107)

この箇所はとてもよくわかる。自分はまさに「研究という悪魔の奴隷」になってしまっていると感じるからだ。「研究」を「仕事」に置き換えれば、ワーカホリックに陥っている多くのビジネスパーソンにも当てはまるだろう。

奴隷状態
から抜け出さなければならないと感じた。

出所:岩城けい『さようなら、オレンジ』ちくま文庫


満員電車の画板男

2017年07月21日 | その他
『夫婦の散歩道』の中には、津村さんと吉村さんの息子さんの手記も掲載されている。

その中で印象に残ったのは、父・吉村昭さんが会社勤めをしながら小説を書いていたことを紹介する場面。

通勤電車で座れた時は画板を取り出し、原稿用紙を広げて小説を書いているのだと父が小学生になっていた私に話したことを思い出す。満員電車に突然現れる画板男は、絵筆ではなく万年筆を取り出し黙々と細かい文字を書きつけている。子ども心にも父は異様な人間で、このことは我が家の秘密にしなくてはならず、誰にも言ってはならないのだと思っていた。私の同級生や父兄が同じ電車に乗って画板の父を見かけてしまうようなことがないことを心から願った」(p.202-203)

吉村さんの『破獄』は鬼気迫るすごい小説であったが、このエピソードも鬼気迫るものである。

僕も2年間だけであるが、会社勤めをしながら満員電車の中で研究論文を読んでいたことがあるので、このエピソードは胸にずしんと来た。何事も初心を忘れないことが大切である、と思った。

出所:津村節子『夫婦の散歩道』河出文庫


五十歳を過ぎたら

2017年07月13日 | その他
『現代語訳 徒然草』のなかで気になったのは、「五十歳を過ぎたら」という箇所。

五十歳を過ぎたら、すべての仕事はやめてゆったりと暮らすほうがいいの。世間の俗事にとらわれているのはおろかなことです。わからないことがあれば人にたずねて、そのおおよそがわかったぐらいのところでとどめておく。最初からそういう俗事への興味がなければ、それがいちばんいいんだけどね」(p.106-107)

僕も五十歳を過ぎたので、ゆったりと暮らしたいが、仕事をしないと食べていけないので、働くしかない。
(昔の五十歳と今の五十歳は違うけど…)

出所:嵐山光三郎『現代語訳 徒然草』岩波書店