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ラーニング・ラボ

松尾睦のブログです。書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。

無駄な会議

2017年08月14日 | 組織・職場の学習
83名のエグゼクティブに対する調査によると、「毎日無駄になっている金額」ランキングのトップ3は

1位 不適切な人間の雇用
2位 顧客・クライアントの難しい交渉
3位 無駄な会議

だったという。

気になったのは3位に入っている「無駄な会議」。

逆にいうと、会議の進め方を改善することで組織の生産性をアップできるということだろう。

学習する組織を作り上げる上で、改めて「会議」や「ミーティング」を見直すことの大切さに気づいた。

出所:ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー2017年8月号、p.9.

私的間主観性

2017年06月22日 | 組織・職場の学習
木村敏先生による『からだ・こころ・生命』(講談社学術文庫)の中でインパクトがあったのは、「間主観性」という概念。

個人の見方や感じ方を主観性と呼ぶが、この主観性は人によって違う。しかし、ある現象の見方・感じ方が人によってバラバラだと、集団や組織の活動が不可能になる。木村先生は次のように述べている。

「それぞれの個人が周囲の人たちからかけ離れた自分だけの独善的な「主観」を振り回していたら、科学的な真理の認識はおろか、個人どうしの相互理解も不可能になるでしょう。また、めいめいの「主体的」な行動がどこかで共通の志向性によって統一されているのでなかったら、社会の秩序などは成立しません。わたしたちがそれぞれの個性をもった個人でありながら、認識の面でも行動の面でも他人たちと共通の基盤に立ちうるのは、めいめいの主観/主体をひとつにまとめて客観性を保証する「間主観性」のおかげだ、というわけです」(p.24)

ちなみに、この間主観性には、「公共的」なものと「私的」なものの2種類あるという。

公共的間主観性とは、一定の教育や訓練を受ければ、その一員になれる公共的な認識や行動であるのに対し、私的間主観性は、親密な関係性にある者同士が感じる主観性である。

「たとえば痛みの感覚、喜びや悲しみの感情などはとりあえず純粋にその当人だけにしか感じられない、私的な主観的体験ですが、これがごく親密な―「共生的な」―関係にある人どうしのあいだでは完全に共有されることがあります。子どもの怪我を目撃した母親が自身激しい痛みを感じるとか、親しい人たちのあいだでは喜びや悲しみが「伝染」するということは、だれでも知っている事実です」(p.24-25)

いわゆる「共感」は、私的間主観性が存在するがゆえに可能になるのだろう。

チームや組織を強くする上で、私的間主観性を育てることが欠かせない、といえるかもしれない。



1日8時間が限界

2017年06月19日 | 組織・職場の学習
オリックスグループCEOの井上亮氏は、入社以来、定時退社しなかったことは3回だけだという。

なぜか?

「リース事業は、どうリスクを軽減し、利ざやを稼ぐか。大まかな契約モデルはありますが、細かな条件は案件ごとに違います。創造性とアイデアの勝負です。長い時間働いた分、成果が上がるわけではありません。脳をフル稼働していれば1日に働けるのは8時間が限界でしょう。定時退社は生産性を高めるための心得でした」(日本経済新聞2017年6月19日, p.25)

「脳をフル稼働していれば1日8時間が限界」という言葉が刺さった。

時間を短くする努力より、いかに集中するかを考えることが大切になる、といえる。




降旗監督のリーダーシップ

2017年05月09日 | 組織・職場の学習
『あなたに褒められたくて』の中で健さんは、『駅』『居酒屋兆治』『夜叉』『あ・うん』で一緒だった降旗康男監督のことについて触れている。

「降旗監督が走った姿や、威圧感を感じさせたり、怒鳴ったりする姿を見たことないですよね。大声出したことも人から聞いたこともないんですよね。だからといって、人を突き放しているのではなくて、俳優のことも、小道具のことも、大道具や照明のことも、衣装のことも、きちっと見てくれているんです。認めてくれるから、それぞれの人が、それぞれの場で、よりよいものを求めて、必死で駆け回る」「といって、「うーん、よくやった」とか、「おまえは偉いぞ」と褒めることもしないんですよね」(p.169)

言葉がなくても、自分を見てくれている、自分に期待してくれている。それがモチベーションの源泉になるのだろう。健さんは続ける。

「だけど、映画ができあがると、一人一人の努力が、きちんと画面の中に込められているんです。あの人の映画に参加できた人は、どのパートの人間でも、自分の今後の行く先に灯りをともしてもらったような気持ちになるんないでしょうか」(p.169-170)

ただ認めるだけではなく、それぞれの努力を統合して一つの作品にしてしまう降旗監督の中に、真のリーダーシップを見た。


人が嫌がることをする

2017年04月26日 | 組織・職場の学習
『サービスの達人たち』の中で、インパクトがあった一人が、新宿の老舗キャバレーで10年間ナンバーワンだった紅(くれない)さん(本名は近藤さん)。

彼女はなぜナンバーワンを続けられたのか?

それは、普通のホステスが嫌がる客をお得意にしたことにある。

「ホステスが嫌がる客というのは、初対面から嫌みばかり言う客と極端に無口な客の二通りしかない。「おい、お前、向こうに行け」「ブス、死ね」「やらせろ」…。素面のうちからこんなセリフを聞かされれば、どんな女性でも嫌になるものだが、紅さんはそうした客の心を開き、素直な常連客に育て上げることができた。母親のように客にわが子同様の愛情を注ぐことができる…、それが本当のナンバーワンだけが持つ力だった」(p.148-149)

普通の人が嫌がることを、愛情を込めて行うとき、誰も真似できない業績を上げることができるのだろう。

出所;野地秩嘉『サービスの達人たち』新潮文庫

諫め方いろいろ

2017年04月18日 | 組織・職場の学習
『貞観政要』のキーワードは、上司を諫(いさ)める「諫諍(かんそう)」。

著者の湯浅氏によれば、この諫諍にもいくつかの種類があるという。

それとなく諫めることを「幾諫(きかん)」
枠にはめるようにきつく諫めることを「規諫(きかん)」
心をこめて強く諫めることを「切諫(せつかん)」
泣いて諫めることを「泣諫(きゅうかん)」
相手の思いにさからって強く諫めることを「直諫(ちょつかん)」「強諫(きょうかん)」
もうこれ以上ないというぎりぎりまで諫めることを「極諫(きょつかん)」
死んで主君を諫めることを「死諫(しかん)」
というらいしい(p.59-60)

『貞観政要』には最後の「死諫」の重要性が語られるが、現実には「幾諫」「切諫」「泣諫」あがりが現実的であろう。

諫め方もいろいろあるので、上司のタイプによって変えていく必要があるかもしれない。

出所:湯浅邦弘『貞観政要』角川ソフィア文庫

武士道精神のマイナス面

2016年12月16日 | 組織・職場の学習
『孫子』は非常に現実的・合理的な兵法であるという。

日本においても重視されてきた『孫子』であるが、第二次世界大戦において日本軍はなぜ非合理的な意思決定をしてしまったのか?

湯浅邦弘氏は、その一つの理由に「武士道」の影響があるという。

「武士道の伝統は、一種の美学に支えられています。しかし、この美学は、ときに極度な精神主義へと傾きます。計某を軽視し、軍資、食糧、兵站の不足を気力で補おうとする精神主義は、しばしば悲惨な敗北をもたらしました」(p.111)

日本企業においても、武士道精神がマイナスに働いていることがあるように思った。

出所:湯浅邦弘『孫子・三十六計』(角川ソフィア文庫)


「思い」の共有と継承

2016年11月16日 | 組織・職場の学習
1817年生まれの思想家ヘンリー・ソローは、米国ボストンの郊外にあるコンコードに生まれ育った。そして、ウォールデン池がある森で2年数か月を過ごし、そのときの経験をもとに名著『森の生活』を書く。

ちなみに、ソローはハーバード大学出身なのだが、その頃のハーバードは田舎の現地大学にすぎなかった、という点に少し驚いた。イギリスの大学に追いつき追い越せという雰囲気だったという。

感銘したのは、現在でも、この地には、「自然とともに生きること」を提唱したソローの考え方が根付いているということ。

1990年、コンコードに大型土地開発プロジェクトがもちかけられた際、地元の人々はNPOを立ち上げて、ソローの住んでいた森を買い取ったらしい。その後も、14の開発プロジェクトが起きるたびに、全米の支援者の支援を受けながらことごとく土地を取得していく。

個人の思想が、その地に浸透しているという点がすごい。「思い」の共有、「思い」の継承の大切さを感じた。

Skyward, 2016.11, p.30-41

楽しさを味あわせる

2016年10月05日 | 組織・職場の学習
再び『プロレスという生き方』(三田佐代子著、中公新書クラレ)から。

この本で一番驚いたのは、小学生たちをプロレスラーとしてデビューさせてしまったレスラー・さくらえみさん。

えみさんは言う。

「プロレスに対する疑問があったんですよ。プロレスってプロしかやっちゃいけないのかなって。野球だったら少年野球、サッカーだって少年サッカーがあるじゃないですか。なんでプロレスにはそれがないんだろうって」(p.164)

たしかに、プロレスとアマレスはまったく違う競技である。そこで考えたのが「アクション体操」。マットを使ったプロレス教室である。そこに通う子供たちの中から小学生女子プロレスラーが生まれることになる。

なお、さくらさんの教え方が興味深い。

「最初にそれ(殴ったり蹴ったりすること)は教えなかったんです。ドロップキックとか、ボディアタックとか、カサドーラ(メキシコ式の飛びつき前方回転エビ固め)とか。技をやる楽しさだけを最初に教えたんです。サッカーだって最初にゴールの練習したら楽しいじゃないですか。だから楽しいことを最初に教えました」(p.165)

プロレスに限らず、「まず楽しいことから教える」ことは大事である。しかし、まじめな日本人はまず基本から教えてしまい、その結果、続けることができなくなってしまうのではないだろうか。

仕事でもなんでも、まず楽しさを味あわせてあげることから始めるほうがよい、と思った。





生きる力

2016年08月18日 | 組織・職場の学習
『死の家の記録』の中で心に残っているのは、クリスマスのお祝いで囚人たちが上演した劇の場面

「最初の演し物が終わる頃には、客席の浮かれた気分も最高潮に達していた。私は何一つ誇張してはいない。ひとつ想像して欲しい ― 監獄、足かせ、囚われの身、この先も延々と続くつらい歳月、暗い秋の日の雨だれのごとくに単調な生活・・・・・そんな中でうちひしがれた囚人たちが突然、一時だけ羽目を外してお楽しみにふけり、重苦しい夢を忘れて、立派な芝居を上演することを許されたのだ。しかもその芝居ときたら、町中がアッと驚くほどの、誇らしい芝居なのである。「ほら、これが俺たちの仲間だぞ。囚人も隅におけないだろう!」というわけだ」(p.347)

つらい日常を忘れさせてくれる特別な一日や、自分を投影できる優れた人々の存在が「生きる力」になる。

これは日々の生活においてもいえるような気がする。

出所:ドストエフスキー(望月哲男訳)『死の家の記録』光文社