みどりの野原

野原の便り

9月6日 飛鳥 万葉講座 月 みつながしわ 仁徳天皇と磐姫 明日香法

2020年09月06日 | Weblog

中央公民館あたりから歩く。


バショウ 果実がたくさん。今先の方に咲いているのは雄花。

 
橘寺 南側の万葉歌碑 「世間(よのなか)の繁(しげ)き仮廬(かりほ)に住み住みて至らむ国のたづき知らずも」
 右)飛鳥川沿いの小道沿いの万葉歌碑 「明日香川瀬瀬の珠藻のうち靡き情(こころ)は妹に寄りにけるかも」

 
  クズが満開 いい香り。
         右)このあたりの飛鳥川 変わっていないように見えるが・・

 
川沿いには中国原産のシナサワグルミが繁り、葉には外来昆虫のキマダラカメムシ。
          右)ヒメマツバボタンがいっぱい。 外来の草や虫が目立つ。

万葉講座

今年は10月1日が「中秋の名月」だとか。
旧暦 24節季で季節を春夏秋冬の4等区分し、それぞれの季節を3つに区分。

7月・8月・9月が秋。
秋の中でも、7月は初秋(又は孟秋)・8月は中秋(仲秋)・9月は晩秋(季秋)となる。 
8月の真ん中15日が満月に近い月が見えるとして15夜の月=「中秋(仲秋)の名月」となるらしい。
調べると、十五夜が必ずしも満月とは限らないという。ずれる時もあるらしい。
そして、旧暦の8月15日中秋の名月は、新暦の9月15日でないというのが又紛らわしい。
よくわからない。誰か易しく教えて~。
とにかく今年の中秋の名月は10月1日とのこと。

月に関する万葉歌10首を取り上げられた。なじみのない歌ばかりだったが、みんなで朗誦した。

次に、9月のカレンダーから「みつながしわ」
オオタニワタリ(チャセンシダ科)の暖地性シダ 他にも説はある。
「神に供える食物をのせる皿」としても使われた。

オオタニワタリに関連して、大鷦鷯天皇(おおさざきのすめらみこと 仁徳天皇)と皇后 磐姫(いわのひめ)の歌。

磐姫が新嘗祭に使用する「みつながしわ」を熊野へ採りに行っている留守の間に、大鷦鷯天皇は八田皇女を宮に迎え入れ、それを知った皇后が激怒したという話は古事記・日本書紀にも出てくる。天皇が歌を送ったり、呼びに行っても帰ってこず、ついに帰らずじまいで亡くなってしまう。磐姫皇后は嫉妬深いイメージだ。

万葉集に記載されている磐姫の4首の歌を見ると、「山を越えて迎えに行こうか。待っていようか」「恋し過ぎていっそ死んでしまったほうがましかな」とか「私の黒髪が白髪になるまで待っていよう」・・など、天皇を恋しがっているのに、天皇が来ても会いもしなかったとか。

これらの歌が本当に磐の姫の歌ならば、万葉集で最古の歌になるのだとか。(疑問があるらしい)
似た歌が古歌集にあったり、古事記にあったり・・ これがまたこんがらがるところ。

それにしても、日本書紀にある、天皇が八田皇女を宮に入れようとして作った歌のなんと身勝手なこと。「磐姫も怒るわ」と思ってしまうし、正直者の?天皇にも笑ってしまう。

今年は「明日香法」ができて40周年らしい。
周辺部地域の開発が飛鳥まで押し寄せそうになり、文化財を守るために村民や学者などいろいろは人たちの努力があって、明日香法ができた。
甘樫丘にも土地買いが頻繁に訪れたり、ホテル建設の話もあったらしい。
そんな時に犬養先生の甘樫丘に建てられた万葉歌碑は開発防止の防波堤となった。
その後、土地買い上げ、国営公園化が進む。

犬養先生の文によると、今は気軽に登れる甘樫丘は「戦前戦後にかけて登り道もない植林の山」で「昭和30年の初め、豊浦の方々によって現在ある登り道をつけられた」とのこと。へえ~~。

あやふやなこともたくさんあるが、知らないこともいっぱい聞けた。

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