みどりの野原

野原の便り

8月23日 祭神の話 日本書記(黄文氏)

2024年08月23日 | Weblog

神社の祭神
先月「祭神が途中で替わっている神社がある」というお話があった。
それに関連して、お1人の講師の方より、祭神に関するお話があった。
「祭神が変わることは珍しいことではない」とのこと。
お寺も、災難や厄災の時に、寺号を変えたり新たな仏を作ることもある。
神社にも経済的理由もある。
神社を再興していくため、継続していくために流行りの神を入れたり、時代によって祭神が変わったりすることもあるという。

異名同神
異名同神とはひとつの神様がいろんな名前を持つということ。
なじみのある「だいこくさま」=「大国主神」=「大物主神」=「大己貴命神」他にも神名を持つ。
素人にとっては混乱する神の名。
これについて説明した本などはないが、神仏習合に関係したものも。
素戔鳴尊=牛頭天王は聞いたことがある。

藤原京の4隅の守護神として、大神神社・高鴨神社・河俣神社・飛鳥坐神社の4つの神社が配されたというお話も伺った。

日本書記講座
天武天皇12年(683年)に天皇は38氏に「連」姓を与えられた。
その氏族がどんな氏族だったのかを、1つ1つ検証している。

その続きで、「黄文氏(きぶみうじ)」について。
天武天皇により、「造 (みやつこ)」姓から「連(むらじ)」姓を賜った「黄文氏(きぶみうじ)」とはどんな氏族だったのか。

・日本書記・雄略天皇7年の条には、 陶部(すえつくりべ)、鞍部(くらつくりべ)などとともに、日本最初の画工集団として百済の因斯羅我(いんしらが)が渡来。
・崇峻天皇元年、飛鳥寺を作る時には寺工(てらだくみ 大工)や露盤博士・画工などが献上された。
・推古天皇12年に初めて「黄文画師・山背画師」の記述。
・新撰姓氏禄の山城国諸藩に、黄文氏が高麗国に出自を持つ渡来系氏族であることが記される。

画工として寺の造営などにも関わり、高松塚古墳?キトラ古墳?の壁画を描いたとの「説」もある。
天智天皇の頃、当時珍しかった「水ばかり」(水準器)を献上した記述もある。持統天皇の頃、鋳銭司の官人に任用されたとも。
画工にとどまらず、幅広い活躍をした氏族だったようだ。

コメント
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